神戸の河川で急な増水に流されて犠牲になった方々、ほんとにお気の毒です。ご冥福をお祈りします。合掌。
一方でこういった事態を予測し、警告を事前に発することはできなかったのか・・・相変わらずマスコミは自らを絶対正義の場において評論家に終始し、行政を攻めれば視聴者の支持が得られるという安直な考えを持っているように感じます。マスコミという威光をかさにきた無責任な見解を聴くと、やっぱり不愉快です。
神戸というか阪神間の同じような特徴を持つ河川には、上流の状況によって急激な増水についての注意看板は当たり前のように立てられています。
予想を超えた急激さだったかもしれません。
でも、その可能性を知らずして無防備に水と戯れていたとすれば、それは危険予知の観点からどうだったのでしょう。
要するに絶対正義が茶番であるように、絶対安全もまた誰も何処も保証できるものではないと思うのです。
犠牲者を責めるのはお門違いです。
ただ、自らの身を守るためには自らがどう危険を察知し対処するか、「君子危うきに近寄らず」ではないですが危険予知について改めて重要性を思い知ることが必要なんだと思います。
一方でこういった事態を予測し、警告を事前に発することはできなかったのか・・・相変わらずマスコミは自らを絶対正義の場において評論家に終始し、行政を攻めれば視聴者の支持が得られるという安直な考えを持っているように感じます。マスコミという威光をかさにきた無責任な見解を聴くと、やっぱり不愉快です。
神戸というか阪神間の同じような特徴を持つ河川には、上流の状況によって急激な増水についての注意看板は当たり前のように立てられています。
予想を超えた急激さだったかもしれません。
でも、その可能性を知らずして無防備に水と戯れていたとすれば、それは危険予知の観点からどうだったのでしょう。
要するに絶対正義が茶番であるように、絶対安全もまた誰も何処も保証できるものではないと思うのです。
犠牲者を責めるのはお門違いです。
ただ、自らの身を守るためには自らがどう危険を察知し対処するか、「君子危うきに近寄らず」ではないですが危険予知について改めて重要性を思い知ることが必要なんだと思います。