糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

人格的自己開示を理解しないオピニオンリーダー

2013-01-13 22:21:24 | 忍者的思索・一般
 あるアイドルグループのメンバーの写真集の発行が中止になるかならないかという話題がネットニュースに繰り返し掲載されています。18歳未満の子供に手ブラをさせたことが批判されています。それに対して、あるオピニオンリーダーが、ヒステリックなバッシングであるとか、一ファンとして発売を期待しているとかいうことを述べたのだそうです。それがどれぐらい事実であるのか私は知りません。一応私が読み取った内容が事実と仮定すると、この人は問題をしっかり理解していません。
 実は、手ブラを担当したのが18歳未満かどうかに関わらず、ここには理解しておいたいただかなければならないことが有ります。彼女とその男の子の間に何が起きているのかという部分に限定して述べます。彼女は彼に対して人格的自己開示をしたのです。一般的な生活においては、自分の体や肌がどうなっているかは被服で覆って隠しています。その部分の情報は気軽に他人に開示するものではないからです。それは、本当に信頼できると判断した相手にのみ開示されます。それがプライベート・ゾーンの扱い方というものです。先ず、彼は背中だけかもしれませんが、プライベートな関係が無ければ通常は決して見ることの無い彼女の背中、肌を見ました。視覚的な自己開示を彼女はしたことになります。次に、彼の手は、通常プライベートな関係が無ければ起きない、彼女の胸に触れるということをしました。皮膚の感覚、触覚的な自己開示を彼女はしたことになります。この二つの自己開示は、本来は、人格的な交流の有る信頼し合った者同士だけがする行為です。それを、ただの商業的活動のためにする、もしくはさせるということは、心理学的にも大脳生理学的にも歪んだ行為である部分が有ります。
 人間の大脳は旧皮質と新皮質で構成されています。新皮質は知的な判断をしますから、彼も彼女もそれが商業的な行為であると理解して割り切っています。しかし、旧皮質は本能的な理解判断しかしませんから、二人の行為を人格的な自己開示をし合っているのと変わらない反応しかしません。この歪みを私は良いこと、認めて良いこととは思いません。それがこの世の規範に照らした時、大人同士の行為ならそれなりの分別が有る者同士の判断として容認されるのでありましょう。しかし、今回の件では、そのアイドルも男の子も理解していないでありましょう。その問題は残ったままであると思います。
 私が書いた理解は、キリスト教界の理解ということではなく、セキュラーな教育シーンにおいて性教育を人格的またコミュニケーション的な面から理解し、啓蒙活動をしてきた人々の論説、コラムなどの記事に基づいたものです。
 日本においては、こういった啓蒙活動に尽力している人々がいらっしゃる一方で、そのような取り組みが理解されず、浸透していかない現状が有ると思います。それは、商業主義、商業化主義偏重の社会的潮流のせいであると思います。しかし、それが、この分野においては、米国よりもひどく押し流されてしまっていることを残念に思います。そして、このような理解が、国の進む方向に積極的に発言をしている人物にも欠けているということを残念に思います。







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