わが家の居間で、小さな座卓を使っています。大きさや高さが、孫の食事にちょうどいいからです。
「これ、ずいぶんはげちょろけてるね。そろそろ買いかえようか」
「はげちょろける? 何それ?」と三女。
「え? 使わない? 剥げてるところが多いってこと」
「聞いたことないよ」
「聞いたことはあるけど、使ったことはない」と妻。
「じゃあ、この状態をなんて言うの?」
座卓を指さして言いました。
「キズだらけかな」
不安になって、辞書を引いてみました。「三省堂国語辞典」の 最新版(2022年、第8版)です。
はげちょろ【剥げちょろ】〔俗〕ところどころがはげてみにくいようす。はげっちょろ(け)。はげちょろけ〔動詞化して、はげちょろける〕。
この言葉、小さいころから使っていた気がします。
家にあるもっとも古い辞書、『新明解国語辞典』(三省堂、初版、1972年)にも、ちゃんと出ていました。
はげちょろ〔色・塗料・髪の毛などが〕あちこちはげていること。
はげちょろけ「はげちょろ」の強調形。(動)はげちょろける
この項の一つ前には、
はげちゃびん【禿げ茶瓶】〔俗〕禿げ頭(の人)を悪く言う言葉。
というのがありました。
ちゃびんが茶瓶であるということを、初めて知りました。
「はげちょろけ」は、50年前の新明解では〔俗〕という表示がなく、2022年の三国では〔俗〕となっています。
50年間で、俗語化したということなんでしょう。
なお、新明解初版も、三省堂国語辞典も、見坊豪紀が中心的な役割を果たしています。見坊は、『新明解』の前身の『明解国語辞典』のときから実質的執筆者でしたが、『三省堂国語辞典』が出た後、主幹の山田忠雄との「辞書観」の違いから袂を分かち、『新明解』から手を引いて『三国』に専念するようになります。
辞書の話~見坊豪紀①
当然のことですが、私の手元にある『新明解』初版は、そうとうにはげちょろけてます。
「これ、ずいぶんはげちょろけてるね。そろそろ買いかえようか」
「はげちょろける? 何それ?」と三女。
「え? 使わない? 剥げてるところが多いってこと」
「聞いたことないよ」
「聞いたことはあるけど、使ったことはない」と妻。
「じゃあ、この状態をなんて言うの?」
座卓を指さして言いました。
「キズだらけかな」
不安になって、辞書を引いてみました。「三省堂国語辞典」の 最新版(2022年、第8版)です。
はげちょろ【剥げちょろ】〔俗〕ところどころがはげてみにくいようす。はげっちょろ(け)。はげちょろけ〔動詞化して、はげちょろける〕。
この言葉、小さいころから使っていた気がします。
家にあるもっとも古い辞書、『新明解国語辞典』(三省堂、初版、1972年)にも、ちゃんと出ていました。
はげちょろ〔色・塗料・髪の毛などが〕あちこちはげていること。
はげちょろけ「はげちょろ」の強調形。(動)はげちょろける
この項の一つ前には、
はげちゃびん【禿げ茶瓶】〔俗〕禿げ頭(の人)を悪く言う言葉。
というのがありました。
ちゃびんが茶瓶であるということを、初めて知りました。
「はげちょろけ」は、50年前の新明解では〔俗〕という表示がなく、2022年の三国では〔俗〕となっています。
50年間で、俗語化したということなんでしょう。
なお、新明解初版も、三省堂国語辞典も、見坊豪紀が中心的な役割を果たしています。見坊は、『新明解』の前身の『明解国語辞典』のときから実質的執筆者でしたが、『三省堂国語辞典』が出た後、主幹の山田忠雄との「辞書観」の違いから袂を分かち、『新明解』から手を引いて『三国』に専念するようになります。
辞書の話~見坊豪紀①
当然のことですが、私の手元にある『新明解』初版は、そうとうにはげちょろけてます。
「ちょろけ」というのは関西では「ふざける」という意味ですが、関係がしっくりきません。
京都では「はげちょろけ」は色褪せたという意味で使うとあります。
「はげちゃびん」は子供の頃よく使いました。「どびんちゃびんはげちゃびん」という遊びがチャンネルを回してた頃、テレビでやっていました。
ちなみに祖母は新潟、妻は茨城です。
どびんちゃびんはげちゃびんは、かすかに記憶にありますが、自分はやらなかったような…。
はげちょろけるは、一般的ではないんですね。使う場面もあまりないし。
「ごはんがこわい」は子どもの頃、母がよく使っていました。「三国」にも載っていて、漢字は「強い」だそうです。
ごはん絡みでいうと、「おかったるい」という言葉も、家庭内でよく聞きました。「量がたりない、物足りない」というような意味で、おかずよりごはんについて言っていたようです。
「三国」にはないので、一般的ではないかもしれません。