平成十九年一月二十九日 午後四時三十六分 母は逝った。
享年八十七歳であった。
四年前、実家玄関先で転倒、打ち所悪く脳挫傷となり救急車で板橋T大学付属病院へ搬送。緊急手術をおこなったが意識不明のまま。執刀医からもう意識を回復することは無いだろうと冷たく言われ、三ヵ月後に追われるように転院。以後、脳死状態のまま三ヶ月ごとに病院を転々とし一年が過ぎた。転院先の病院では積極的な治療は全く無く、ただ脳死状態の人間への栄養剤点滴と痰の吸引のみをおこなうだけであった。
知人の紹介で東京女子医大のある教授に見せる。水頭症の状態だから手術をすれば意識は回復するだろうとの診断で再手術。なんと直ぐに意識回復で口も聞けるようになったではないか。震える手でスプーンを口に運ぶ母の姿を見て奇跡を感じた。あの時は本当に嬉しくて女子医大の方々が神様に見えた。それに引き換え、最初に入院手術をした医師の未熟さに腹が立ったものだ。実はその時の板橋T大学病院執刀医の未熟さが、四年後の母の死去に少なからぬ影響を与えていたのだ。
以後、板橋の民間介護老人ホームに一年、実家の近くに出来た新しい介護老人ホームに一年とホームにおける生活が続いた。その間、数日おきに親父や娘(小生の妹)の見舞いを受けながら昨年末に至った。そして年末に気管支に痰がつまり窒息状態に陥り緊急入院、回復と窒息を繰り返し、最後は肺炎を併発して逝った。担当医によれば、四年前の脳挫傷手術時の人工呼吸気管支切開手術の後遺症で、気管支道が変形して痰や唾がつまりやすくなった事が原因であり、逆に今まで窒息を起こさなかったのが不思議なくらいとの話であった。
母は87歳の生涯を閉じたが、息子から見ても幸せな人生であったと思う。気が強く、見栄っ張りで竹を割ったような性格だが、面倒見がよく人に慕われた。とりわけ、晩年の母は、海外国内と元気に旅行を繰り返し、グルメを楽しみ、茶の湯、料理、菓子造りなどは免許皆伝。多くのお仲間に恵まれ晩年を豊かに過ごすことが出来た。
悔いの無い人生で大往生であったと思うが、やはり母を偲ぶと泣けてくる。
享年八十七歳であった。
四年前、実家玄関先で転倒、打ち所悪く脳挫傷となり救急車で板橋T大学付属病院へ搬送。緊急手術をおこなったが意識不明のまま。執刀医からもう意識を回復することは無いだろうと冷たく言われ、三ヵ月後に追われるように転院。以後、脳死状態のまま三ヶ月ごとに病院を転々とし一年が過ぎた。転院先の病院では積極的な治療は全く無く、ただ脳死状態の人間への栄養剤点滴と痰の吸引のみをおこなうだけであった。
知人の紹介で東京女子医大のある教授に見せる。水頭症の状態だから手術をすれば意識は回復するだろうとの診断で再手術。なんと直ぐに意識回復で口も聞けるようになったではないか。震える手でスプーンを口に運ぶ母の姿を見て奇跡を感じた。あの時は本当に嬉しくて女子医大の方々が神様に見えた。それに引き換え、最初に入院手術をした医師の未熟さに腹が立ったものだ。実はその時の板橋T大学病院執刀医の未熟さが、四年後の母の死去に少なからぬ影響を与えていたのだ。
以後、板橋の民間介護老人ホームに一年、実家の近くに出来た新しい介護老人ホームに一年とホームにおける生活が続いた。その間、数日おきに親父や娘(小生の妹)の見舞いを受けながら昨年末に至った。そして年末に気管支に痰がつまり窒息状態に陥り緊急入院、回復と窒息を繰り返し、最後は肺炎を併発して逝った。担当医によれば、四年前の脳挫傷手術時の人工呼吸気管支切開手術の後遺症で、気管支道が変形して痰や唾がつまりやすくなった事が原因であり、逆に今まで窒息を起こさなかったのが不思議なくらいとの話であった。
母は87歳の生涯を閉じたが、息子から見ても幸せな人生であったと思う。気が強く、見栄っ張りで竹を割ったような性格だが、面倒見がよく人に慕われた。とりわけ、晩年の母は、海外国内と元気に旅行を繰り返し、グルメを楽しみ、茶の湯、料理、菓子造りなどは免許皆伝。多くのお仲間に恵まれ晩年を豊かに過ごすことが出来た。
悔いの無い人生で大往生であったと思うが、やはり母を偲ぶと泣けてくる。
身につまされる話であります。まあ順番ですからとさりげなく考えますが、生前のお母様の晩年が充実していただけ安心致しました。どうか気を落とさず前向きに人生突き進みましょうよ!
僕は友達いませんから、ママだけが頼りという体たらくです、いつでも伺いますから頑張ってね!
再開第一号が訃報となるとは思いませんでした。
早速のご弔意を賜りありがとうございました。
近日、元気になった主人とマイガーデンをご紹介いたします。
ジロー
早速のご弔意ありがとうございます。
晩年の母は幸せだったと思いますが、波乱万丈の人生でした。
小生の名前ですが・・・ジローで通っておりますので、今までのようにジローとお呼びいただければ幸いです。
時折、照れ隠しに本物のジロー(愛猫)が代弁して紛らわしいのですがお許しください。
「定年後の伊豆暮らし」ほぼ毎日様子をみていました。
昨年末からの病院通い、葬儀、後始末と東京行きが続き、すっかり体調を崩してしまいました。練馬の実家から近いホテルをと池袋サンシャインのPホテルに宿泊したのですが、名前だけで古さと狭さとサービスの悪さと食事のまずさだけが記憶に残りました。高層階の部屋からみる夜景もありましたが、それどころではないですしね。
伊豆高原関係のお友達は同年代ばかり。という事は親の死に目という場面を皆様経験する年代でもあります。
明後日は日帰りで熊本に行かなくてはならないし、風邪が治らなかったらどうしよう。
これからも宜しくお付き合いください。