7月の三連休は、本当は徳島 第一番札所霊山寺~高野山へお遍路さんをする予定でしたが、台風接近の予報の為、今回は断念・・・・・ 神戸・京都にもホテルを予約していましたので「関西」観光旅行に予定変更です
色々調べて、関西エリアを「するっとKANSAI」を使って廻って見る事にしました
関西の交通機関を乗り放題のチケット 当日利用したチケットのご呈示で沿線の特典施設で優待も受けれます
とはいえ、時間も限られているし、それでも乗り放題の元は取らないと(笑)
考えた結果、第一日目は、奈良 長谷寺・安倍文殊院を回ることに決定
8時半前に新神戸に到着、まずはホテルに荷物を預けて身軽に!
阪神電車・近鉄電車と乗り継ぎ、11時過ぎに長谷寺に到着
花の時期も終わり、駅で降りた観光客はわずかでした
駅から約1.5キロ 蒸し暑い日ですがテクテクを歩いて行く事に
歩く途中には古い街並みが残っていました
長 谷 寺
到着
まずは、記念撮影ですね(笑)
長谷寺は朱鳥( あかみどり )元年(686)道明(どうみょう)上人が、天武天皇のおんために銅板法華説相図( 千仏多宝仏塔 )を西の岡に安置したことに始まり、のち神亀四年( 727 )徳道(とくどう)上人は、聖武天皇の勅を奉じて、衆生のために東の岡に十一面観世音菩薩をおまつりになられました (HPより)
お参りに向かいます
仁王門
長谷寺の山門「仁王門」 その見上げるような大きさと重厚さには圧倒されました。
「仁王門」が建立されたのは、一条天皇在位中の西暦986~1011年の間とされているが、
現在の門は明治27年(1894年)に再建されたもの。
門の両側には仁王像、上階には釈迦三尊と十六羅漢が祀られている
大きな草履も
「仁王門」をくぐると、「登廊」が先へと延びている。この「登廊」、上・中・下の3棟からなり、天井には長谷型と呼ばれる丸い灯籠がつるされている。また、創建頃の参道は、現在とは違う所に会ったそうですが、それが現在の場所に移ったのは、菅原道真が「観音堂」へ駆け登ったという故事にちなんで、人々がその道跡を通るようになったことがきっかけ。
登 廊
この長い階段はとても印象的ですよね
下登廊。季節により両脇には牡丹などの美しい花が咲くそうです 花の寺と言われる所以です
紫陽花の花が少しだけ残っていました 花の時期だとさぞかし美しいことでしょう
長谷寺のHPからですが、四季それぞれの美しい風景を楽しむ事ができます
http://hasedera.or.jp/seasons/spring.html#0
紀貫之 歌碑
ようやく、本堂が見えてきましたよ 汗びっしょりになりました
本 堂
納経所で、「12時から学生さんがほら貝を鳴らすのが見えますよ」と教えて頂いたので ”長谷の舞台”へ向かいます
見えました! 学生と聞いていたのでどんな方がと思っていたら若いお坊さん?(修行中かな??)の姿がありました
なかなか、素敵な方でしたよ❤(笑)
本堂(観音堂)へ。初瀬山中腹の懸崖に建つ大殿堂
ほの暗い内陣の中には、本尊の十一面観世音菩薩像が祀られており、その無限の慈悲を秘めたまなざしに思わず手を合わせる。奈良時代、徳道上人の造立で、右手に錫杖、左手に水瓶を持つ。身の丈は三丈三尺(約10m)。度重なる火災で炎上しているが、頂上仏のみが焼け残ってきたと言う。今の観世音菩薩像は、天文7年(1538年)に仏師運宗らによって造立されたもの
ただ、写真撮影は出来ません(お寺にあったポスターからです)
でも、そのお姿を見上げると思わず手を合わせてしまいました
舞台からは初瀬の山々等を一望することができました
内舞台
中に掲げられた西側と東側の絵馬があり、もともとは一枚だったという。西の絵馬の牛若丸と、東の絵馬の弁慶が、夜ごとに絵から抜けだして大立ち回りをするので、二つの絵馬として分けたとか‥‥。
下を見ると、さっきほら貝を吹いたいた学生さんが帰られているのを見えました
本堂を後にします
弘法大師 「御影堂」
高野山には行けませんでしたが、ここでお参り(気持ちだけかな)
本長谷寺
五重塔
昭和29年(1954年)、戦没被災者慰霊のため建立された。内部には、本尊に大日如来を祀っている。5月中旬~6月上旬、塔の下には西洋シャクナゲが、11月中旬~12月上旬には、周囲に見事な紅葉を見ることができる。
六角堂
本坊
この中には、入ることは出来ません
さっき行って来た本堂が見えます
亀も気持ちよさそうに泳いでました
お参りも終わり、長谷寺を後にします
法 起 院
↑ HPです
西国三十三所巡礼 お砂踏みがありました
廻ってみました これで、西国三十三ヶ所霊場巡礼もお参りしたことになるかなぁ~~
葉書きの木
多羅葉樹
モチノキ科の常緑高木。葉の裏に尖ったもので書くと文字が浮かび上がる。「はがき」の由来となった言われる木。当院の葉書きの木に願い事を書くと叶うと言われている
仏足石
ここは「初瀬街道」と言われる歴史の街道です
京・大和方面と伊勢を結び、現在の松阪市六軒から青山峠を越え、名張を経て奈良県の初瀬(長谷)へと至ることからその名が付きました。古くは「青山越」「阿保越」、参宮表街道、参宮北街道とも呼ばれ、古代には大海人皇子が名張に至った道であり、また斎王が伊勢へと赴いた道でもありました
歩いていると「額田王」の歌碑がありました
お昼です 三輪そうめんの定食
暑いときは、冷やしそうめんの つるつるとしたのど越しがたまらなく美味しい!
吉野葛も入っていると言う事で、普通のそうめんよりしこしこしてました
次は、安倍文殊院へ、近鉄電車で桜井駅へ向かいます
長谷寺駅までは、階段がありました (意外と大変)
おまけ① 長谷寺門前 三輪そうめんの直売所で
さすが、関西ですね
おまけ② 日本の昔話「わらしべ長者」のお話の中で、主人公の男が
長谷寺のご本尊である十一面観音さまにお願いをし、お告げをされたと言われているそうです。
こんな、顔はめの看板がありました