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糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

神の恵みについて

2016-10-27 22:16:40 | 忍者的思索・奥義書より
 近隣の里で懇意にしている大忍の説教に触れる機会が有りました。心に留まったことが有りましたので、ここに残しておこうと思います。

1)神が見えないことの恵み
  「神がいるならどうして見えないのか。」というような考えが有ります。奥義書は、神は霊であって目に見えない存在であるということが記されてい
  ます。しかし、その他にも考えるべきことが有ります。神は大変力強い存在ですから、仮にその全存在を持って人類の前に現れたら、まるで核爆発の
  前で雪の一片が一瞬にして雲散霧消してしまう様に、人類は消滅してしまうでしょう。見えない在り方で関係を保ってくださることも恵みであると考
  えることができます。

2)神が現れてくださった恵み
  イエス・キリストは、その見えない神の現れです。神の御子が、使徒達に見られ、証言されるようにして現れてくださったことは恵みです。

3)キリストの血の恵み
  人類で最初に殺されたアベルの血が土の中から叫んでいるという表現が有ります。それは、「神の正義を、神の裁きを下してください。」と求めて叫
  んでいるのです。しかし、イエス・キリストの血はその正義と裁きを負って贖ったものとして、「神の義を着せ、神の赦しを与えてください。」求め
  て、執り成しをして叫んでいます。ですから、アベルの血に勝ってもの言うキリストの血という表現が有るのです。これが恵みです。







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結婚に関する第一ペテロ書三章七節の記述

2016-10-12 11:53:59 | 奥義書に見る結婚関係のあれこれ
 奥義書は結婚に関しては男性に対する要求が責任の重いものになっている部分があります。その詳細は次回に譲ることにしまして、今回は一点だけポイントを絞って確認したいと思います。

 『夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共に住み、いのちの恵みを共どもに受け継ぐ者として、尊びなさい。それは、あなたがたの祈が妨げられないためである。』(口語訳) 

 この個所は、私が結婚前のカウンセリング、もしくはコーチングをする時に、考察の課題とするものの一つです。

 ギリシャ語テキストでは動詞が有りません。上記口語訳では指示の中心が「尊びなさい」になっていますが、原文にはそのような意味合いの語は用いられていないので、翻訳上の工夫であろうかと思います。複数の英語の聖書がしている翻訳の工夫は、スンオイケオーというような発音になる動詞の分詞形が用いられていることから、「共に生活しなさい(live together)」等の表現にすることです。直訳的には「共に家を営む、家庭を営む」という感じになります。口語訳で「共に住み」とした部分です。日本語の方は、これが分詞であることを示そうとしたのだと思われます。


 さて、前置きが長くなってしまいましたが、この分詞に直接つながっている副詞句が、夫たちの心得るべき大事な要素になっています。共に家庭を営む上での手段、前提が示されています。口語訳にも出てくる「知識」に従って生活しなさいということです。その知識は口語訳が「女は自分より弱い器であること」と訳した部分です。弱いという訳は原義をあまりはっきり表していないと思います。元の感覚は、「壊れやすい」ということです。女性がそれだけ精神的に繊細で傷つきやすい部分が有るということを表しています。それは、神様の創造のデザインでもあるわけです。
 壊れやすい器を想像してみましょう。高級なタンブラーやワイングラスがその雰囲気をよく表していると思います。少しぶつけただけで欠けたり割れたりしてしまいます。子供の時にタンブラーを恐る恐る手に取った時の気持ちを思い出します。女性にはそのような部分が有るという「知識」を夫は持っていなければならないということになります。その知識に従い、その知識を前提にして妻と家庭を営むことが夫には要求されています。
 いや、女性はそんなに弱くないとお考えの方もいらっしゃるかもしれません。しかし、態度や言葉の表現には関係なく、その内面や感性は「壊れやすい」ものが有るという認識に立つ必要が有ります。

 男性はもっと目標に向かって行動していく傾向が有り、感性をあまり重視しない傾向が有ります。また、気軽に無神経な冗談を言ったりしがちです。そういう部分が、妻には耐えがたいものであることが有ります。それは容易に離婚に向かう原因になり得るのです。私が参考にしている本で出ていた実話です。夫が帰宅すると妻は台所でサンドイッチを作っていました。彼は間もなく自分にもサンドイッチが運ばれてくると思ったのですが、妻は子供と一緒にサンドイッチを食べ始めました。夫は「どうして僕のサンドイッチは無いの?」と尋ねると、「本気で言っているの?あなたはいつも私が作るサンドイッチに、レタスが乾いているとか、何かが足りないとか文句を言っていたじゃない。あなたがサンドイッチを食べたいなんて、少しも思わなかったわ。」という答えが返ってきました。そういうただの事実を述べただけのように思える言葉が、妻には大変傷つく言葉だったのです。実際のカウンセリングの時に、私たちにもそういうことが有りましたと言って、体験を語られた女性の方がいらっしゃいました。男性は、ある意味、そういう知識が無いと無神経な言動をすることが多くなるのです。

 男性の皆さんは、何かを取集していた経験は有りませんか?それを磨いたり、ほこりを払ったり、力加減にすごく注意して手に持ったりしたことはありませんか?腫れ物に触るような恐れではなく、愛と気配りの中で、喜んでそうしていたのではないでしょうか。それが妻に対してもいつも必要であり、その現実を受け入れ、その知識に基づいて行動しないさいと、奥義書は命じているのです。そうする時、忍者たる妻たちは、それを悪用するのではなく、さらに良く「共に家庭を営む」ことができるのです。





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