現実と夢!!

今日は曇り

ASEAN

2011-11-26 23:34:13 | Weblog
大前研一氏がおもしろい提案をしている。
これに限ったことではないが。

それは今のタイにて起こっている洪水の被害を
利用してASEANにて主要な位置を築け日本よというものだ。


どういうことか見てみよう。
そもそもTPPの絶対的な必要性を感じていないようであり、
貿易連合では主導的な地位を築くべきであるというものだ。

タイの被害は2.5兆円ともいわれ、これは国家予算の半分以上であり
到底タイ一国で賄うことは大変極まりない。
そこで、これを日本が補ってはどうかというものだ。
もちろん、超低金利にてだ。
インフラ整備などを官民一体で行い、投資を回収できたら
タイに譲渡しようというものだ。

それだけではないのが、素晴らしい。
インドネシアの地震の復興支援の経験や日本での防災などの経験を加味して
防災、安全保障の仕組みをタイで完了させるのではなく
ASEANへと拡大していくべきで、
それは日本が主導的な役割を担えというものだ。

そういったことを通じてASEANの枠組みの主導的位置を築くのだ。という
提言である。


TPPにて心配されている、というか勝手に妄想に浸っている部分が、
事実がまだいまいちわからない中、広がっているが、
論点が、いかに農協の基金を守るのかや、
いかに医療業界の閉鎖的仕組みを維持するのか、といった
マイナスをどう避けるのかということばかり、ということではなく
どういったプラスがあるのか、どういった国運営をするのかといった
論点も大いに議論すべきであるが、
やはり、アメリカ主導のTPPに参加させてもらうという側面は否めない。

もっともオバマは選挙を控えており、早く雇用問題の解決に糸口を
見出したいのだろうが、今までアメリカが貿易を自由化して
大きな雇用を生み出したケースはないのであるから、
今回のTPPも交渉期間の長さの割には、それほど雇用という意味では
大きな効果は見出せない算段が高い。

なのにアメリカ主導のTPPというよりかは
ASEANの主導的な立場でアジアの発展、ひいてはそれによる日本の発展を
考えていったほうが、ワクワクもしよう。


本当に必要かどうか分からないTPPに参加させられるよりかは
自ら枠組みを作っていくことのほうが意義が大きい。
これをまさにタイの洪水の被害の復興を足がかりに、夢を描いていこうという
考えは非常に分かりやすく、面白いと思うのだが、
皆さんはどう思うだろうか。

命名権

2011-11-19 14:41:54 | Weblog
これはマスカットスタジアムよろしく
既存の設備に名前を、特に企業の名前をつけることで
金をとるビジネスだ。

まさに、固定資産というストック資産の価値を最大化していこうという
動きで、悪い話ではない。
実際、各スポーツ関係の施設には、京セラドームなど
そういった命名権を買ったことにより、つけられた名前が多い。


今では、道路、トンネル、歩道橋にダム、挙句の果てには
トイレにまでこの命名権が売られている。
そんな市場は急成長を見せている。


5年前は20億程度の市場は、今や50億円近くまで
市場が膨れ上がっているのだ。


もちろん、この命名権は永久ではないため
名前がコロコロ変わるとか、昔からの馴染みのある名前が突然
企業名が入った名前に変わってしまうとか問題はある。
わかりやすい例としては渋谷公会堂なんてのがあがるだろう。
私が昔住んでいたところでは、あきらかに日本のしかも普通以下の住宅街の
通りに、アメリカのとある有名な市の名前をつけていた通りもあった。
この通りのどこが?という感じは悪いが否めなかった。


モラルをしっかり守る、要はこれは地域に根差したものである点が
強いのであるから、住民とうまくコミュニケーションをとっていくのであれば
よいのではないかと思う。


今の動きとしては、行政の箱物や大規模施設に多いように思うが
実は、競馬のレース1回分とかでも命名権は売られてたりしており、
意外にこんなところでも利用されている、というのはある。


命名権を買う企業は、多くは広告を兼ねているはずであるのだから
例えば多くの人が通る、改札口なんかも、命名権があってもよい。
単に広ポスターを貼るというものではなく、色々な取り組みがあってもよい。


また、何も広告だけではなく
学校の通学路にもなにかしら学校の行事と関連させて一時的に名前を
つけていってもいいかもしれない。
たいていは、県道かなにかかもしれないが、それが何号線なのか
それがいつできてどこまで続いているのか等は、毎日そこを利用している
子供たちとかにとっては、どうでもいい情報のはずである。
そういった地域コミュニティの活性化に一役買わせてもよいだろう。


単に眠っているに等しい固定資産を有効活用するのに
このネーミングライツ、命名権は大規模な改革はおこせないにしても
一つの切り口になってもよいだろうと私は思うが
皆さんはいかがだろうか。







次世代の子供たちへのデジタル

2011-11-12 14:30:02 | Weblog
アメリカのcommon sense mediaという団体が8歳までの子供たちへの
インターネットの利用時間という調査報告を発表した。

結論としては、日本の子供たちのデジタルの利用時間が
他の先進国に比べて最下位であるということだ。

日本の特徴としては、
突然高校生あたりからネットの利用時間が増えだしているのだが、
他国は、小さい時から徐々にネットにふれており、
ネットの特性をある意味教育として学んでいるということだ。


日本では12年間英語を教育しても、
まったく英文を読めず話せない人が続出というこの悲しい現状の中
これからインフラとさえなるネットにつながるという教育もまた
他の先進国に比べて遅れてしまうのかもしれないと
危惧せざるをえない状況になっている。


これは親に問題がある。親が小さい時からデジタルを積極的に
利用させるということの重要性を理解していないためだろう。


小さい時に携帯を持たすと、変なことにまきこまれるとか
勉強をしないとか、どういう問題があるのかという議論ばかりになって
問題があるなら、やめておこうという、官僚の発想に落ち着き
可能性を著しく排除している。
運動会で順位をつけないとか、自然で遊ばすと怪我をするから
やめさせようと、というものと、基本的に発想は同じである。


日本は社会主義の国に、いつ誰が生まれ変わる、と宣言したのだろうか。


子供たちが大人になるときには、今とは日本の置かれる状況や
どういったスキルが必要なのかは、今の親が体験しているものとは
異なるはずであるから、心配がつきない。


日本は今後も貿易立国だという、ことをいう人も多いだろうが
それはそれでやればいいが、やはり発想やソフトの力が益々重要になってくるはずだ。

そのためには様々な経験が必要で、自分ならどうするかということを
しつこいくらい考えることが重要で、それにはデジタルというツールは
あってしかるべきものだ。



ネットへのアクセスを許していない親は、
だれかが言っているではなく、心配している問題は具体的にどういったもので
それはどれだけの大きさなのか、解決することは可能かをしっかり考えるべきだ。

またアクセスしたときには、どういった利点があるのか、それは積極的に行うべきか、
問題点と比べて、実施すべきかなど
20年後の子供たちのことを考えて、しっかり判断してほしい。


他の家と一緒、学校がいっているから、
という画一的な人間を作ろうとしている教育は、
これからの子供たちにとっては害でしかないのだ。


私の場合、偏差値教育を勝ち上がった結果、
人以上に暗記をしているという有意性がこれからの世界で
本当に必要なスキルではないということに気付いたのは、27歳のころだ。
これはあまりにも遅い。


これからの子供たちがこういった不幸に合わないことを祈るばかりである、

TPP

2011-11-06 12:41:25 | Weblog
この問題についてはしっかりと議論をしていただきたい。
非常に多くの思惑が絡み合い、とても複雑化してきているが・・・
もっともいずれ中国も参入をさせられるように
米国はしむけているようであるから、
中国、米国のアジア貿易戦争の枠組みに入らないというのは
感覚的に、少しずれている気がする。

というのも、例えば米韓FTAにいたっては、
韓国が米国のいいなりになった感は否めない。
できたルールにやっぱりあれは・・・といってももう後の祭りだ。
韓国もこのFTAについてあーだこーだと言っていない。ただ敗北を認めている節すらある。


少しでも不利にならないルール作りは
参加を表明しない限り、できることはないだろう。


農業や医師会は強くこれに反対しているが、
過去の亡霊のような組織が生まれ変わるいい機会だと
政治家は捉えるべきだ。
農業に至っては米以外は、関税は非常に低いし、GDPに占める割合も小さい。

今このグローバル化進む中で、いつまでも鎖国はしてられないと
韓国は農業の自由化に踏み切った。
もちろん、犠牲はあった。当たり前のことだ。時代に適応するためには
それなりのものを差し出す必要がある。
ただ、韓国は農業を捨てたわけではない。戦略的な支援を行い続けたのだ。
これは日本がやっているような、
そうですか、売れませんか?じゃあ生活できる分は補填します、
といった類のものとは異なる。


自由化の中で競争力がつくまでの○年間は支援いたしますので
それまでに足腰を鍛えなおしてください、といった類のものだ。



今のJAとかは既得権益の構造が変われば何でもいやなんだと思われる。
こういった輩には、いきなり論理はあまり、効果はないかもしれない。


そこで今起こっているような感情的な議論が、問題をあいまいにしているのだろう。
変化を嫌う既得権益組については、全般にいえることかもしれない。
御立氏の言葉を借りればこうなる。
・どういう感情がどこに存在するのか、ということを、表に出す。
 いい換えれば、感情の存在自体から逃げない
・そのうえで、感情論に流されることなく、論理に基づいた議論に従ったほうが
 国・社会全体としては得であること。一部の損になる層に対する手当をきちんと
 行うこと。これらをはっきりと語っていく。


といったことがこれから必要であろう。
既得権益を得られる人材は、そろそろ自分たちだけではなく日本全体のことを考えて
そして、動いてもらいたい。
日本沈没が目の前に迫っているなか、仁愛ある徳のあるリーダが、愛国者が
今日本には欠けているのかもしれない。