BOOK、CDなど

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2 失念防止のためのメモ

1961年(昭和36年)から1965年(昭和40年)まで

2009年01月03日 | ネット・ニュースなど

〇名張毒ぶどう酒事件(5人)~1961年(昭和36年)3月28日、三重県名張市郊外の村で、生活改善クラブの寄り合いで女性陣が飲むぶどう酒に農薬のテップ剤を仕込み、妻、愛人などを含む5人が死亡、12人が重軽傷。

元クラブ会長だった奥西勝(34)は狭い村の中で妻の他にも数人と関係を結んでいたが、特に愛人との中を周囲に知られて妻との仲が険悪になっており、一切を精算しようとするために妻殺しを企んだのが動機とされる。

当初は妻による無理心中説も出ていたが、事情を追求された奥西が自白し、逮捕された。しかし、裁判では一貫して無罪を訴え続けた。一審無罪判決。二審で逆転死刑判決。1972年6月、最高裁で死刑が確定。

証拠らしい証拠もなく、村は男女関係がオープンで不倫は日常茶飯事だったことから動機自体に疑問を持つ声も多い。2005年4月、奥西死刑囚の第七次再審請求に対し、名古屋高裁は再審開始の決定を出すも、名古屋高検は異議申立を提出。2006年12月26日、名古屋高裁は異議申立を認め、再審開始の決定を取り消した。現在、特別抗告中。(
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〇草加次郎事件(0人)~1962年(昭和37年)11月4日、東京都品川区の歌手島倉千代子後援会事務所で爆発が起き、事務員がけがを負った。原因はボール紙製の爆発物で、「草加次郎」の署名入りだった。

「草加」はほかにも東京・京橋の地下鉄京橋駅ホームで10人の重軽傷者を出した爆発事件など、この年に6件の爆発騒ぎを起こした。その後も次々と事件を引き起こし、爆発7件、脅迫状14件、狙撃1件。負傷者14名にのぼる。犯人は「草加次郎」と名乗り、指紋も検出されたが、1978年9月5日、時効成立。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)    

〇吉展ちゃん誘拐殺人事件(1人)~1963年(昭和38年)3月31日、東京・入谷の建築業者の長男の吉展ちゃん(4)が行方不明になり、犯人と目される男から50万円の身代金の要求があった。警察のミスにより金は奪われ、犯人は逃走。ラジオやテレビで犯人の声を公開するなど異例の捜査が行われた。警察側は名警部と言われた平塚八兵衛警部を陣頭指揮に活動。

声が似ているとの電話によるたれ込みから、1965年7月、元時計修理工小原保(32)を逮捕。小原は二度、捜査線上にあがっていたものの、アリバイがあるということから犯人ではないと目されていた。平塚警部は再捜査の上、小原を尋問、追求。アリバイが破れ、小原は自白。吉展ちゃんは荒川区の円通寺にて遺体で発見された。

1966年3月17日、東京地裁で死刑判決。1966年11月29日、東京高裁で控訴棄却。1967年10月13日、最高裁で死刑確定。小原は拘置所の中で短歌を学び、更生したという。1971年12月23日死刑執行。享年38。(
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〇狭山事件(1人)~1963年(昭和38年)5月1日、埼玉県入間川の女子高生Yさん(16)が行方不明になった。その日の夜、20万円を要求する脅迫状が届けられる。3日未明、Yさんの姉が待つ受け渡し場所に犯人が現れるが、姉と二言三言交わした後、警察が張り込んでいることを察知して逃走。警察もすぐ後を追ったが、逃げられるという失態を犯す。

5月4日、入間川の農道で死体が発見された。顔見知りの犯行という可能性が強かったが、突如被差別出身のI(24)が逮捕された。Iさんは警察の誘導に引っかかり、自白。一審死刑判決。控訴審から無罪を主張したが、二審無期懲役判決。1977年8月、無期懲役が確定。Iさんは冤罪を主張、再審請求を求める。

解放同盟を中心に、多くの支援者が後押しをしている。Iさんは1994年に仮釈放。2005年、第二次再審請求が最高裁で棄却された。2007年、第三次再審請求を提出。

Yさんの元使用人が遺体発見の明後日に井戸に投身自殺。11日には犯行現場で怪しい三人組を見たと届けた男がノイローゼで自殺。

1964年7月にはYさんの姉が農薬を飲み自殺。1966年10月には、当時参考人リストに載っていた中年男が電車に轢かれて死亡。

1977年10月にはYさんの次兄が首吊り自殺。Yさんの周辺に変死者が続出しており、多くの謎が今も残っている。(
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〇西口彰連続強盗殺人事件(4人)~前科四犯、トラック運転手西口彰(37)は1963年(昭和38年)10月18日、福岡県で専売公社集金車を襲撃し、職員、運転手の2人を殺害、27万円を奪って逃走した。すぐに全国指名手配され、23日には捜査本部に「自分が犯人であるが、自殺する」という手紙を投函した。10月25日、宇高連絡船から投身自殺を図った形跡があるとの連絡があったが、偽装自殺と断定。

広島に現れた西口は、電気店から寄付名目でテレビを騙し取り、質に入れて8万円を手に入れる。11月15日、浜松市で大学教授と偽って旅館に泊まり、女将(41)と母親(60)を絞殺、宝石類、現金を奪った。12月には千葉地方裁判所、兜町、福島県、苫小牧市などで詐欺を働いている。12月29日には弁護士(82)を絞殺、現金や弁護士バッチを奪った。

1月2日、西口は熊本県に現れ、福岡事件で判決を受けた二人の死刑囚の救援活動を続けている教誨師(43)のところに訪れ、弁護活動を支援すると約束。ところが小学生の娘(11)は、弁護士の顔が駐在所の手配書とそっくりであることを思い出し、母親に告げた。母親は駐在所で確認、警察に連絡し、ついに西口は逮捕された。1964年12月、福岡地裁死刑判決。「史上最高の黒い金メダルチャンピョン」「悪魔の申し子」と呼ばれた。1966年8月、突如上告を取り下げ、死刑確定。1969年12月、死刑執行。享年43。(
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〇少年ライフル魔事件(1人)~1965年(昭和40年)7月29日午前11時頃、神奈川県座間町の山中、銃の禁止区域内でライフルを発砲していた少年片桐操(18)を職務質問しようとしたT巡査(21)が、ライフルで撃たれて死亡。

「おどかすつもりでライフルを右に振りながら引き金を引いたら、引くのが早すぎて当たってしまった」との供述が残されている。片桐は巡査から警察手帳、拳銃、制服、ズボンを奪って警官になりすます。

発砲後、まもなくパトカーで駆けつけたT巡査(27)、S巡査(23)がパトカーから降りた瞬間、片桐は両巡査に発砲して逃走。S巡査は重傷、T巡査はバンドの留め金に弾が当たったため奇跡的に無傷であった。

その後片桐は人質を取って車で逃走。銃砲火薬店に人質4人を取って立て籠もり、銃を乱射した。午後7時、警察からの催涙弾で、二人を盾にして外に出てきたところを逮捕される。警官隊との市街戦で16名が重軽傷を負った。片桐は警察の調べに「好きな銃を思いっきり撃ってスカッとした」と供述した。

少年であったことから矯正の可能性があると、東京地裁で一審無期懲役判決。しかし、片桐自身が「銃への魅力は、今なお尽きない。将来社会へ出て、再び多くの人に迷惑を掛けることのないように、死刑にしてほしい」と主張したためか、二審東京高裁で死刑判決。1969年、最高裁で死刑確定。1972年7月21日、死刑執行。享年25。(
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〇古谷惣吉連続殺人事件(10人)~1965年(昭和40年)11月9日、滋賀県大津市で海水浴場管理人(59)の絞殺死体が発見される。22日、福岡県新宮町で英語塾教師(50)が死体で発見された。遺留品からOさんが犯人と目されたが、11月29日、既に死体となっていた廃品回収業者Oさん(57)が絞殺死体で発見された。

10月30日に殺害されていた。12月9日、警察庁は広域重要事件105号に指定。12月11日、京都市で二人の廃品回収業者(60、67)の絞殺死体が発見。現場から前科のある古谷惣吉(50)の指紋が検出された。12月12日、警察庁は全国指名手配するもわずか18時間後、西宮市大浜町の廃品回収業者の老人二人を襲って殺した後、巡ら中の芦屋署の警官三人に職務質問を受け、現行犯として逮捕された。

取調中、12月5日に大阪府高槻市で建設作業員(53)を殺害したことも自供。他にも1964年11月から1965年5月にかけて、米子市と松山市でも老人と老婆を殺害した嫌疑を掛けられていたが、これは本人の否定と証拠固めが弱かったため、起訴までには至らなかった。

古谷は1951年、福岡で2件の強盗事件を起こし2人を殺害していた。このときは、先にS元死刑囚(20)が捕まっており、共犯者がいるにもかかわらず、1953年3月に執行。1953年9月に犯行がばれたが、あくまで従犯であることを主張し、懲役10年ですんでいた。古谷は判明しているだけでも10名を殺害。個人としては戦後最大の数字である。1978年最高裁で死刑確定。1985年5月、死刑執行。享年71。執行された死刑囚としては2006年12月まで最高齢であった。(
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