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犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

エースのジョー

2010-11-17 23:37:16 | 日々の暮らし(帰任以後、~2015.4)
 ドラフトで巨人の一位指名を受け,巨人への入団が決まった中央大学の速球投手,澤村拓一の背番号が「15」に決まったそうです。

 伝説の名投手,澤村栄治(背番号14,永久欠番)の上をいくように,という願いがこめられているとのこと。

 澤村栄治については漫画「巨人の星」と,子供のころに読んだ「ベーブ・ルース」の伝記を通してしか知りません。プロ野球草創期の立役者で,3回のノーヒットノーラン(うち一つは完全試合)を打ち立てるなど,華々しい活躍をしましたが,戦争に応召。最後は,乗っていた輸送船が米潜水艦に撃沈されて,戦死。

 戦後,その栄誉をたたえて,「澤村賞」にその名を残しています。

 拓一選手のほうは神宮球場で157キロという速球を記録しましたが,戦前の日米野球でベーブルース,ルーゲーリックを連続三振にしとめた栄治選手の球速は何キロだったんでしょうか。

 ところで,巨人の「15」番といえば,私の記憶に残っているのは城之内選手です。

 かつての巨人の黄金時代,V9の初期に活躍した選手。1962年に入団し,5年で100勝をあげるという活躍をして「エースのジョー」と呼ばれました。

 私自身は往年の活躍を自分の目で見たという記憶はない。じゃなんで覚えているかというと,ご近所だったからです。

 私が幼少期を送ったのは東京都大田区。その当時,巨人軍の練習グラウンドが多摩川の河川敷にありました。一軍選手が多摩川に練習に来る日には,練習を見に行き,V9選手たちのサインをもらったりしていました。

 そして,グラウンドからほど近い大田区には,たくさんの巨人軍選手が住んでいました。城之内のその一人でした。(もちろん,長島のようなスーパースターは田園調布などの高級住宅地に住んでいましたが…)

 私の家から歩いて一分。残念ながら区画が違っていたので,「回覧板」を回す仲ではありませんでした。でも,私が草野球をするころになって,近くでキャッチボールをしていると,ときどき声をかけてくれました。

 そしてあるとき,城之内選手の使い古しのグローブをもらったのですね。とても大きなグローブで,小学生の軟式野球に使うわけにはいきませんでしたが,そのグローブはしばらくの間,犬鍋家の「家宝」になっていました。

 ちなみに,1969年,城之内選手は登板した試合で巨人が3-1でリードしていた4回,399勝をあげていた金田正一投手にマウンドを譲り,400勝をプレゼントしました。

 エースのジョーの背番号を受け継いだ,澤村拓一選手の活躍を期待しています。

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