朴正煕が暗殺された1979年,私はまだ高校生でしたから,朴大統領についての直接的な思い出はほとんどありません。
当時,国際情勢なんてあまり関心がなかったし。
ただ,新聞の一面トップにどでかい見出しで暗殺が報じられていたことは,今でも覚えています。サングラスをかけ,ギャングみたいな朴大統領の写真も印象深かった。
当時,日本の新聞は「産経」を除いて朴大統領を「独裁者」「民主主義の敵」として悪者扱いしていたので,写真の選択一つとっても,できるだけ人相の悪いものを選んだのかもしれません。
というわけで,私自身の記憶というのはないのですが,私とほぼ同年配の女子職員(江原道の田舎出身)の話を紹介すると,あの時代,自分が住んでいた村に初めて電気が来た,とのこと(1970年代,韓国の田舎にはまだ電化されていない村があった!)。
戦後長らく,韓国の農村は開発から取り残されていた。しかし,農民階級出身の朴正煕の時代,「セマウル運動」という農村改革運動でずいぶん改善された。
文字通り,「世の中が明るくなった」時代だったのです。
独裁者,朴正煕が庶民の間では今も人気がある所以です。
当時,国際情勢なんてあまり関心がなかったし。
ただ,新聞の一面トップにどでかい見出しで暗殺が報じられていたことは,今でも覚えています。サングラスをかけ,ギャングみたいな朴大統領の写真も印象深かった。
当時,日本の新聞は「産経」を除いて朴大統領を「独裁者」「民主主義の敵」として悪者扱いしていたので,写真の選択一つとっても,できるだけ人相の悪いものを選んだのかもしれません。
というわけで,私自身の記憶というのはないのですが,私とほぼ同年配の女子職員(江原道の田舎出身)の話を紹介すると,あの時代,自分が住んでいた村に初めて電気が来た,とのこと(1970年代,韓国の田舎にはまだ電化されていない村があった!)。
戦後長らく,韓国の農村は開発から取り残されていた。しかし,農民階級出身の朴正煕の時代,「セマウル運動」という農村改革運動でずいぶん改善された。
文字通り,「世の中が明るくなった」時代だったのです。
独裁者,朴正煕が庶民の間では今も人気がある所以です。
その頃、BCLというのが流行っていて、海外の短波放送などを聴いてその内容をそこの放送局に送るとベリカード(Verification Card)という絵葉書みたいなカードがもらえました。KBSにも何通か送り、私の拙い文が、「玄界灘に立つ虹」というコーナーで放送されました。その頃はとにかくカードが欲しかったのでいろんな国々に手紙を出しました。
私の小学生時代の蒐集といえば、めんこ、切符、牛乳瓶のフタでした。