なんかつくってりゃしあわせ

なんかつくってりゃしあわせ。。。

車中にて

2014-03-27 10:31:39 | 娘シリーズ
娘と一緒に水戸へ挨拶に行く


82になる母は娘の顔を見るなり「あら、あなた、赤ちゃんどうだった?」と言う。

久しぶりにおばあちゃんに会った娘はのっけからそんな先制パンチを喰らって豆が鳩鉄砲くらったような顔をしていたが
私はなんとなくピンときて
「おかあさん、それってカヨ姉ちゃんとこの娘の話?」
そういうとお母さんはしばし考える風をして

「あ、そうか。勘違いしちゃった」といった。

そのときお昼の用意をしていた父が台所から出て来て
「お、まぁこ。着たか。じいちゃんは、ひいまごが出来るぞ。うほほ」と上機嫌である。


父の持論は展開される

「普通にいったら、孫の顔くらいは見られるもんだ。ま、遅い早いはあるかっぺが、大抵子供持ったらば、あんましおかしなことになんねければ、ま、おトーちゃんの考えとしては、考えとしてはだよ、孫くらいの顔までは見れっぺ。」

「だけど、ひ孫っつーと、そうはいかねんだよ。孫が大きくなって結婚したとしてだ、そんで順調に行って、すぐにその夫婦の子が出来たらばそれはそれでいいけんど、なかなかそんなに順調が続くっつーことは無(ね)がっぺ。でもその子が出来ても、こっちが高齢になってうまくいかねかったら会えないわけだもんな。いや、ひ孫てのは難しいんだよ」などとほとほと感心したように何度も言う。

そういってひとりごちている父に私は
「そうかぁ、じゃあ秋までは生きる希望が続くってわけだね、良かったねぇ」と

父は顔をくしゃくしゃにして
「えへへへ。」と笑う



いつものように買い物と掃除を終え、前回作って好評だった「新玉葱のポタージュ」をもう一度作り
父母に別れを告げて駅へ向う


普段あまりじっくりと向き合う時間のお互いの無い親娘が
普通電車で並んでぽつぽつ話をしながら帰途につく


娘はまだ発展途上の悩み多き年頃で
たくさんの不満を持ちながら生きている
親の私はあくまでも自分の経験上での話でしかできないがそれをもとに話をしても
娘の歳で全てを理解せよ、というほうがおかしいというものだ




表と裏があるペラペラの紙みたいな人がいる

それを丸めて上と下の面が無いみたいな人や

或は多角形の形をしているようないろんな面を持っている人、

穏やかに丸い球体の形を持つ人もどこかには居るだろう




球体とはいかなくても、せめて多角形の人でありたいと私なんかは思うのだが、いかがなもんであろうか

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