ぼくちゃん & 相棒 の ひ・と・り・ご・と

旅行したこと、近場のお出かけ、美味しいものを食べたこと etc… 

ぼくちゃんの自主トレは続く・・・・続く・・・・

2013-08-06 23:20:47 | イベント

 ぼくちゃんは、本日は 門司駅前から矢筈山(やはずやま、266m)へ登ってきたそうです。

 山頂からの風景   (旗は北九州市の旗だったそうです)

矢筈(やはず)山は、JR門司駅の北東約2km、JR小森江駅の東約1kmの所に位置します。矢筈は、矢を弓につがえる時の、矢が弦に接する部位をいいます。山がこの形に似ていたということからか、それとも矢竹(篠竹)が山に群生していたからか、その由来ははっきりと判らないそうです。

 

山頂に行くまでに色々と発見が有ったよう!!  

 

 小森江浄水場 

北九州地域の中でも門司は港に寄港する船舶の飲料水補給などで、古くから上水道の需要があった区域でした。この浄水場はかつては福智山水系から採取した水を濾過し、市民に新鮮な水を供給する重要な役割を負っていましたが、現在は使用されていません。

<小森江浄水場の歴史>

小森江浄水場は、22km離れた福智山からの水を浄化するため明治44年(1911)に建設された。
昭和48年(1973)に北九州市内の浄水場の統廃合により、浄水場としての役割を終えた。

小森江貯水池は、給水量の増加に対応するため大正12年(1923)に完成した。
貯水池としての役割を終えたのはいつなのか調査不足で分からないが、公園として整備されたのは平成13年(2001)。



浄水場は廃墟となっているが、貯水池は廃墟と呼ぶには美しすぎる。

 

 

 旧小森江貯水池取水塔 

  

浄水場と同時期に造られた貯水池。本来であれば貯水池に水が満ちているため、底の取水部分まで見ることは出来ませんが、こちらの貯水池は既にその役目を終えており、このような全容を見ることが出来ます

 

 矢筈堡塁跡 

 1886(明治19)年、陸軍省は全国の重要な地に砲台を築造し、沿海の防備を厳しくすることにしました。当時、定遠・鎮遠という巨大戦艦を有する清国の北洋艦隊の脅威を感じていた関門地区には、関門海峡を挟んだ下関と北九州に砲台と堡塁が築造されました。陸軍は、敵艦船を砲撃するのを砲台、砲台の背面防御し、陸戦砲撃をするのを堡塁としました。北九州では、田向山(手向山)・笹尾山・矢筈山・古城山・和布刈砲台が、また富野・高蔵山堡塁が築造されました。
矢筈山砲台は1887(明治20)年起工されますが、竣工時期は不明です。15糎榴弾砲6門、9糎臼砲4門が配備されました。カノン砲は砲口径に比べて砲身長が長く、初速は高く、直射を主にする砲です。臼砲は砲身長に比べて砲口径が大きく、肉厚の砲身で、初速は低く、弾道は高く曲射されます。榴弾砲は、初速がカノン砲と臼砲の間で、その中間の火砲といえ、曲射されます。榴弾は炸裂して破壊するように、薄い砲体に多量の火薬が装填されています。口径の糎(cm)は、陸軍が最初はフランス式を採用していたためサンチと呼ぶことが多いですが、センチのことです。矢筈山砲台の任務は、関門海峡に面する大里の背面防御でした。

 

   

矢筈山砲台跡の地下の壕をのキャンプ場施設として利用されているそうです

山頂からは関門海峡が見えました     

 

 

歩く遊歩道には可愛い動物達のオブジェ   カワイイ

 

   くまぜみとあぶらぜみが共演するような暑い一日だった  

  暑いから、気長に頑張ってね