少し前になりますが、7月7日、元ソ連外相、グルジア大統領のシェワルナゼ氏が86歳で亡くなりました(→リンク)。
2007年にエリツィン氏が亡くなったときにも書きました(→リンク)が、私は、韓国をウォッチするようになる前、しばらくの間、ソ連ウォッチャーでした。「ソ連」なんて、なつかしいですね。時期的には1980年代後半の約5年間。
ゴルバチョフ時代になって、ソ連ウォッチングが俄然面白くなりました。ペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)、ノーヴォエ・ムイシレーニエ(新思考外交)が、ゴルバチョフ政治のキーワードでした。ミスター・ニエットと呼ばれたグロムイコ外相が、28年間務めた外相から、ソ連最高会議幹部会議長(国家元首)に祭り上げられ、それに代わって登用されたのが、シェワルナゼでした。
その後シェワルナゼは、ゴルバチョフの外交面の右腕として活躍し、アフガニスタンからのソ連軍撤退、東欧の民主化容認、ベルリンの壁崩壊など、次々にノーヴォエ・ムイシレーニエ(新思考外交)を実践していきました。
当時はインターネットなんてありませんから、情報収集はもっぱら本と新聞、雑誌に頼っていました。ソ連に関する日本語の書籍を買い漁り(あまり数が多くなかった)、手当たり次第に読破しました。日本の主要6紙(朝毎読日産東)の、主に国際面を読み、ソ連に関するニュースをスクラップするのが、私の毎日の午前中の日課でした。
後日、三省堂国語辞典の見坊豪紀が、毎日、新聞六紙を読破して、新語・新用法を渉猟していたという話を読み、見坊の苦労が他人事に思えなかったのを覚えています。(→リンク)
ソ連の刊行物も講読していました。プラウダ(共産党機関紙)、イズベスチャ(政府機関紙)、クラースナヤズベズダ(軍機関紙)、ノーヴィミール(新世界)など。大学時代に半年だけロシア語を履修したのでキリル文字は読めましたが、初等文法を途中までしかやらなかったので、せいぜい見出しを読むくらいでしたが。
ゴルバチョフ時代になって、なにせグラスノスチ(情報公開)ですから、新聞スクラップの量が増え、急に忙しくなりました。アンドロポフ、チェルネンコ時代は、ソ連から出てくる情報がほとんどないため、赤の広場のクレムリン宮殿の上にソ連高官が並んだときの並び順から、政治局内の序列を類推するなどという、子どもじみたことを、ソ連の専門家たちが真顔で行っていました。
チェルノブイリ原発事故や、東欧の共産主義国家が次々と倒れていくとき、ニュースを刻々と追いながら、歴史の大きな転換期を目の当たりにする思いでした。
ゴルバチョフの外遊には、シェワルナゼ外相だけではなく、エレガントなライサ夫人も必ず同行していましたね。
1990年、三十歳を目前にして、私は転職し、ウォッチの対象をソ連から朝鮮半島に移したため、ソ連に対する関心は急速に失せていきましたが、ゴルバチョフ、エリツィン、シェワルナゼの三氏の名前は、私の二十代後半のなつかしい思い出として残っています。
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