ぼくちゃん & 相棒 の ひ・と・り・ご・と

旅行したこと、近場のお出かけ、美味しいものを食べたこと etc… 

皿倉山★八文字焼

2013-08-08 23:17:53 | イベント

     

昭和20年8月8日に起こった「八幡大空襲」では、中央、尾倉、前田、黒崎、枝光の中心部が被災し、死傷者は約2,500人、焼失家屋は14,000戸にものぼりました。八幡大空襲による戦没者の慰霊を行い、また、八幡の平和のシンボルとして、毎年、8月8日(八幡大空襲の日)とお盆の8月13日~15日に、皿倉山の八文字焼が行われています

今日は8月8日だったので、皿倉山の山頂を見ようと高塔山へ行ってみました。

 

八幡大空襲

昭和20年(1945年)8月8日(水曜日)昼間(AM10時頃から12時まで)の大空襲

 
この日の爆撃は焼夷弾[しょういだん]が中心で旧八幡市の中央町から桃園にかけて、雨・あられの如く投下され、瞬く間に火災が起こり、総て焼き尽くしてしまった。
焼夷弾を投下直前に、高空からキラキラする金属片(錫テープ?)を撒いて高射砲のレーダーをかく乱したり、密集した木造家屋が燃えやすいように油のようなものも撒いたとの記録もあるそうです。

B29重爆撃機他、サイパン、沖縄基地より約170機が飛来し、死傷者約2500人。製鉄所の構内でも一部被害が及び労働者の犠牲が出た。中でも平野社宅は全滅に等しかった。罹災者数5万2562人、罹災戸数1万4000戸。

翌日の8月9日は「長崎原爆の日」ですが、実は小倉に投下される予定だったと言われていますが、当日は小倉は曇天で長崎に変更されたとか。でも、小倉の曇りも八幡大空襲の煙も影響したとも・・・
 
  

北九州市制50周年の今年は、毎日50のイルミネーションなんですが・・・(これは2月に写したものです)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高塔山から、若戸大橋・洞海湾の夜景も・・・・  平和に暮らせることに感謝ですね  




ぼくちゃんの自主トレは続く・・・・続く・・・・

2013-08-06 23:20:47 | イベント

 ぼくちゃんは、本日は 門司駅前から矢筈山(やはずやま、266m)へ登ってきたそうです。

 山頂からの風景   (旗は北九州市の旗だったそうです)

矢筈(やはず)山は、JR門司駅の北東約2km、JR小森江駅の東約1kmの所に位置します。矢筈は、矢を弓につがえる時の、矢が弦に接する部位をいいます。山がこの形に似ていたということからか、それとも矢竹(篠竹)が山に群生していたからか、その由来ははっきりと判らないそうです。

 

山頂に行くまでに色々と発見が有ったよう!!  

 

 小森江浄水場 

北九州地域の中でも門司は港に寄港する船舶の飲料水補給などで、古くから上水道の需要があった区域でした。この浄水場はかつては福智山水系から採取した水を濾過し、市民に新鮮な水を供給する重要な役割を負っていましたが、現在は使用されていません。

<小森江浄水場の歴史>

小森江浄水場は、22km離れた福智山からの水を浄化するため明治44年(1911)に建設された。
昭和48年(1973)に北九州市内の浄水場の統廃合により、浄水場としての役割を終えた。

小森江貯水池は、給水量の増加に対応するため大正12年(1923)に完成した。
貯水池としての役割を終えたのはいつなのか調査不足で分からないが、公園として整備されたのは平成13年(2001)。



浄水場は廃墟となっているが、貯水池は廃墟と呼ぶには美しすぎる。

 

 

 旧小森江貯水池取水塔 

  

浄水場と同時期に造られた貯水池。本来であれば貯水池に水が満ちているため、底の取水部分まで見ることは出来ませんが、こちらの貯水池は既にその役目を終えており、このような全容を見ることが出来ます

 

 矢筈堡塁跡 

 1886(明治19)年、陸軍省は全国の重要な地に砲台を築造し、沿海の防備を厳しくすることにしました。当時、定遠・鎮遠という巨大戦艦を有する清国の北洋艦隊の脅威を感じていた関門地区には、関門海峡を挟んだ下関と北九州に砲台と堡塁が築造されました。陸軍は、敵艦船を砲撃するのを砲台、砲台の背面防御し、陸戦砲撃をするのを堡塁としました。北九州では、田向山(手向山)・笹尾山・矢筈山・古城山・和布刈砲台が、また富野・高蔵山堡塁が築造されました。
矢筈山砲台は1887(明治20)年起工されますが、竣工時期は不明です。15糎榴弾砲6門、9糎臼砲4門が配備されました。カノン砲は砲口径に比べて砲身長が長く、初速は高く、直射を主にする砲です。臼砲は砲身長に比べて砲口径が大きく、肉厚の砲身で、初速は低く、弾道は高く曲射されます。榴弾砲は、初速がカノン砲と臼砲の間で、その中間の火砲といえ、曲射されます。榴弾は炸裂して破壊するように、薄い砲体に多量の火薬が装填されています。口径の糎(cm)は、陸軍が最初はフランス式を採用していたためサンチと呼ぶことが多いですが、センチのことです。矢筈山砲台の任務は、関門海峡に面する大里の背面防御でした。

 

   

矢筈山砲台跡の地下の壕をのキャンプ場施設として利用されているそうです

山頂からは関門海峡が見えました     

 

 

歩く遊歩道には可愛い動物達のオブジェ   カワイイ

 

   くまぜみとあぶらぜみが共演するような暑い一日だった  

  暑いから、気長に頑張ってね 


福岡空港周辺 納涼ウォーク

2013-08-04 10:46:02 | 日記

昨日は、ふくおかウォーキング協会主催の 福岡空港周辺 納涼ウオークに参加

空港周辺を歩くと普段見れない風景が沢山見れます 

 

着陸態勢   

  

   スターフライヤー  

 

 

道路は普通に、車が通行できます    歩道はもちろん人も歩きます  

 

    着陸 

 

今日は、福岡空港の周りを歩いて、JR博多駅まで・・・約12キロのウォーキングでした


豊肥本線全線復旧記念事業「レールウオーク&城下町散策」を楽しむ

2013-08-01 23:41:14 | イベント

 昨年九州を襲った集中豪雨で九州の各地に大きな被害がもたらされました

  JR豊肥線の全線復旧(8月4日)を前に、現在不通となっている

JRの豊後竹田駅―玉来駅間の線路と、竹田市の城下町を歩く

「レールウオーク&城下町散策」(8キロ)が7月28日に開催されました 

豊後竹田駅~玉来駅までの2.6キロの線路上を歩き、

後半は竹田の城下町散策を楽しむコースでした

稲葉川、玉来川に架かる橋や、吉田、一本松の各トンネルなど、

日頃、歩くことのできない場所を通り楽しむことができました

     

 玉来駅では地元自治会の方が中心となった、暖かな接待がありました

竹田市荻町で取れたトマトやスイートコーンなどを頂きました

  本当にありがとうございました  

 

 

その日は、門司を4時頃出発し(早すぎたかな)、豊後竹田駅に到着

いつものように、駅の構内では、駅長さんの旗が出迎えてくれていましたよ

 

まだ復旧前なので、豊後竹田駅から出発する列車は全部大分行きです 

  

     全線開通の案内    

 

 しかし、災害の後は残っていました。完全復旧までにはまだまだ時間がかかるのですね 

 

  今回のウォーキングの様子を、デジブックにしてみました 

 

デジブック 『豊後竹田を歩く』