BOOK、CDなど

1 BOOK、CD、LPなど⇒断捨離、コンサート、リウマチ・膠原病などのメモ
2 失念防止のためのメモ

1956年(昭和31年)から1960年(昭和35年)まで

2009年01月03日 | ネット・ニュースなど

〇小松川高校女子生徒殺害事件(2人)~1958年(昭和33年)8月17日、小松川高校定時制二年生Oさん(16)が行方不明となった。家族の届出で小松川警察署が捜査中、8月21日、同署に「家出娘なら小松川高校の屋上で絞殺し、屋上の横穴に捨ててある」と電話があった。検索したところ、絞殺された同女の腐乱死体を発見。

24日には被害者宛に奪った櫛を、26日には捜査一課長に被害品の鏡と写真を送り返してきた。しかも再三に渡って新聞社に電話をするなど犯行を誇示し、警察の無能さを笑ってきたが、捜査の結果、朝鮮人工員小松川高校定時制一年生李珍宇(18)を9月1日に逮捕した。

李はOさん殺しを自供、さらに4月21日に賄婦Tさん(23)を強姦殺害した事件も自供した。1959年2月27日、東京地裁で死刑判決。1959年12月28日、東京高裁で控訴棄却。1961年8月17日、最高裁で死刑が確定した。1962年11月26日、仙台刑務所で死刑執行、享年22。(
http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)

〇杉並スチュワーデス怪死事件(1人)~1959年(昭和34年)3月10日、杉並区の善福寺川に首を絞められた若い女性の死体が上がった。被害者は、英国海外航空スチュワーデスTさん(27)。容疑者として、Tさんと交際していたベルギー人の神父(28)の名前が挙がった。警視庁は、相手がカトリック教団サレジオ会の神父であることから、国際問題に波及してしまうことを恐れて慎重な、弱気な態度をとっていた。極秘の捜査を重ねた後、神父の出頭を要請したが、本人も教会も出頭を拒否。

世論から批判の声が上がったため、神父は二、三度出頭したものの、胃病と神経衰弱を理由に歳暮病院に入院。6月11日、警視庁に連絡もせず、イタリアに帰国した。サレジオ会は傘下の社会事業団を利用して、アメリカから回された救済物資を闇ルートに横流しし、莫大な利益を得ていたという。神父の帰国により、事件は迷宮入りした。松本清張『黒い福音』を参照。(
http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)     

〇浅沼稲次郎刺殺事件(1人)~1960年(昭和35年)10月12日、日比谷公会堂で自民、社会、民社の三党首立会演説会で浅沼社会党委員長が演説中、学生服姿の元愛国党員Y(17)が壇上に駆け上り、34センチの脇差しを構え、体ごと浅沼にぶつかっていった。

Yは二回凶刃を振るい、浅沼委員長は死亡した。Yはその場で逮捕されたが、11月2日、少年鑑別所内で自殺した。部屋の壁には歯磨き粉で「天皇陛下万歳、七生報国」という文字が大書きされていた。(
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