糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

神とイエス・キリストの平安

2023-10-09 22:10:24 | 忍者的思索・奥義書より
パウロの手紙の挨拶文には、神の恵みと平安を祈る定型文が用いられていたりします。
今回は、平安に着目して考えたことが有りました。
私たちは、このような定型文を、機械的に読んでいることが多いように思います。
具体的な神とイエス・キリストの平安のイメージを持っていることは有意義であると思います。

神の与えてくださる平安の具体的なイメージの一つは、山上の垂訓に有ると思います。
神は私たちに衣食住を守ってくださる方です。
私たちを野の草花や鳥よりも大事に思っていてくださる、その神を信じることによっていただく平安を私たちが持っていることを意識することは意義が有ります。

イエス・キリストの平安のイメージは、罪の赦しと神の国に生きる永遠の命の希望に有ります。
イエス・キリストの執り成しにより、父なる神と和解し、父なるの神の怒りと裁きを受けなくてよいという平安が有ります。

手紙の挨拶の定型文として書くとしても、ただの形式ではなく、相手に具体的な神とイエス・キリストの礼拝を願う祈りを込めて書けると良いと思います。
日々の執り成しの祈りにおいても、その思いを込めて祈ることに意義が有ると思います。





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コメント
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