前山おへんろ交流センターでゆっくりとスタッフの方や、他のお遍路の方と話をし、中を見学しました。いよいよ、ここから大窪寺へ向かって歩き始めます さあ、後ひと踏ん張り~ 「結願の道」 頑張るぞっと
ここからも、色々な史跡がありました
女体宮の「一の鳥居」
この地の南東四 を東西に走る讃岐山脈に、ひときわ高くそびえる女体山(七八〇米)、その山頂に地域の守り神として、又、雨乞いの神として農家の崇敬が篤い青木神社女体宮が祀られている。
女体宮へ向かう参道の「一の鳥居」が昭和五十年(一九七五年)に完成した前山ダム建設にともない湖底に沈むことになり、「明治五年六月」建立の銘のある鳥居をこの地に移設した。
ダムに沿った遊歩道には、紫陽花が植えられていました。私達が歩いている時、自転車に乗った地元のおじさんが、「これは、わしらが植えた。大変やった」と自慢されていました。「この先の道にも植えてあってそっちの方が綺麗だから・・・・」と言われて、私達が今来た道の方に下って行かれました。
きっと丹精込めて手入れをした花を見て貰いたかったのだと思いましたが、遊歩道に入る事無く、スルーして先に進んで行ってしまいました ゴメンナサイ・・・・・
分かれ道
ここでは女体山へのコースでは無くて、国道(旧遍路道)を選択
緩やかな坂道が続きます 交流センターの方が、「山王のバス停までは歩道があるけれど、その先からは歩道が無くなりますよ。気を付けて」と教えて頂いたことを思い出しながら歩きました
ここから先は、歩道が有りません 思ったよりも車の通りも多かったです
分かれ道 ここでも、しっかり「旧遍路道」コースを選択です
私達が歩くのは車が通る道です(国道&県道)
きっとポイ捨て・不法投棄も多いのでしょう・・・・(歩いている時も、道路に落ちている空き缶、たばこの吸い殻 etc 沢山見かけました)
ずっとなだらかな登りが続く・続く ・・・・・曇ってはいますが、蒸し暑くて汗がダラダラ流れ出る
車で登れば、す~~~~っとすぐなんだろうけど これも修行・修行
休憩所がありました。少し休憩
大師の水
県道志度・山川線を前山ダムから4kmほど登ったみち沿いに、四季を通じて山肌から清水が湧きでており、四国霊場八十八ヵ所の結願寺である「大窪寺」におまいりする多くのお遍路さんの疲れをいやし、いつしか「大師の水」と呼ばれるようになりました。
県道沿いのコンクリートの壁の所に有りました。私達は反対側の登りを歩いていたので、危うく通り過ぎる所でした(多分、歩くのに夢中で周りが目に入らなかったのかも 笑)
この湧き水の傍らには、「水仏さん」の名で呼ばれている石仏がまつられ、古くから近郷の人々に親しまれてきました。この石仏も、何度か過去に持ち去られるなど、受難にあいましたが、今では地元の方々によって、清水地蔵が安置され、湧き水とともに大切に保全されています
喉を潤しました 汗ばんだ腕も冷やして、何となく元気になった気になりましたよ
私達が歩いている「旧遍路道」は、現在は車が通る県道なので、時々「距離」の表示板を見る事が出来ます
後、大窪寺まで 7キロ 先は、短い様で、長い
六十五丁
車の残距離の表示板と同じ所の場所に 丁石での表示も有りました
残りが 約7キロ 同じですね
峠の道も終わり、民家も増えてきました 歩く道も段々平らになって来ました
ほっと一安心 歩く速度も少しUPした気持に
前に学校の校舎が見えてきました 同じ敷地にお遍路小屋も有りました
学校の敷地内にお遍路小屋。さすが、四国だ。結願の地だなぁと思っていましたが・・・・・
校舎が見えると思っていたのは、2012年に閉校になった「旧多和小学校」
校舎はそのまま残されて、地域防災拠点の大きな役割をも果たす大切な施設、そして住民がいきいきと暮らしていく為の複合的地域間交流施設として有効活用されているそうです。農産物販売・お遍路プロジェクト・どぶろく製造販売などが行われています。
また平成24年12月には、隣接する旧多和保育所に薬局を併設する診療所が出来て、山間部の高齢者にとって本当に安心できる公共サービスの場所となっています。
「無料サービス」の言葉に誘われたわけでは無いけれども・・・・
お茶&休息タイムを取る為に立ち寄ることにしました
これに誘われたわけでもありませんよ!(^^)!
どぶろく工房 ここに入ると酔っ払いそう?!? まだまだ歩かないといけないので、スルー
農作物販売所でコーヒーを飲みました ほっと一息です
荷物を降ろして休憩すると、疲れが取れる気分になります また、頑張って歩ける気持ちになりました
トイレの「表示板」もお遍路さん こんな表示はここでしか見れないですよね
思わず、写真 パチリ
子ヤギもいました これは売り物では無いみたいですけど・・・・ (~_~;)
ここから、大窪寺まで約5キロ
あちこち寄っていると、なかなか先に進まない
でも、まあ、これも私達二人の歩き遍路スタイルなので、良しとしないとねぇ
一夜庵
お大師さん(空海)がここで一夜の庵を結び、火を吹く山を鎮めたという伝説が残る場所
東谷庚申塔 (青面金剛)
人間の体内には三尸という3種類の悪い虫が棲み、人の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くという。 そのため、三尸が活動するとされる庚申の日(60日に一度)の夜は、眠ってはならないとされ、庚申の日の夜は人々が集まって、徹夜で過ごすという「庚申待」という、日本の民間信仰である庚申信仰の中で独自に発展した尊像が、青面金剛。青面金剛は庚申講の本尊として知られ、三尸という悪い虫を押さえる神とされる。
護摩山・矢倉山
護摩山(標高 433メートル) 真言宗の開祖、弘法大師(空海)の伝説が残る山だそうです。この山には、『ミニ八十八ヶ所』とは、四国八十八ヶ所霊場のご本尊が彫られた石仏を建てたもので、全部まわれば四国八十八ヶ所を巡礼したのと同じ功徳があるとされています。江戸時代末期に、巡礼ができない人のために造られました。この山頂には、「弘法大師がここに立って周辺を見晴らした時に、東の空に紫雲がたなびいているのが見えたので、ここを密教修行の地と決めて、大窪寺を建てた」との言い伝えが残っているそうです。
矢倉山には、登山道は西国33ヶ所参りのお地蔵さんが登山道にあるそうです
また段々道は上りになってきました 舗装された道を歩き進みます
三十四丁石 道路(崖)の上に有るみたいで、歩いているときには見つけることは出来ませんでした
でべそ石(三十三丁石)
ここからも、丁石をいくつも見る事が出来ました。この番号が減って行く事が、「大窪寺」に近づいて行く事なのです
この横に、休憩所がありました。立派な建物です
二人でこの道を登って行く時に、二台の自転車お遍路さん(男性)に抜かされていきました
緩やかだけれども、続く登りの道。若いお兄ちゃんでしたが、なかなか苦しそう・・・・
お互い頑張れ・がんばれです
女体山かな???? 地図から行くと、そのはずなんだけどね
あそこを登っている人もいる。私達の様に、下から見上げている人もいる。
どちらも行く先は同じ 「八十八番 大窪寺」なんですよね
奥に見えるのは、空家 草ぼうぼうの道です
途中まで歩いて見ましたが、途中で引き返すことに。この道の先に「丁石」が有るようでした
(確認デキズ)
先ほど引き返した道は、ここに繋がっていました
お遍路シールもあります。 ここを進んでいけば良いのだと確認できます
あと、何回このシールを見かけるのかなぁなどとふと考えてしまいます
あと少しだよ~
何度かUP/DOWN を繰り返して
もしかして! あれは
大きなお寺の門が見えてきました これは・・・・・・・ やっぱり
第八十八番:醫王山 大窪寺 に ゴ~~~~~ル
ここまでの道のりは長かった
色々な思いを持って まずは「記念撮影」 です
思わず出る 笑顔 ピース
山 王 醫 の金文字が光る
参拝は、後で 先にお昼ご飯です
名物の”打込うどん”を食べました
いただきます
ご馳走様でした 美味しかったよ
お店の横に 「一丁石」
まずは手を合わせて
中を覗いて見る事に
地蔵菩がを浮き彫りにされていました
弘法大師 の文字が彫られていました
そして、再び 仁王門へ 最後の結願のお参りへ
もうしばらく、お付き合い願います つづく・・・・・・・・・・・・
梅雨に入り、曇りと雨のうっとおしい日が交互に来て体調管理が大変ですね。
今週もお互いに、明るく・元気で・充実した・日々をすごしましょ~!
@('_')@四国歩き遍路、お疲れ様でした。
解説を読みながらゆっくりと居乍らにして同行させて頂きました。
またのご招待をお待ちしています。合掌!
!('_')!MyBlogへお誘い!
・少し遅くなりましたが、世界遺産の島・宮島に有る広島新四国88ヶ所札所に参拝した時の様子をアップしましたので休憩がてらご覧頂ければ幸せます!
!(^^)!何時ものご覧頂いた感想もお待ちしていますネ。それではまた!バイ・バ~ィ!
きっとひろし様も行かれたことが有るんですよね その時のことを覆いだしていただければ嬉しいです
今度は高野山に行く計画を立てていますが、福岡にも篠栗88か所巡りが有りますので、そこも歩きたいねと話しています