現実と夢!!

今日は曇り

バレンタインデー

2008-02-22 20:39:19 | Weblog
毎年やってくるバレンタインデー。
ただ、
バレンタインデーの様相も大分変わってきているようだ。
誰からであれ、もらえればうれしいチョコだが、
昔は、告白デー とめいうたれていた。

しかし、女性はきづいてしまっている。
バレンタインデーに告白したからっていったって
成功率があがるわけではないってことを。

ただ、バレンタインデーという習慣は今も残っているが
その「あり様」というものが変わってきている。

今や、本命へのチョコ 本命チョコ
   ついでのチョコ 義理チョコ    
   自分へのご褒美 マイチョコ
   家族へのチョコ ファミチョコ
等々いろんな形がある。

最近は、異性にあげるというスタイルを大きく崩し
同性にチョコを上げるってのがすごく多いようだ。

また、別にチョコじゃなくてもいいんじゃないか?
という意見及び行動も目立ってきている。


要は、このバレンタインデーは感謝デーなる様相を帯びてきている
といえる。

そう考えると、
お歳暮やお中元は中年以降からの感謝デー
バレンタインデーは若い女性からの感謝デー
という様相を帯びてきていると言えるのはないだろうか。

そうなると、
若い男性からの感謝デーなるものがないなってことに気づく。


日本の色々な業界は、
チョコレート業界がしかけたバレンタインデーのようなものを
実は色々しかけている。

この男性からの感謝デーをどこの業界がしかければ
習慣化して普及するだろうか??

花業界でしょう。
私はそう思います。


私は、花をもらっても花瓶がないしという理由で、
誰か女性にいつもあげていたのだが、
なぜか女性はもらう。

また、いろんな所に花があっても、別に
違和感を感じる人は少ないだろう。

まずは、
学生以下にターゲットを絞ってアクション。

それの普及をもって、

花はかさばるから、それを持ったまま電車に乗りたくないという
サラリーマンやOLの問題を解決するアイデアがでてきて
社会人にも普及する。



日本は景観デザインや都市デザインがプアだ。
だからこそ、
もっと社会に花がふえれば、これは素晴らしいことだ。


冠婚葬祭が売上の大半を占めているという
花業界がイノベートすることを強く祈ります。

もうしらんわ ほんま

2008-02-15 22:26:01 | Weblog
PJを異動になって約半年。
突如舞い込んできた、どこぞの研究所からの
システム開発依頼。

誰もやる人がいないってな感じで
そのPJを任されることになった俺。

自社のグループ会社の人がその話を聞いて、

「是非、そのシステムを弊社で引き受けたい。
 ただ、まだ御社の仕事の仕方が分からないから、
 御社のそのPJに参画させていただいた後に
 移管していただきたい」

との申し出があったみたいで、

課長から、希望する経歴と人数を出してくれと言われたから
こう伝えたのちに、そのグループ会社から提示された履歴書上は
申し分なかった。

-- 希望経歴 --
①PJリーダの経験がある人
②品質・構成管理ができる人

-- 実態 --
①30代半ば
 淡々とこなす作業しかできない上に、10言ったことのうち7ぐらいしかやらない。
 典型的な指示待ち社員で、できることしかやらない。たっぷりの時間をかけるというオマケつき。
 やらなかったことは、こっちが聞かないと、やっていない・やらないことを言わない。
②30代半ば
 構成管理以外何もできない。



こんな2人で、大丈夫なのかと思いながら
結局、私が苦労しているのが今の現状。②の社員は余りにもひどいから契約をきった。


そのグループ会社は、
一度PJを経験して、私たちには難しすぎてPJの移管は無理ですと言い出す始末。
あれもこれもお世話してやっているのに、
できない理由や官僚的な発言ばかりだ。
そのグループ会社のマネージャは。
平社員がボンクラならマネージャもボンクラ度がすさまじい。



そんなPJも次期案件の時期にさしかかった。
開発規模が前回より大分大きくなるってことで、その会社に人員増員(追加2名)を依頼。
やる気がないなら次期案件をもって撤退してくれて構わないという条件つきで。

見事に快諾。

あっそう。そういう条件がついたときだけやるき出すこの会社には本当に
疑問を感じたのが2か月前。


そして、今日がその増員メンバについて報告の締切日。

「どうなりましたか?」と聞いた俺。

満面の笑顔で答える、そのグループ会社の社員。
「ダメでした。1名を揃いませんでした。」


もうレベルが低すぎて、何も感じない。
なぜ笑顔なんやお前?とか考えるのもおっくう。
お前らは一体何ができるんですか?????



経験上、2年目社員のほうが、まだPJは円滑に回る気がする。



私の上司様。
一度このぼんくら会社と社員にお灸をすえてください。
そして、俺に5分間。スピーチする時間をください。


こういう時にこそ、期待値。期待値。

人には期待値を

2008-02-09 16:21:50 | Weblog

仕事は誰かと一緒に行うことが多いだろう。


組織をまたいでの人
チーム内での人
上司、同僚、部下

色々あるだろう。

ただ、色々な人とかかわる関係上どうしても
パフォーマンスは様々だ。

すごいパフォーマンスをだしてくれる人ならばいいのだが
パフォーマンスが低い人は問題。



-なんで、こんなこともできないのか?
-なぜ、やっていないのか?
-何をいっているんだ?
-なんだこのアプトプットの品質の低さは?

こんなことで頭を悩ますことはないだろうか。


少しチーム内にフォーカスして考察したい。


対象が向上心が非常に強く努力しているならいいのだが
そういった要素がない・低い人に対して、こんなことを日々感じていると
ストレスがたまっていく一方で、いいことなしだ。

皆あなた程、優秀ではないのだ。
そういった視座がまず必要だ。

そして、その人にたいして、
彼なら、これぐらいのアプトプットだろうと想定しておくことだ。
つまり、期待値を設けておくのだ。

期待値が低いと、それ以上の結果をだしてきたらメッケもん。
期待を高くしておくと、往々にそれを下回るのだから「は?」という気持ちが
芽生えてしまいよくない。



ただ、私は結果にのみ期待値を設けるのは反対だ。
もう少し踏み込んだほうがいいと考えている。

その人の期待値=プロセスでの期待値×アウトプットでの期待値

と考えるべきだろう。

同一のプロセスを踏んでも、
何が重要で何が課題かを把握する力
それらをどうまとめあげるかという力
といった点は人によって変わってくるからだ。

アウトプットの品質が低くても、
最後のつめが甘いだけで、プロセスはいい線いってるかもしれない。



リーダとしてチームを作るなら、人選が重要だ。
そういったときにこの期待値の考え方は生きるかもしれない。
これら期待値を足し算にして、時には掛け算にして
目標達成をできるだけのチームをプロデュースすることが可能だからだ。

ただ、何何ができる人、こういった経験をしてきた人 という点だけで
チームを作っていたら、どれだけのパフォーマンスをだせるかは
やってみないと分からない。
今、私はこういった要素だけで作られたチームにいて非常に苦労している。
結局、期待値を低くせざるをえないが、
これはメッケもん ということを経験するにはいったいどうすればいいのだろうか??

ということを現在思案している。

広辞苑 10年ぶりに改訂

2008-02-02 22:11:31 | Weblog
「広辞苑」第六版が2008年1月11日に発売された。
第五版から10年ぶりに改訂された第六版では、
新たに10,000語を収録、総収録項目数は24万に上るのだそうだ。

新語は「メル友」や「イケてる」等々で、
カタカナを含むものが、新語の中で3/4を占めるのだそうだ。

中学受験の際に買い与えられた時代のことを思い起こすと、
時代は大きく変わってきたなぁと思わざるをえない。

しかし昔からある言葉にはそれぞれ語源をもつものも多い。
それを少し紐解くことで、私たちの文化や歴史を垣間見ることができよう。
たとえばで、少し紹介しておこう。


【油断】
行灯などの油の準備を怠ったために夜中に油が切れ、
敵に襲われ命を落とすころから
油を断たないように とのことから油断という言葉が生まれた。


【夢】
語源は、寝目(いめ)で、寝ているときに見るものをいう意味である。
平安時代に「ゆめ」という読みに転じて、はかなさ等の意味で
比喩的に用いられるようになった。
将来の希望 といった意味で使用されだしたのは、最近のこと。


【切羽詰まる】
切羽とは、日本刀の手に持つ(鞘付近)部分についている
薄い楕円形の金物のことをいい、
切羽が詰まると、刀が抜けなくなる。
いざという時に、刀が抜けないと(切羽詰まると)、どうしようも
できないことから、どうしようもなくなるという意味となった。


【黄昏】
昔は、「たそかれ」と言っていた。
夕暮れになると、暗くなり、人の顔の見分けがつきにくくなり
「誰そ彼(たそかれ)」と言っていたそうだ。
これは「誰だあれは」という意味。
そこから、気象的な「誰そ彼(たそかれ)」の状況を黄昏とよんだ。


【うってつけ】
打って付ける ということで、
釘を打ち付けて木をピッタリとくっつけることを指している。
現代のように「うってつけの仕事」のように使用されだしたのは
江戸時代以降のこと。


【ひっぱりだこ】
タコの干物を作る際に、足を四方八方に広げて干された形に由来する。
昔はその形から、はりつけの刑やその罪人を表す言葉として使用されていた。
最近のように人気者という意味で使用されだしたのは
ごくごく最近のこと。





なるほどぉという感じで面白いですね。
これらを知識とした場合、いつか生きるのでしょうかね。