脊髄内腫瘍でした! ただいま療養中です。

坐骨神経痛だと思ってたら、脊髄に腫瘍が出来ていました。
珍しい病気なのでブログ書いてみました。

落ち着きつつありますが。

2023-11-17 00:29:00 | 日記




 まだまだふとした瞬間に悲しくなりますが、

どこかに残しておかないと、忘れてしまいそうな自分がいます。


 実は23年前から些細な事で母との関係がギクシャクし、旦那や子供達が顔を出す事はあっても、私が実家に行く事はありませんでした。


 しかし、今年は父の米寿でもあるという事で、

父のたっての願いで子供や孫達も集まる事になりました。


 その少し前から打ち合わせ的な事で、私も実家に行くようになり、母との仲も元通りとなりました。

これは、遠回しに父の計らいだったと思います。


 以前から腎臓を患っていたものの、週に一度のデイサービスに通い、訪問マッサージを受け、母の手料理を食べ、長年の趣味だった俳句を作り、穏やかに暮らしていました。


 月1の通院が在宅になりましたが、


孫が夏に留学から帰るまでは、

秋に米寿を迎えるまでは、


と頑張っていました。


 頭はしっかりしていましたが歩く事がままならなくなり、トイレに間に合わない事もあったので、

最後の方はオムツでした。


オムツを替える母に、ニコニコしながら手を合わせ、ごめんね、ごめんねと言っていたそうです。


母は幸せにしてくれたから倍返しだよ、と返していました。


長くなったのと、込み上げてくるものがありますので

一旦この辺で。


お読みいただきありがとうございます。


泣かない日もあるけれど

2023-11-08 07:07:00 | 家族
先月大好きな父が他界しました。

朝から晩まで仕事をし、夜は所属団体の会合にも出かけ、週末には家族をよく旅行に連れて行ってくれるというパワフルな人でした。

私に向けられる優しい眼差しも好きでしたが、

ずっと母のことをちゃん付けで呼ぶ父を見るのも好きでした。

最期まで新聞や本をよく読み、たくさんの事を教えてくれました。
そしてたくさんの愛をくれた人でした。

いつ何があってもおかしくないと言われている中で米寿のお祝いをしてから、一週間もしないうちに逝ってしまいました。
父の事が心配で私の実家で生活していた娘(看護師)が、夜中の急変に気づき、心臓マッサージをしてくれて父もどこか誇らしかったんじゃないかな。

しかし、そのまま帰らぬ人となりました。

後悔とか、悲しいとかいう気持ちがないわけではないけれど、

心臓が止まり、お骨になり、写真のなかで微笑む人になり、

あの笑顔や声が二度と戻らないと思うと寂しくてつまらないのです。

年もとしでなので、ある意味覚悟はできていましたが、さみしいなぁ。
日にち薬といいますが、
父がいた事が遠い昔のことになってしまうのがつらくて、苦しくなります。