現実と夢!!

今日は曇り

因果というが

2010-10-31 13:11:49 | Weblog
コミニュケーションは重要という話だ。

これは、私が友人の披露宴のあと、二次会の準備のために
花などをタクシーに積むなどの作業をしていたときのことだ。
新婦の友人Aさんと一緒にその作業を行っていた。

Aさんとは、実は知り合いで、もう何年も会ってはいなかったのだが、
一生懸命に作業を手伝ってくれた。

ただ、作業も順調に進むものではなく、軽いトラブルが発生した。
高砂の花を運ぶためにスタッフがロビーに持ってくるはずだったのだが
それが遅れていたのだ。
ただ、運ぶものは予想以上に多いので、たいしてトラブルにならなかったのだが、
予定していたタクシーでは積み切れないことが発覚した。

そのため、荷物をまとめ直す作業が発生したのだが、それをAさんに頼もうと
Aさんに依頼した。

するとAさんは嫌だ、なんでそんなことをしなければならないのかという始末だ。
おまけに、新郎新婦と写真を撮りたいと言い出したのだ。

新郎新婦はまだいるからあとにしてくれと言ったのだが、
絶対嫌、今とると言って聞かないのだ。

突然どうしたのかと思った矢先、Aさんが指示を求めて私のところにやってきたのだ。
目の前にもAさんがいる。

一瞬パニックになった。何度みなおしてもそこには、Aさんが二人いる。
パットわかる違いといえば、それは着ているドレスが違うことぐらいだ。

するとそれを察したAさんは、私たち双子なの、という落ちだ。

学生の時もAさんに特に興味をもたず、さらに今回もただの作業のヘルパーとして
見ていなかったことから、必要以上の会話をしなかったわけだ。

そこで、こういったことが発生してしまったわけである。


仕事でもただアクトやタスクの従者というレベルでしか、人を見ていない場合、
それはとても単純で無味乾燥なものしか人との間にはない。
それ以上は生まれない。むしろ軋轢のようなものしか生まれないだろう。

興味をもち様々なコミニュケーションを取ることは重要だ。
それは雑談レベルでいい。こういった仕事以外のところで仲良くなることは
仕事を潤滑にすすめる上では重要。こと日本においてはそうだろう。

仕事での信頼、人としての信頼、これら両輪がうまく回って初めて
チームやアライアンス先とも得るものも大きいのだ。
それは結果も大きいだろう。

よく因果関係ということをいう。
果はあくまで結果であり、それに結びつける因をいかに醸成するかも大切だ。

あの超外資系のマッキンゼーですら、パートナークラスになると、
そこそこの果と、高い因を求められるようで、この因の重要性を高く認識している。
ここでいう因は、新しいナレッジの開発や、人材育成、オフィス強化などだ。

それなりに人の上にたつということは、
そこそこの結果と高い因が求められる。そこには高いコミニュケーションが
求められるのだ。

失われていく言語

2010-10-23 02:09:57 | Weblog
今、世界中にある言語が失われていく危機的な状況にあるようだ。
日本で言えば、アイヌの言葉や奄美の言葉だ。

ユネスコの調査によれば、EUには実に226の危機言語があるようだ。
特にフランスは深刻で52もあるそうで、イタリアは31にものぼる。
世界に目を向けると、それは2500にも飛躍する。

さて、ユネスコはこれは危機的な状況であると表現しているが
それは本当にそうなのだろうか?私の答えはYesなのだが、
ただ、失われていくから守らなければならないのだという視点で
片付けられるほど、この問題はシンプルではさなそうだ。


例えば、日本でいえばアイヌ語が危機的な状況にあるとされている。
しかし今やアイヌの言葉を知る人はとても少ないだろうが、
それが何において問題なのだろうか?

アイヌの文献や歴史の今後の研究に影響があるというのであれば
それはデータベース化することで解決される。
何もネイティブのように話す人を作り続けなければいけないという話ではない。

それは文化である。文化が失われることは問題だというのであれば、
本当になくなった場合の影響をよく考え直す必要があろう。
アイヌ語を失うことでその根源たるものに触れられなくなるのでないのであれば
いささか論点が変わる。
これは、例えば今やっている時代劇や大河ドラマを昔の言葉で演じないと
ダメか?という問に似ている。答えは必ずしもYesではないはずだ。


問題を極大化して、バベルの時代のように言語が一つしかない時代に
遠い将来なったとして、それは問題なんだろうか?
これはおそらく問題である。例えば日本の場合、雨一つとっても
様々な表現があるが、英語ではそうではない。この民族性が失われてしまう。
ただこれもDB化で無機質でぬくもりがなくなるかもしれないが、対応は
最低限可能である。



歴史的遺産という視点もある。ユネスコはこちらに軸足を置いているように
思えるが、これは何を保存したいのだろうか?
言語そのものか?言語を話している人たちか?それらの人が営む生活か?
それを明確に定義する必要があろうが、この時代、言語という回答が
精一杯だろう。


このように、言語が失われると何が問題かを明確にして
それに対する策を講じればよい。

私は言語が失われるのは、文化的にも歴史的にもあまりにも惜しいと思う。
であるから、このデジタル化の時代、デジタル情報として
最低限保存していくことは必要なことだと考える。

翻訳機能は今大分進んでいるのだから。

新興国のマグニチュード

2010-10-17 14:08:55 | Weblog
新興国について詳細な目で見てみると
これはとてつもなくマグニチュードが大きいことがわかる。
ただ、単に資金が流れていることが株式市場からわかるという程度ではない。
まずは規模だ。
現在26億人が住居しているがあと20年でさらに13億人増えるようだ。
この数は今の中国の人口に匹敵する。

そして新興国は中流階級の仲間入りを果たすために、
消費市場でのインパクトも大きくなる。それは2015年の段階ですが
GDP成長率に占める割合の67%に達するというのだ。

また同時に都市化が進むということは、住宅需要、インフラ需要も
凄まじいものが想定される。
今後20年の間に、住宅で1400兆円、インフラ投資で2000兆円との
試算がある。これはすさまじくでかい数字だ。

これらはある会社からでたリポートによる数字だが、このリポートでは
もう少し興味深い内容を示唆している。

新興国といっても北京や上海のメガシティばかり見るのではなく、
中規模・小規模都市をしっかり捕らえろということだ。
つまり、都市をしっかりセグメント化した上で、自社にとっての都市ポートフォリオ
戦略を考えよというものだ。

都市セグメントは4つ提案されている。
1000万都市のメガシティ、周辺に多くの衛星都市を従え商業の中心地として
昨機能するクラスターキャピタル、ある行っての産業に特化するスペシャリストハブ、
そして地理的に他の都市圏から離れているが存在感のあるホライズンタウン
の4つだ。

これらの都市をどういう順番で攻略して、既存モデルをどう柔軟に適応していくか
という点が重要だろうという示唆もある。


このリポートはもちろん世界という視点で記述されてはいる。
しかし都市セグメントという切り口は、企業戦略ではなく都市の魅力かという視点で
日本において適応しても面白いかもしれない。

メガシティなのか?スペシャリストハブなのか?クラスターキャピタルなのか?
ホライズンタウンなのか?
また各都市を結ぶ際に、時間的、物理的、心理的、金銭的距離はどうなのか?
そういったことを考えなおして、再度市町村の今後を見直すのもいい。

いまじゃどこでも、無駄の削減という話ばかりだ。
それはそれでやるのはあたりまえだが、そればかりだと疲れるだろう。
明るいあるべき年の姿を描きながら、それらの都市が有機的に関係性を持ち
魅力ある地域になっていけばよいと思う。



断捨離

2010-10-08 23:21:25 | Weblog
断捨離という言葉を最近耳にすることがあるのではないだろうか。
最近では、日経ウーマンやANANでも取り上げられ、WBSでも特集が組まれたほどだ。

マザーテレサが日本に来て言っていた言葉が印象的だ。
「日本は豊かな国、それはものが一杯あるという意味において
 ただ心は豊かではないのが残念です」
この言葉が今頃、響きだしでもしてきたのだろうか。


断捨離とは
断:入ってくる要らない物をたつ
捨:家にはびこるガラクタを捨てる
離:物への執着から離れ、ゆとりある自在の空間にいる私になる

要はいつか使うかもしれないという「モノ」は主役だが、
「私」が主役になろうというもの。
空間の広がりはひいては、心の安らぎにつながるそうだ。


これを提案して、やましたひでこ氏のセミナー月100本をこえ
関連本は12万部を売り上げている。
盛況という所だろうか。

モノには3種類あるだろう。必要なもの、必要かもしれないもの、必要じゃないもの
そしてそれらの扱いとして、
置いておく、とりあえず置いておく、捨てる、あげる、売るとあろう。
これを見直そうというものだ。


私も、モノは捨てれないほうだ。おかげで狭い部屋が一向に狭いままという感じだ。


なんでも手に入るようになった時代だからこそ、こういったモノに改めて
向き直るというのは自然なことで必要なことなのかもしれない。
とはいっても、ホテルの部屋のように最低限のものしかない殺風景さは
行き過ぎたところだろう。ちょうどいいバランスを求められている。


今は女性がくいついているという感じになってはいるが、
男性やビジネスにおいても必要なことだろう。何も部屋を片付けるためのものでも
なかろうからだ。



戸籍法というのが日本にはあり、明治時代から変わっていない。
そのため戸籍は紙で管理し、こよりで閉じよとなっており、それは未だに行われている。
だから役所の書庫は紙でいっぱいだ。
全くスマートではない。


あなたのパソコンも同じではないだろうか。
あなたの職場のデスクも同じではないだろうか。
友人や知りあいでも同じではないだろうか。


これはいい機会かもしれない。今一度周りを見直すというのはいいかもしれない。