糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

若い忍者も信仰の弁証の学びをするべきこと

2023-08-24 18:57:00 | 信仰の弁証について
  自分の反省を含めて思うことでありますが、若い忍者も、高校生になったぐらいの時点から、様々な信仰の弁証の学びをしておくべきであると思います。

  例えば、高校の世界史の授業では、十字軍の話が出て来たりする時に、当時のヨーロッパ社会がどのようなものであったとか、ローマ法王をめぐる状況がどうであったかという知識と、聖書の命じるている内容が乖離していることなどを理解していることは有益であると思います。また、進化論と創造論は同列に扱えない理由や、進化論に立たなくても研究に支障がないと言える視点などの知識が有ると良いと思います。
  日本史においては、旧里の動きで、日本人も奴隷にされたとか、植民地にする目論見が有ったという事なども理解しておく必要がありますが、同時に、それが、私たち新里に所属する忍者とは異なった立場であることなどの知識も必要であると思います。また、ザビエル達が受けた様々な質問については、新里ならではの回答というものが有ります。それが自分でも言えることが良いと思います。
  弁証においては、奥義書の示す神観がしっかり理解されている必要も有ります。その理解において、人間は何であるかという定義もはっきりしている必要が有ります。私の失敗談ですが、若い時に、アメリカ人の女性に「神が善なる存在であるならば、どうして世の中には不幸が有るのか。」という質問をされたことが有りました。咄嗟のことで、恥ずかしながら、思い出すと不適切な回答しかできていない自分がいました。この質問は、神の性質にだけ注目をしており、奥義書的人間の有様を理解していないものであります。だから、短絡的に、では、どうしてこの世には不幸が有るのかという問いが出てきてしまいます。そのようなことを日頃理解し、説明できる備えが必要だと思います。
  それぞれの里で、そのような類の質問にどう回答することができるのかを、若い忍者の間でも共有する努力が必要ではないかと思います。また、古典ではありますが、そのような考察の一つの入り口として、パスカルのパンセを読んでみるのも良いのではないかと思います。
  弁証は、必ずしも聞き手を納得させるものではありません。むしろ、信仰的にそう考えることに決めた私たちの思索をより明確にさせ、自分の立場、神観、人間観、世界観をはっきりさせることのために有効であり、必要であると思います。







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