それから、イエスは、彼らをベタニヤまで連れて行き、手を上げて祝福された。
ルカはイエスの昇天の記述の直前にこのように記しています。ルカの記述に従えば、イエスはベタニヤから昇天されたと考えられます。このような大事な出来事のために、どうしてイエスはベタニヤを選ばれたのでしょうか。ベタニヤが、復活を象徴する大事な町であったからだと考えられます。
ベタニヤでは、復活に関わる出来事が二回記録さいれています。一つ目は、ラザロの復活です。イエスは、神の栄光が表されるために、知らせが届いても、病に倒れたラザロが完全に死ぬまでベタニヤを訪れませんでした。死んで四日になるまで待たれたのは、ユダヤ人の理解では、死後四日経てば、生き返る望みは無いと考えたからです。ベタニヤに着くと、イエスは姉のマルタと言葉を交わし、イエスを信じる者は死んでも生きるのだと言われました。その完全に死んだとされるラザロを、よみがえりの主であるイエスは、ご自身の権威をもって「ラザロよ出て来なさい。」という一言で生き返らせたのです。それは、復活の信仰を弟子たちに強く持たせるためでもあったと考えられます。
二つ目は、ベタニヤのマリアがイエスの頭に香油を塗ったことです。マルコ伝十四章九節には、「まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」というイエスの言葉が記されています。マリヤのしたことに、ここまでの大きな意味・意義が有ったのは、それが、復活の信仰に関わっていたからです。埋葬の用意としての香油であったという理解が示されていますが、同時に、そこに復活の信仰が無ければ、そこまでの言葉をイエスからいただくことはできませんでした。ベタニヤはエルサレムに近い場所でしたが、ベタニヤのマリヤはイエスの墓に香油を塗りに行くことはしませんでした。
そういうわけで、昇天される時も、復活信仰をはっきり心に留めるようにという意味合いも込めて、ベタニヤを選ばれたのではないかと私は思います。
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ルカはイエスの昇天の記述の直前にこのように記しています。ルカの記述に従えば、イエスはベタニヤから昇天されたと考えられます。このような大事な出来事のために、どうしてイエスはベタニヤを選ばれたのでしょうか。ベタニヤが、復活を象徴する大事な町であったからだと考えられます。
ベタニヤでは、復活に関わる出来事が二回記録さいれています。一つ目は、ラザロの復活です。イエスは、神の栄光が表されるために、知らせが届いても、病に倒れたラザロが完全に死ぬまでベタニヤを訪れませんでした。死んで四日になるまで待たれたのは、ユダヤ人の理解では、死後四日経てば、生き返る望みは無いと考えたからです。ベタニヤに着くと、イエスは姉のマルタと言葉を交わし、イエスを信じる者は死んでも生きるのだと言われました。その完全に死んだとされるラザロを、よみがえりの主であるイエスは、ご自身の権威をもって「ラザロよ出て来なさい。」という一言で生き返らせたのです。それは、復活の信仰を弟子たちに強く持たせるためでもあったと考えられます。
二つ目は、ベタニヤのマリアがイエスの頭に香油を塗ったことです。マルコ伝十四章九節には、「まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」というイエスの言葉が記されています。マリヤのしたことに、ここまでの大きな意味・意義が有ったのは、それが、復活の信仰に関わっていたからです。埋葬の用意としての香油であったという理解が示されていますが、同時に、そこに復活の信仰が無ければ、そこまでの言葉をイエスからいただくことはできませんでした。ベタニヤはエルサレムに近い場所でしたが、ベタニヤのマリヤはイエスの墓に香油を塗りに行くことはしませんでした。
そういうわけで、昇天される時も、復活信仰をはっきり心に留めるようにという意味合いも込めて、ベタニヤを選ばれたのではないかと私は思います。
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