goo blog サービス終了のお知らせ 

糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

士師記二章十一節~十八節

2009-06-19 02:47:43 | 奥義書覚書 士師記
もっと先の三章十一節ぐらいまでが、具体的な士師の記録に入る前の導入になっているのですが、一部だけ取り上げることにしました。

今回特に注目したのは、二つの偶像神でした。それがどういうものかを理解できれば、イスラエルの民が期待していたことが何かをはっきり知ることができるからです。

一つ目はバアルです。男性名詞で、「主、主人」という意味が有ります。太陽に関連付けられます。かなり古い時代に起源が有り、ノアの子孫のニムロデの頃に遡るというような説明も有りました。豊作、肥沃、多産の神で、嵐に乗り、雷は彼の声であり、稲妻は彼の槍や矢であるということで、詩篇に出てくる神の詩的表現に似ています。バビロンで崇拝されていたベルも同じ起源であるとされているようです。

二つ目はアシュタロテです。女性名詞で、星や月に関連付けられます。美しい戦争と繁栄の女神ということで、ギリシャのアフロディーテ、ローマのビーナスにつながるということです。神殿娼婦などの実践につながり、性的な乱れの元になりました。北欧にも伝わっていて、復活祭をイースターと呼ぶのも、この女神の祝祭から出たことであるそうです。


すると、イスラエルの民が求めたものは、すでに天地創造の神が約束した繁栄でした。しかし、彼らはそれを正しい契約の相手に求めず、偽ものである偶像に求めたということです。



士師記以降に出てくる災いの全てが、申命記二十八章に出てくる、神に背いた時に下されると約束されたものであることを再確認しました。

神は約束の神であり、その約束に忠実な神であるということを再確認しました。同時に、神は憐れみの神であることも、十八節には出てきています。


私達はあからさまに偶像礼拝をしたりはしませんが、自分の生活のために何かに頼る時、それが神を省みない、偶像礼拝と等しい態度になっていないかに注意しなければならないと思います。







にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村

    ↑
よろしかったらクリックにご協力ください。

士師記二章一節~十節

2009-06-02 12:08:16 | 奥義書覚書 士師記
 神の御使いがギルガルからボキムに上って来たと書いてあります。神の御使いという表現は、受肉前のキリストではないかと思われる存在で、ここでもそれに該当すると思われます。理由は、神の言葉を伝える時に、「主は言われる。」などの表現をせず、「わたし」という一人称単数を用いているからです。
 ギルガルから、と断っているのは、おそらく、ヨシュアがカナンに入る前にギルガルで神の御使いに会ったことを思い起こさせ、その同じ神の御使いが来たのだということを伝えるためであったかもしれません。
 二節、三節にある神の言葉は、イスラエル人が荒野に居た時に神から与えられた約束の言葉です。そして、神の御使いは、神がその約束の通りにイスラエルに報いることを伝えました。今回はイスラエルの民の不忠実と偶像礼拝を責めてのことですから、それは当然有り難くない報いではありますが、約束は約束です。ここで、神様は約束に忠実な神であるということを確認しました。

四節では、神の御使いがイスラエル人「全体」に語ったということが心に留まりました。そして、イスラエル人は、「その場で」悔い改めの犠牲を捧げました。

六節から十節の冒頭には、既に亡くなっているヨシュアのことが出てきます。これは、これから繰り返されるイスラエルの不忠実と堕落のパターンの導入として挿入されたものと考えられます。

忍士と私たちは、直接的な神体験、信仰体験が無くても、きちんとそれが次の世代に受け継がれるように留意する必要が有るということを思いました。どうして、それが受け継がれなかったかというと、追い出すべき他民族や壊すべき偶像の取り扱いをきちんとしなかったためであると言えそうです。実は、探り出すと、私たちの生活の中にも気付かない偶像がたくさん有ります。それに気付かないうちに頼っている姿を見て、次の世代はついには、本格的に神から離れてしまうことが有るのだろうと考えたりしました。







にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村

    ↑
よろしかったらクリックにご協力ください。

士師記 一章一節~十節

2009-05-07 16:12:20 | 奥義書覚書 士師記
忍士や里の人と奥義書を囲んで話し合ったことの覚書です。

ユダ族は、イスラエルの中では、後にダビデ王を輩出し、指導的な役割が有りました。ですから、約束の地を取るための戦いも、最初に指名されたということでしょう。

神は、ユダが先ず戦うことを指示します。それは、「見よ。わたしは、その地を彼の手に渡した。」と書いてあるので、神様からは成功の保証付きでした。
 ところがユダ族は、近縁のシメオン族に応援を求めます。シメオン族は、ヨシュアの時代に、ユダ族の領土の真ん中に割り当ての地の指定を受けましたし、始祖のユダとシメオンは同じ母親から生まれた兄弟でしたから、状況的には自然でしたが、神様の指示には従っていないことになります。神様は、ユダが上るように言われました。ユダとシメオンとは言っておられません。ユダ族の記録が終わる時、ユダが完全な勝利に終わっていないのは、この不従順のせいではないかと推測できます。

 因みに、シメオン族は、後にユダ族に吸収されてしまったという説明がされている資料も有ります。領土の配置や、近親の部族だということから、区別がいい加減になってしまったからかもしれません。これは、創世記四十九章七節の、ヤコブの祈り、もしくは預言によると考えられそうです。シメオンとレビがヒビ人ハモルの一族の男性を皆殺しにしたために、兄弟の中に散らされると言われています。実際にレビ族は、祭司の一族となり、まとまった土地の分け前は有りませんでした。そして、シメオン族は、ユダ族に吸収されて、「散らされる」ことになりました。

 ユダ族は指導的な立場にあるという認識が有ったのだそうですが、そのリーダーとして率先して良い模範を示すべき時に、神様の指示を守らなかったため、続く部族も完全な征服ができませんでした。霊的リーダーの責任という部分を考えさせられる記録でもあります。

 アドニ・ベゼクという王が出てきます。アドニというのは、旧約で神様をアドナイと表現しているのと同じ語幹により、「主人、王子、王」などの意味が有ります。ですから、その名前の意味は「ベゼクの王」ということになります。
 このアドニ・ベゼクは捕えられて、手足の親指を切り落とされます。これは、当時の戦勝国が習慣的に行っていることでした。親指の無い手では、剣を握ったり、弓を引いたりするのは難しいし、そんな足では踏ん張って戦ったり、走ったりすることが難しいのです。敵が再び戦力となることのないようにする処置でした。
 ここで私たちの関心を引いたのは、アドニ・ベゼクが、「神が私がしたとおりのことを、私に報いられた。」という認識を示していることです。どうしてそう思ったのか、また、実際にそういう関係に有る事柄なのかはよくわかりませんでした。
 彼が七十人の王の手足の親指を切ったと書いてあります。そんなに多くの王が存在できたかと疑問に思うかもしれませんが、当時は城壁の有る都市の領主は王と呼ばれていたので、私たちの感覚よりも多くの王が居ました。そして、これらの王は一度に捕えられたのではなく、少しずつ増えて、七十人に至ったということだと考えるのが自然です。

 八節に、エルサレムを攻め取った記録が有りますが、サムエル記などを読むと、ダビデの時代になるまでは、完全な支配ができなかったことがうかがえます。


神様の言葉への信頼と従順が大事であり、リーダーは信仰的模範となる行動が必要だという部分に心を留めました。






にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村

    ↑
よろしかったらクリックにご協力ください。