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犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

自動車事故の思い出

2020-01-27 23:32:24 | 思い出
 帰省した時、家で湊かなえの『リバース』という本を見つけました。娘の誰かが買ったもののようです。ドラマにもなったそうですね。 新幹線の中で読み始め、その晩に一気に読了しましたが、読みながらいろいろ思い出すことがありました。 小説では、大学のゼミの友達同士で、別荘に行くという設定でした。遅れてきた友達を迎えに行くために、免許をとったばかりの一人が車で駅に向かったが、その途中で車が崖から転落して、炎上 . . . 本文を読む
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中曽根元総理の思い出

2019-12-03 22:38:22 | 思い出
 11月29日、元首相の中曽根康弘氏が亡くなりました。ご冥福をお祈りします。 享年101歳。大往生ですね。 中曽根さんは、私が大学生の時に首相になりました。 首相になる前のことだと思いますが、一度、中曽根さんの家に、お中元を届けたことがあります。 私がお中元を贈ったという意味ではなく、「運んだ」という意味ですが。 大学の夏休み、友人から、アルバイトの代行を頼まれました。銀座千疋屋という高級フルーツ . . . 本文を読む
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滞韓26年!

2018-11-07 23:26:21 | 思い出
 私が韓国に駐在していたとき、韓国で多くの韓国人、日本人と知り合いました。 日本人の多くは私と同じ駐在員。駐在員の任期はだいたい3~5年ですから、私の駐在が長引くにつれ、帰任される方が多く、私が11年4か月の駐在生活を終えるとき、韓国での滞在期間が私より長いという人はほとんどいませんでした。 数少ない例外が1996年に知り合った当時、延世大学の大学院生だったKさん。 私が韓国に行ったとき、すでに滞 . . . 本文を読む
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伯母の死

2016-02-19 23:09:42 | 思い出
 先日、私の父方の伯母が92歳で他界しました。肺炎を起こして入院後、しばらく寝たきりの状態でしたが、心不全で静かに亡くなったとのことです。 伯母は大正12年生まれ。 銀座に住んでいた私の祖父母は、大正12年の9月に関東大震災に遭いました。臨月だった祖母は、火に包まれた都心から逃げまどい、歩いて品川の親戚の家までいったあと、5日後に予定日よりかなり早く伯母を出産したそうです。 姑(祖父の母)からは、 . . . 本文を読む
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50年前の記憶

2016-01-09 23:22:13 | 思い出
 小学校一年生のときに、入院中の病棟で「ゲゲゲの鬼太郎」を見たのを覚えている、ということを「水木しげる」の記事で書きました。-小学校一年生のときはどんな子だった?と聞かれたとしたら、どう答えるかなあ、と考えてみました。 正直言って、50年近く前のことはよく覚えていません。  私は4月1日生まれで、同学年の中で最年少。そのため身体的発育面でハンデがあり、体が小さく、けんかも弱かった。入学してまもな . . . 本文を読む
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野坂昭如の思い出

2015-12-31 23:44:53 | 思い出
 今年も、いろいろな人が亡くなりました。野坂昭如さんもその一人。 野坂昭如といえば、アニメ化もされた「火垂るの墓」と、「朝まで生テレビ」での激論を思い出します。 「火垂るの墓」は、戦争で良心を亡くした兄と妹が、助け合いながら生きようとするも、戦後の食料難の中、妹が栄養失調で死んでしまうという悲しい物語です。 これは、野坂昭如自身の実話に基づいているとのことですが、本当の実話は、兄である昭如氏が、赤 . . . 本文を読む
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シェワルナゼ氏追悼

2014-07-23 23:41:40 | 思い出
 少し前になりますが、7月7日、元ソ連外相、グルジア大統領のシェワルナゼ氏が86歳で亡くなりました(→リンク)。 2007年にエリツィン氏が亡くなったときにも書きました(→リンク)が、私は、韓国をウォッチするようになる前、しばらくの間、ソ連ウォッチャーでした。「ソ連」なんて、なつかしいですね。時期的には1980年代後半の約5年間。 ゴルバチョフ時代になって、ソ連ウォッチングが俄 . . . 本文を読む
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50年前の日本

2012-01-04 23:02:15 | 思い出
 年末に兄(55歳)と飲んでいて、子供の頃の話に花が咲きました。 昔の話というのは同年配の人達と話していても、意外に盛り上がらない。というのは、それぞれ育った地方や家庭環境が違うので、同時代を生きていても記憶に残っていることが違うからですね。たとえば妻は歳が同じだけれども、島根県育ち。私は東京育ちですから、話が合わない。 子供の生活圏というのは非常に限られていて、世間が極端に狭い。いきおい、子供の . . . 本文を読む
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リビア人の思い出

2011-03-10 23:11:49 | 思い出
 私は若き日にフランスに語学研修に行ったことがあります。20歳のときのことです。 一カ月ずつ,別の語学学校に行きました。最初は温泉町ヴィシー。第二次世界大戦時,ナチスに占領され傀儡政権が置かれた街です。 翌月はカンヌ。映画祭で有名なリゾートです。 内陸のヴィシーと地中海沿いのカンヌ。ヴィシーが3月でカンヌが4月だったということもあるのでしょう。カンヌは暖かく,太陽がまぶしく,華やかだった印象があり . . . 本文を読む
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犬鍋家の一族

2011-03-02 23:36:04 | 思い出
 お坊さんのお話を聞いて,これまで亡くなった家族のことがあらためて思い起こされました。 私が犬鍋家に生を受けたとき,家族は7人でした。それから50年。そのうちの3人が他界しました。 まず小学校5年生のときに亡くなったのが祖父。享年75歳。祖父の生い立ちについて詳しいことはよくわかりません。男子のいなかった犬鍋家に,親戚筋から養子に来たことは聞いていました。早稲田実業を卒業後,十五銀行に就職。私が生 . . . 本文を読む
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ハクホウ時代

2010-11-19 23:41:06 | 思い出
 モンゴル出身の力士,白鵬の連勝が63で止まり,双葉山の69連勝を塗り替えることはできませんでした。 連勝が止まったとはいえ,朝青龍なきあと「一強」となった感のある白鵬,当分の間は「ハクホウ時代」が続きそうです。 ところで,以前にも一度,相撲界に「ハクホウ時代」がありました。「白鵬時代」ではなく「柏鵬時代」,横綱「柏戸(かしわど)」と「大鵬(たいほう)」の時代です。 私が物心ついたときが,まさに柏 . . . 本文を読む
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2010-09-18 23:24:29 | 思い出
 お酒の話ではありません。 ナマコン(南阿共)ワールドカップの記憶もだんだん薄れつつある今日このごろ,いまさらながら2002年,日韓共催ワールドカップについて書かれた本を読みました。 沢木耕太郎『杯(カップ) 緑の海へ』 沢木耕太郎といえば『テロルの決算』などのルポ,そして『一瞬の夏』をはじめとするすぐれたスポーツものを書いている。たいていの本は読んでいるのですが,この本は韓国滞在中だったため読み . . . 本文を読む
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ベントレーの思い出

2010-09-10 23:18:20 | 思い出
 私がカローラを買ったとき,ずいぶん車を研究したものでした。 当時,徳大寺有恒著『間違いだらけのクルマ選び』がベストセラーになっており,車選びの指針になっていた。そして,雑誌は同じく徳大寺さんが監修する「ベストカーガイド」という月刊誌(当時)を毎号読みふけりました。 あのころは車が若者の夢の一つだったですね。新しいスポーツタイプの車が出るたびに,そのスペックに心を踊らせていました。 そして私は大学 . . . 本文を読む
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懐かしい車

2010-09-08 23:13:21 | 思い出
 バンコクで送迎の車からふと斜め前方を見ると懐かしい車が目に入りました。約30年前のカローラ。1970年代末に出たモデルです。 なぜ懐かしいかというと,私が乗っていた車だからです。当時大学生だった私が免許をとって,最初に手に入れた車がパブリカ。カローラよりも前に出た1000ccの大衆車。ある銀行で営業車として使われたものを,4万円で譲ってもらったものです。クーラーもカセットデッキもついていない,た . . . 本文を読む
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タイムカプセル

2010-07-12 11:39:14 | 思い出
 私が小学校を卒業したとき,校庭の片隅に「タイムカプセル」というものを埋めた記憶があります。数十年後に同窓会かなんかで掘り起こして昔を懐かしむという趣向です。 時折しも,1970年に大阪で万博が開かれ,100年後(?)に掘り起こす予定でタイムカプセルが埋められたことが全国的に報道されたのがきっかけになったもののようです。全国の学校でタイムカプセルがブームになりました。 わがクラスも,生徒それぞれが . . . 本文を読む
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