なんかつくってりゃしあわせ

なんかつくってりゃしあわせ。。。

小説を書くと言う事について

2012-11-11 05:40:46 | 雑感
友人が図書館に行って借りて来た本に対して感想を言っていた。


「こんな凄い内容の本を図書館に置いちゃっていいの!」





むろん、いいのである。






友人が言っていたのは(たぶん)渡辺淳一先生の「シャトールージュ」であろうと推測される。
では、「こんな凄い内容の本を図書館に置いちゃっていいの!」とは何か?
まぁ、簡単に言ってしまえば官能的な表現が多くて(或は大半で)一般人が読むのにはハードルが高い、もしこれを何も知らないいたいけな少年少女が読んでしまったら一体どうするのであろうか?と、ま、そんなところであろう。




いいのである。



公の場に置いてある資料、書籍などの内容を知る、ということは誰にも規制できないことだ。


「シャトールージュ」に書いてあるような事を読んで知ってしまったら大変!と騒ぐではない。
それを実体験するほうがよっぽどリスクが高いだろうよ。
小説や、映画、エンターテインメントは自分の体験出来ないところに誘ってくれ、そしてあたかも自分が体験したような気分にさせてくれるようなものが上等なのである。
人生たかだか80年生きたとして、その中でその人が経験できることって意外と少ないものである。

それを補ってくれるものは小説や映画や、音楽などのゲージツ作品であると私は信じて疑わない。

たとえば私は「朗読者」という恋愛小説が好きで、その愛情表現を自分が受けられたらどんなに素敵なんだろうと考える。そんなとき、美味しいココアでもいれてソファにゆっくりと座り本を拡げ自分がハンナになって小説の中を生きるのだ。
昨年ハマった「ミレニアム」では主役の個性的な女の子リスベットにもなって活躍したし、ミカエルになって恋に溺れたりもしたわけだ。


そ、小説は「生」を書く事。
いかに生き生きと、なまなまと、ありありと、実感より実感が胸にせまるような様々な事が書き切ってある小説が
そういう小説を書ける事が最上だろうと私は本好きの一人として深く思う。

官能的な事を書いてある小説だって、その著者の筆力があるから
「わぉ!すげえ」と思うわけであって、一般の我々がたとえ一頁でも一行でも書いてご覧なさい
「しました、よかったです。終わり」的な、なんだまるでそれは小学生低学年の遠足の作文ではないか!くらいのもんだろう。生を書く、しかも実感をさせてくれるような“生”を書くと言う事はなまなかではないと思う。
だって、それで喰ってんだもん。
人の心を筆一本で動かす商売なんだもん。全くすげぇよ。



だからさ、しのごの言ってないでまずは本を読んでみよう。
深く感動出来て、図書館でただで借りられる。
こんな安上がりの道楽はなかなかありませんよ



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