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犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

小学校の同窓会

2013-11-25 23:23:32 | 日々の暮らし(帰任以後、~2015.4)

 少し前の話になりますが、私の出身の小学校で同窓会が開かれました。

 最近、ときどき老母の住む地元の町に帰ります。商店街を歩いていて偶然見つけたポスターで、同窓会の開催を知りました。

 私は中学受験で多くの級友とは違う中学校へ進学したので、小学校時代の友だちとは早くから疎遠になりました。長じて、実家に帰るたびに、母から級友の消息を聞きましたが、引っ越した家も多く、今はほとんど地元に残っていない模様。

 それでも、久しぶりの同窓会に誰か来るかな、と期待して、やはり卒業生の兄(4学年上)と出かけました。


 私の母校は創立60周年というから、日本とミャンマー国交樹立の前年にできたことになります。高度経済成長が始まったころ、畑だらけだったところに住宅が次々とできて、もともとあった小学校がパンク。それで数百人の小学生を連れて、分校を設立。本校には絶対に負けないぞ、という意気込みでスポーツ大会では闘士を燃やしたなどと、一期生のおじいさんが昔話をしてくれました。

 同窓会長のあいさつによれば、同窓会の開催は30年ぶり! 会長の怠慢を曝しているようなものですが、名簿類も揃っておらず、今回の連絡も街中のポスターとホームページが中心。

 会場の体育館には、5年きざみぐらいでテーブルが用意されていました。1期から10期ぐらいまでのテーブルには、老人たちが結構な数集まって談笑するなか、私の兄の15~20期ぐらいは閑散。

 残念ながら、私の同期は皆無。同期生のお兄さんと話ができた程度でした。考えてみれば40代~50代は働き盛りで、住んでいるところが違えばわざわざ来る暇はないんでしょう。

 友だちには会えなかったけれど、体育館の壁には懐かしい写真が一杯。私が入学したときは木造校舎でしたが、それが手狭になると、鉄筋校舎の工事が始まった。私が3、4年生のときは、急造されたプレハブ校舎での授業でした。

 卒業生には大した人物がいないのか、いるけれど連絡がつかなかったのか、小学校の野球チーム出身で甲子園で活躍した人とか、今お笑い芸人として売り出し中なんていう小粒の人々が挨拶をしていました。まだまだ続きそうでしたが、途中で退出。

 次はいつ開かれるのかわかりませんが、定年を迎えた後に来れば、同期の人々も暇になって、再会できるかもしれません。


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