「ハワイ語」というとき,普通はマレーポリネシア語のハワイ語のことを意味しますが,ハワイアンイングリッシュ(ハワイ英語)のことを指すこともあるらしい。
ハワイ英語というのは,ピジン語の一つです。
複数の言語が接触し,発音は一方の言語に依存しつつ,語彙と文法はもう一方の言語に依存するという具合で,新しい言語が生まれることがありますが,これを「ピジン語」といいます。
ハワイ英語もそのような「ピジン化」を経た,ハワイ独特の英語です。
ハワイがキャプテンクックによって発見されたとき,約30万人が住んでいたものが,ヨーロッパ人の入植により人口が激減し,1850年ごろには7万人になっていたということは以前書きました(→リンク)。
(そのときの記事も,今日の記事も,西江雅之『風に運ばれた道』(以文社1999年)からの引用です)
1870年代の終わりごろから,ヨーロッパの英語系住民が所有するサトウキビ畑で働くアジア系の住民が激増。日本人,中国人,フィリピン人からポルトガル人,プエルトリコ人までが,農園労働者としてハワイの島々に集まってきました。
1900年ごろには,このようなハワイ以外からの労働者の数は,ハワイ人やヨーロッパ系住民の人口総数の二倍にもふくれあがっていたそうです。
こうした多言語状況にある農園で,ハワイの英語系ピジンは徐々に形成されていきました。中には,ピジン語を「母語」とする子どもたちも育っていき,1920年ごろには,ピジン語としてのハワイ英語が完成の域に達していたとのことです。
ピジン語が定着し,もとの言語を消し去るまでになったとき,その言語は「クレオール語」と呼ばれます。ハワイのピジン英語は,ほとんどクレオールの水準まできていたといえるでしょう。
例をあげると,
Ai bin bai wan ka.<英語 I bought a car.
Ai gon bai wan ka.<英語 I willl buy a car.
Wa yu ste du?<英語 What are you doing?
動詞の活用は失われ,「bin」が過去,「gon」が未来,「ste」が進行を表します。それぞれ「been」「go」「stay」から来たと思われますが,もとの単語の意味はもっていません。
その後,ハワイがアメリカの州の一つとなり,英語のアメリカ大陸方言(米語)がラジオ,テレビ,映画で毎日のように流されるようになると,ハワイ英語は圧迫されていきます。現在,ハワイ英語はホノルル市内の商店街や,会社での仕事中に聞くことはほとんどないけれども,オアフ島の田舎や,カウアイ島,マウイ島ではまだ聞かれるとのこと。
ところで,ピジン英語は,かつて日本にもあったそうです。終戦後,米軍に占領されていたとき,歓楽街の一画で日本女性たちが使っていた英語です。
「ヘイ・ユー。ホワイ・ユー・ドン・カム・イエスタデー?
ユー・ノーグッドよ。
ジョンはカムね」
韓国で見た日本映画「この世の外へ クラブ進駐軍」(リンク)の中で,いわゆるパンパンがこの手の英語を話していました。
米国がハワイ,フィリピンに続いて日本を占領し,独立を許すことなく占領を続けていたら,この日本語系ピジン英語が日本の国語になっていたかもしれません。
ハワイ英語というのは,ピジン語の一つです。
複数の言語が接触し,発音は一方の言語に依存しつつ,語彙と文法はもう一方の言語に依存するという具合で,新しい言語が生まれることがありますが,これを「ピジン語」といいます。
ハワイ英語もそのような「ピジン化」を経た,ハワイ独特の英語です。
ハワイがキャプテンクックによって発見されたとき,約30万人が住んでいたものが,ヨーロッパ人の入植により人口が激減し,1850年ごろには7万人になっていたということは以前書きました(→リンク)。
(そのときの記事も,今日の記事も,西江雅之『風に運ばれた道』(以文社1999年)からの引用です)
1870年代の終わりごろから,ヨーロッパの英語系住民が所有するサトウキビ畑で働くアジア系の住民が激増。日本人,中国人,フィリピン人からポルトガル人,プエルトリコ人までが,農園労働者としてハワイの島々に集まってきました。
1900年ごろには,このようなハワイ以外からの労働者の数は,ハワイ人やヨーロッパ系住民の人口総数の二倍にもふくれあがっていたそうです。
こうした多言語状況にある農園で,ハワイの英語系ピジンは徐々に形成されていきました。中には,ピジン語を「母語」とする子どもたちも育っていき,1920年ごろには,ピジン語としてのハワイ英語が完成の域に達していたとのことです。
ピジン語が定着し,もとの言語を消し去るまでになったとき,その言語は「クレオール語」と呼ばれます。ハワイのピジン英語は,ほとんどクレオールの水準まできていたといえるでしょう。
例をあげると,
Ai bin bai wan ka.<英語 I bought a car.
Ai gon bai wan ka.<英語 I willl buy a car.
Wa yu ste du?<英語 What are you doing?
動詞の活用は失われ,「bin」が過去,「gon」が未来,「ste」が進行を表します。それぞれ「been」「go」「stay」から来たと思われますが,もとの単語の意味はもっていません。
その後,ハワイがアメリカの州の一つとなり,英語のアメリカ大陸方言(米語)がラジオ,テレビ,映画で毎日のように流されるようになると,ハワイ英語は圧迫されていきます。現在,ハワイ英語はホノルル市内の商店街や,会社での仕事中に聞くことはほとんどないけれども,オアフ島の田舎や,カウアイ島,マウイ島ではまだ聞かれるとのこと。
ところで,ピジン英語は,かつて日本にもあったそうです。終戦後,米軍に占領されていたとき,歓楽街の一画で日本女性たちが使っていた英語です。
「ヘイ・ユー。ホワイ・ユー・ドン・カム・イエスタデー?
ユー・ノーグッドよ。
ジョンはカムね」
韓国で見た日本映画「この世の外へ クラブ進駐軍」(リンク)の中で,いわゆるパンパンがこの手の英語を話していました。
米国がハワイ,フィリピンに続いて日本を占領し,独立を許すことなく占領を続けていたら,この日本語系ピジン英語が日本の国語になっていたかもしれません。
動詞の活用欠いてるらしいし。
英語もノルマンコンクエストの下で屈折を欠くようになったらしいとか。
これは関係ないか。
原始の人々は皆(アイヌ語やネイティブ・アメリカンのような)抱合語の類を話していた。
ただし、長い年月がたって異民族同士は話が通じない。
で、その異民族が出会ってクレオール化する事で、一段階文法がばらけて(単純化されて)屈折語や膠着語になった。
で、これらを話す人々が出会うことでさらに分解が進み孤立語が誕生。
クレオール化のレベルが高い=民族混交が進んだ文化ほど単純な文法の言語を話す。
…なんて、どうでしょね?
フンボルトは,鉱物段階の単音節・孤立語(中国語など)から,植物段階の膠着語(日本語など)をへて,動物段階の屈折語(ラテン語など)へ進化したとし,西欧の諸言語が最も進化した言語だと主張していたはず(うろ覚え)。
中国(と周辺諸国)は,人口が多いなかで長い間戦乱などで民族が交じり合い,「比較言語学」が成立しにくいのかも。
日本語クレオール論も,最近は支持する人が多いようですね。