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JR九州ウォーキング <愛野駅 おまけ編>

2014-02-21 21:39:27 | JRウォーキング

 愛野駅からのウォーキングは、旧小浜鉄道廃線跡を歩くコースでした

 

温泉軽便鉄道~小浜鉄道

旧温泉軽便鉄道:愛野村(愛野)~愛津~水晶観音~濱~千々石
旧小浜鉄道: 千々石~上千々石~木津の浜~富津~肥前小浜
1933年(昭和8年)の両社合併を経て、1938年(昭和13年)廃止

ウォーキングコースは、愛野~千々石は、バスで移動   千々石~肥前小浜を歩きました


 

半島西側に行くとなると、西側には小浜温泉がありますが、鉄道廃線に詳しい方ならご存知でしょう。その昔、小浜温泉に向かって鉄路をのばした小さな小さな鉄道がありました。
 小さな小さなその鉄道。1911年(明治44年)に諫早から愛野まで鉄路をのばしてきていた島原鉄道から分岐する鉄道を、自らの手で敷設しようとした地元の有志たち。具体的な目に見える形での鉄道敷設への活動は1920年(大正9年)に始まり、愛野~千々石 間を"温泉軽便鉄道"の社名で運転を始めたのが1923年(大正12年)。続けて、千々石~肥前小浜 間を"小浜鉄道"の社名で運転を始めたのが1927年(昭和2年)。同1927年には、島原鉄道・諫早から、愛野、千々石を経由しての直通運転を開始。順風満帆だったのか…
 しかし、この鉄道は順風満帆とは程遠く、1932年(昭和7年)には赤字経営により愛野~肥前小浜 間の直通運転を解消。直通運転開始からわずか5年半ほど。これほどの短期間しかもたなかった直通運転。また、小浜温泉を目指したはずにも関わらず、終着となった肥前小浜駅は、小浜温泉の中心街の手前2kmの場所にありました。資金面での問題で、手前2kmの地点までしか敷設できなかった線路。会社合併、直通運転再開等の打開策も功を奏さず、1938年(昭和13年)には廃止を迎えたこの地の鉄道。多くの戦前生まれの廃線を眺めてきました。日本国内の戦前生まれの鉄道のうち、ある割合の路線が、太平洋戦争に影響を受けて廃止に追い込まれました。しかし、この地の鉄道は、太平洋戦争開戦を迎えることもなく消えていったのです

 

 ウォーキングコース上で見た、旧小浜鉄道の跡

最初は上千々石駅

線路跡は、今は車が通る道路に

木津の浜駅

バス路線があるのでしょう。バス停の名称にも、名残がありました

ホーム跡、一緒に歩いていたKさんが気づいて教えてくれました

途中、廃線跡をそれて歩き、富津駅は通らず、終点の 肥前小浜駅

 

朝、到着した愛野駅は、旧温泉軽便鉄道の 愛野村駅跡です

今は、島原鉄道の愛野駅です

こんなに可愛い駅になってます

     

 

 

そして、今回もまた「マンホール特集」

愛野駅前で カラーと色無しがありました

 

ウォーキングコース上で・・・・ 千々石でも2種類ありました

 

小浜温泉で

雲仙の市の木が「やまぼうし」です

 

 

これは、これまた本日ご一緒させていただいたNさんの「同行者」

ダンボーくんたち

  帰りの島原鉄道で仲良しさん