58番 仙遊寺へのお遍路道を二人で登りました!!
手前の道でお話をした”先輩”歩きお遍路の男性から、
「行きは車道を通った方が瀬戸大橋も見えますよ。帰りは参道で」と教えて頂いたので
行きは山門の所から参道を通らずに、車道を歩きました
デジブック作りましたご覧ください
デジブック 『テクテク歩き遍路』
紅葉は丁度見ごろでした
休憩がてら(?)、立ち止まっては紅葉観賞となります (^^♪
山門に到着 でも、ここからも長い登り坂が続きました
到着!!ようやくで、汗ダクダク
第58番札所 仙遊寺
仙遊寺の歴史・由来
創建は天智天皇(在位668〜71)の勅願により、伊予の国主・越智守興公が堂宇を建立、本尊の千手観音菩薩像は天皇の念持仏として、海から上がってきた竜女が一刀三礼しながら彫って安置したとされる。このことから「作礼山」が山号となり、竜宮から届けられたという伝説もある。
さらに仙遊寺には、阿坊仙人という僧が40年にわたって籠り、七堂伽藍を整えるなどをしたが、養老2年(718)に忽然と姿を消してしまったという伝説が残っている。寺名はその阿坊仙人に由来している。
鐘も付いたり
ここにも、お砂踏みがありました もちろん、廻ってみましたよ
境内は、山号になっている作礼山の山頂近い標高300mの高台にあり、今治の市街地や四国一高い今治国際ホテルは眼下に望める。その先には瀬戸内海に浮かぶ島々、さらには平成11年に開通した「しまなみ海道」も一望できる眺望豊かな地にある。写真では、霞んで見えませんが、遠くに微かに来島海峡大橋も見えました
そして、お参りの後は、今度は参道を下りました
結構急な階段。手すりを持って慎重に・・・・・
弘法大師が四国霊場開創の折にこの寺で修法をされたとき、病に苦しむ人々を救済しようと井戸を掘り、また荒廃していた七堂伽藍を修復して再興、寺運は興隆した。この井戸は旧参道の脇に残り、「お加持の井戸」として多くの諸病を救ったと伝えられ、信仰されている。
国分寺へ向かうお遍路道 ここも山の中の道を歩いて行きます
お遍路さんも大変だわ (@_@;)
でも、歩けば前に進みます
さっき下って来た山があんなに遠くになりました
ようやく国分寺へ到着
疲れたー でも、ようやく今回のゴール到着
思わずピース
第59番札所 国分寺
国分寺の歴史・由来
国分寺は天平13年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられる。第3世住職・智法律師のとき、弘法大師が長く滞在して「五大尊明王」の画像一幅を奉納、また大師の弟子・真如(?〜862?)も2年間留まり、『法華経』の一部を書写して納められている。
握手大師
境内に立つ「握手修行大師」に願いを込めて握手すると、その願いが叶うとか。
以前は、傍らに「願い事は一つにして下さい。あれもこけもはいけません。お大師様も忙しいですから」
というユーモラスな看板があったそうです
今回は、ここで打ち終わり 二人で頑張りました
それから、松山に帰る為に、2キロ位歩いて、伊予富田駅に。列車の時間まで約30分位しかありませんでした
普段なら余裕で歩けるのですが、疲れと重い荷物が有るので、乗り遅れてはと、結構必死で歩きました
この日で一番早い歩きだったかもです
き
松山へ行く前に、今治駅前で記念写真
多分お遍路ではもうここで下車することは無いと思います
今治は、村上水軍のゆかりの地。マンホールの蓋もそれがモチーフになっていました
この日も沢山の出会いが有りました
<57番 栄福寺に行く途中で、2回目の歩き遍路の方>
色々と大変だったこと、色々な事を教えて下さいました。仙遊寺の上り坂の事を教えて下さったものこの方です
<58番 仙遊寺へ登り坂を登り終えた時、大阪の車でのお遍路の方と>
私達が坂を登って歩いて来たことにびっくりされて、「お接待だから」と缶ジュース4本と栗饅頭を下さいました
有難うございました
その他に、自転車に乗っていた方から、飴を頂いたり、
今治に帰る為列車を待っていた時に出会い、今治駅までご一緒だった歩き遍路の男性と
沢山の出会い、思い出が出来ました
この続きは、また来年
今回も、お疲れ様でした
来年もマイペースで少しづつ結願へ向けて、お遍路さんは続きます