犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

日帝時代の検証~食料収奪①

2007-06-15 05:16:12 | 近現代史

 李栄薫の主張に「食糧の半分を日本に強制的に持ち去った」というのも根拠のない話とされています。これについては,かなり前に韓国人による批判がネットで話題になりました。『タンジ日報』という,半ば冗談まじりのネット新聞で,著者はクルマさん。自分が学生のときに習った「国定国史教科書」の内容に疑問をもち,挑発的に批判しています。

 以前発表した翻訳に手を入れ、あらためて紹介します。


2001年3月13日 タンジ日報
タンジ歴史考証チーム専門委員 クルマ

[分析]お前ら,よくも歴史歪曲なんて言えたもんだな?

 歴史教科書検定問題で,日本の「新しい歴史教科書をつくる会」のある幹事がこんなことを言ったそうだ。

「韓国のやつら,中国のやつらがわれわれに向かってつべこべ言う資格があるのかい? あっちは教科書を国家が作ってるそうじゃないか。そんなに歴史に関心があるんなら,よその教科書に興味をもつんじゃなくて自分らのものを調べろといいたいね,まったく」

 もちろんこの発言は,韓国,中国の国定教科書を指したものだ。わかってる,読者諸賢よ,尻に生えた毛が逆立つような憤怒を感じていることだろう。
 だからといって,興奮のあまりこの人間を罵倒しないことだ。上の言葉は,はっきり言って100%正しい。知っての通り,100%正しい小言には決して口答えしないのが身のためだ。上の言葉は,もちろん韓国と中国の政府が,日本の文部省の教科書検定に対する不満をやたらと触れ回った後に,日本の側から発せられた言葉だ。ひと言で言って「お前ら,まず自分のことを振り返りやがれ」ということだ。

(1)ならばわが国の教科書に問題があるというのか?

 日本のあのいらだちまじりのひと言「お前ら,まず自分のことを振り返りやがれ」という言葉は,われわれの胸にぐさりと突き刺さる。なぜなら,本当のところ韓国の高校で使われている国史教科書には,多くの部分に歴史歪曲が含まれているからだ。

 ただひと言,結論から言えば「1996年9月1日初版の大韓民国教育部が著作権者である大韓民国1種国史教科書は,むちゃくちゃ多くの部分に歴史歪曲を含んでいる」と言うことができる。
 きっと読者諸賢にとっては大ショックだろう。知ってのとおり,韓国の全児童はまったく同じ「歴史教科書」で歴史を学び,育ってきた。読者諸賢も同じ経験をしただろうが,中高時代,3月に教科書を買いに本屋に行くと,倫理と国史がいちはやく品切れになり,ひどくあわてた記憶があることと思う。

 さまざまな出版社から出る他教科の教科書とは違い,わが国の倫理と国史教科書は,無事安逸,伏地不動,荒唐無稽の企業運営で有名な公企業「大韓教科書株式会社」においてのみ印刷され,この無事安逸,伏地不動,荒唐無稽の公企業は常に,そして未必の故意により,学生数をはるかに下回る冊数の国史教科書を書店に配本し,いつも怠け者の筆者とその友達を「大韓教科書株式会社(旧国定教科書)」の物流倉庫まで走らせたのだった。

 そうだ,韓国の全国民は「歴史教科書」のみは,100%完璧に同じ本で,同じ進度で勉強し,入試試験でも同じ比重を占めていたのだ。それも必須科目として。そしてその教科書の執筆,制作だけでなく配布にいたるまで国家が関与してきたのだ。

 さて,このような「絶大国史,オー国史!」式の完全独占国定国史教科書に,歴史的真実についての歪曲があるとするなら,これこそ国民の哲学体系,国民の国家認識,国民の精神世界に重大な誤謬を産む,荒唐無稽な話ではないか?

「韓国の歴史教科書歪曲」というメチャ深刻なテーマを読者諸賢に投げかけつつ,筆者はえらく悩んだ。そうだ,筆者はいわゆる親日派の一人なのだ。韓国の某大学で日本学を専攻し,一時期日本に渡り,靖国神社にほど近い日本の某大学でひとしきり勉強もした。もちろん日本には友だちもたくさんいて,そのうえ彼女も日本人だったりした。こんな私が「韓国の歴史教科書歪曲-植民地時代関係史を中心に」などとほざけば,やはり容赦なく

「この親日派のチョッパリが」

という冷笑的反応が来ることを知っているからだ。しかし,筆者はこれについてだけは断固として言いたい。筆者は,絶対に,良心にかけて誓うが,サッカー韓日戦では熱烈に韓国を応援する大韓男児の一人だ。日本という国より,自分が生まれ育った大韓民国という国をずっとずっと愛する愛国青年の一人だ。民族を裏切り,自己利益のために国を売るような者ではない。もちろん,私が売るといっても大韓民国を買ってくれる人もなかろうが,どうすればこの国がもっと住みやすく,平等で,幸福に生活できるのかを,熱き想いで悩み,苦しむ(主に便器の上で)愛国青年なのだ。

 そんな筆者が韓国の歴史教科書歪曲問題に関心をもったのは,大学時代,90年代初めに遡る。筆者は日本文学を専攻し,これで学士号をとった。しかし,これはだれでもたやすくとれるものではない。必要なカリキュラムを履修し,面倒臭いいろいろな要件を満たさなくてはいけない。それで,筆者はもちろん要領よく単位をとるためもあったが,日本史という科目にあえて受講申請し,A+という驚くべき成績(筆者がとった数少ないA+の一つだ)を記録した。

 そのときの日本史講義で取り上げられた教材が,これからの話の主要ソースの一つの,日本文部省検定済,実教出版社の「高校日本史」だった。この本を選んだ理由はいろいろあるが,教授の説明は「問題になっている日本の教科書で勉強することで,日本の一般的知識人がもつ歴史認識の地平を理解すること」だった。こむずかしい話だが,要は「倭奴(ウェノム)のオツムに入っている歴史を理解してみよう」ということだ。

 だが,日本の教科書を読んだことは,筆者にとってある種のショックだった。なによりも,筆者が高校生時代に国史を勉強しつつ抱いた疑問点のいくつかについて,日本の歴史書の中にその答えを見いだすことができたからだった。

 まず,筆者は読者諸賢に自信をもって言える。筆者は,日本語で日本人が書いた日本人の歴史教科書で日本史を勉強した人間として,そしてわが民族と国家に対する愛と信頼にあふれる者として。あえて大韓民国の「国史教科書」が歪曲されているということを話すのだ,と。

(2)じゃあだれが歴史教科書を歪曲したというのか!

 われわれが金科玉条のごとく,大学入試のためあんなに一生懸命シコシコ丸覚えした国史教科書が歪曲されているというなら,その著者がまずは問題になるだろう。著者が教科書を執筆したのだから,その人間たちがまずは問題になるのではないか。
 よって,まずはどんな奴らが韓国の歴史学を引っ張ってきたのかを見よう。思いっきりはしょって説明する。

 近代的学問としての歴史学の始まりは,とりあえず植民地朝鮮から始まる。西欧の思想が紹介され,植民地朝鮮での歴史研究は,次の三つの学派に分かれた。まず最初に現れたのは,文献考証史学者たちだ。彼らは「文献と考証」を重視する伝統的な歴史学者たちだ。 次に現れたのは,マルクス主義の唯物史観に立って歴史を眺めた社会主義学派だった。そして,最後に民族の優越性と自主性を主張した申采浩先生らの先覚者たちの影響を受けた,朴殷植先生を中心とする民族主義学派があった。

 植民地朝鮮は,われわれがよく思い描くような深刻な思想統制社会ではなかった。少なくとも朴統(朴大統領),全統(全大統領)のようなアホが国を治めていた時代よりかは,ずっと思想の自由が許されていた時代だった。いわば,植民地朝鮮は韓国の現代史においては,思想的ルネサンスのような時期だった。このような思想的ルネサンスが,植民地朝鮮における左右思想対立として現れたとはいえ、それでもわれわれが考えるより,はるかに思想の自由が保障されていた時代だった。あえて言えば朴大統領時代のほうがよっぽど深刻だった。おかげで各学派は自分なりの歴史研究に邁進できた。しかし,やはり朝鮮総督府の目には,穏健で,それなりに植民地支配に悪影響が少ない歴史学派は文献考証学派だった。それで朝鮮総督府の朝鮮史編纂委員会には,多くの文献考証学派の学者たちが属していた。その代表的な人物が韓国史学界の巨木,斗渓李丙先生だ。李丙先生は1896年龍仁生まれで,宝城専門学校(のちの高麗大)を出て,早稲田大学で史学を学び,京城帝国大学文理科教授まで歴任した。もちろん解放後の韓国の史学界でも重きをなしていた人物だ。

 日帝時代のほとんどの朝鮮総督府主管歴史編纂は,考証史学派によって進められたため, 社会主義史学派は当然つまはじき者だった。プロレタリア革命に対する日本政府のアレルギーは朴統が見せた共産主義者アレルギーに劣らなかったので,研究においては問題がなかったとはいえ、出版や講演のようなものは部分的に弾圧を受けていた。彼らは解放後,朝鮮民主主義人民共和国に大挙移住し,以後,北朝鮮の歴史編纂の中心人物になる。

 解放以後の韓国史学界の分裂の様相は,歴史学者の朴賛勝(韓国歴史研究会,韓国社会史学会、韓国私学史学会、歴史文化学会会員であり,木浦大史学科教授歴任)先生の論文,『分断時代南韓の韓国史学』を引用すれば次のような様相だった。

 1948年~50年頃の南韓の韓国史学界には,ソウル大文理学部史学科の李丙,金庠基,孫晋泰,李仁栄,柳洪烈と,社会学科の李相佰,政治学科の李瑄根,高麗大学史学科の申奭鎬(国史館副館長兼任),洪以燮,延喜大学の李鴻稙,国立博物館の金載元,そして経済史側に東国大学の崔虎鎭,全錫淡,高麗大学の趙璣濬などがいた。このうち新民族主義歴史学を唱えていた孫晋泰,李寅泳は6・25(朝鮮戦争)のとき北へ拉致され,マルクス主義を奉じていた全錫淡は6・25のときに北へ渡った。こうして韓国にはそれまでの学者たちのうち,文献考証史学者だけが残ることになったのだ。

 人名がたくさん出てきて,専門用語が出始めると頭に痙攣が走る一部の読者諸氏のために要約すれば,解放後の南韓では朝鮮総督府朝鮮史編纂委員会出身の李丙先生を中心とする文献考証史学派が勢いを得たということだ。この文献考証学派の中心を成したのは震檀学会だ。彼らは解放後,実質的に韓国の歴史学会を主導した中心軸であり,今現在,われわれが使っている国史教科書は,彼ら震檀学会出身の学者たちの手によって構築された韓国史の執筆方針と軌を一にしているのだ。

 OK,すでに皆さんは何かがわかり始めたはずだ。そうだ,朝鮮総督府が中心になって委嘱した朝鮮史編纂委員会メンバー出身の故斗渓李丙先生が中心になって,1934年に組職された文献考証学派である震檀学会が,解放以後,理念対立の中で唯一無二の競争者だった社会主義史学派が北韓に渡っていった後,完壁に韓国の史学界でその地位を確固たるものにしたということ。そしてわれらの誇らしき「国史」教科書が,この震檀学会の研究的後継線上に存在するということ。ああ!頭が沸騰しそうに複雑な韓国近代史よ!

 理解ができない読者はもう一度このページを読んでみてほしい。それでも理解できなければ3秒間目をつぶって自己反省の時間を持った後,このページを果敢に読み飛ばしていただきたい。自分の頭の悪さを嘆きながら…。


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4 コメント

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このブログは・・しばらく放置するのも一考です (ひまわり)
2007-06-16 06:39:17
>もちろん,私が売るといっても大韓民国を買ってくれる人もなかろうが,どうすればこの国がもっと住みやすく,平等で,幸福に生活できるのかを,熱き想いで悩み,苦しむ(主に便器の上で)愛国青年なのだ。

韓国は、日本のことより、自国の問題と真摯に向き合うべきです。特に、若者の問題は深刻です。猫も杓子も大学へ向ったまではよいのですが、大変な就職難・・。女性蔑視も凄まじい。植民地時代、日本が下心も無いのに、併合なんかしません。日本の併合政策に問題は、あったと思います。ただ、それらを割り引いても、韓国の近代化に、日本が果たし役割は、大きいとみています。現在でも、日本製品を分析し、技術のパクリをオ狙っています。お菓子ぐらいは目をつぶっても良いかも(笑い)。自画自尊教育も容認。ただ、チョッパリ的反日捏造教育だけは絶対許せません。

それはさて置き、このブログは、このまま残して欲しいですね・・。帰国後もしばらく放置すれば、その時点までは犬鍋の韓国便りである事は間違いありませんから・・

その後は、お任せします。勉強になることが多くもったいないですから・・

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放置 (犬鍋)
2007-06-17 07:28:40
ブログって、更新しなくなっても消えることはないんですよね。

当分の間、「晒す」つもりです。
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申奭鎬さんのことが知りたくて (ぷよぷよ)
2009-04-30 13:39:26
「当分」なんて言わずに半永久的に晒しておいてもいいぐらいだと思いますよ。

申奭鎬さんのことが知りたくてググってたらこのファイルに辿り着いたぐらいですから。
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ぷよぷよさん (犬鍋)
2009-05-05 01:30:20
コメントありがとうございます。

申奭鎬さんについては,この記事以外の情報はありません。たぶん史学界の大物なんでしょうね。
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