五千人の給食の奇跡の物語は、四福音書全てに収録されている数少ない出来事のうちの一つです。実は、この物語は、ユダヤ的背景を持った読者には、明らかな王、もしくはメシアのイメージが重なっています。特にそれをはっきり示したのが、ヨハネによる福音書ではないかと思います。(ヨハネによる福音書六章一節~十三節)
そのことを示すのは、先ず十節です。
イエスは言われた。「人々をすわらせなさい(横にならせなさい)。」その場所には草が多かった。
続いて、十一節もそのことを示しています。
彼らにほしいだけ分け与えられた。
こと
これらのことが想起させるのは何でしょうか。詩編二十三編です。十節は、「主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」という詩編二十三編二節の内容を想起させます。五千人の給食の時、イエスは彼らを草の上に横にならせたのです。山の上ではありますが、それはガリラヤ湖に近い所でありました。十一節の内容は詩編二十三編五節の内容を想起させます。「あなたは私のために食事をととのえ」「私の杯はあふれています。」イエスは五千人のために食事をととのえ、杯ではありませんが、人々が欲しいだけ食物を与えました。十二節でも「十分に食べた」ということが記されていますし、十三節では余ったもので十二のかごがいっぱいになったが記されています。
この五千人の給食を通して、イエスは、ご自身が詩編二十三編に表されている神、主と同じ存在であるということを証されたことになるわけです。
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そのことを示すのは、先ず十節です。
イエスは言われた。「人々をすわらせなさい(横にならせなさい)。」その場所には草が多かった。
続いて、十一節もそのことを示しています。
彼らにほしいだけ分け与えられた。
こと
これらのことが想起させるのは何でしょうか。詩編二十三編です。十節は、「主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」という詩編二十三編二節の内容を想起させます。五千人の給食の時、イエスは彼らを草の上に横にならせたのです。山の上ではありますが、それはガリラヤ湖に近い所でありました。十一節の内容は詩編二十三編五節の内容を想起させます。「あなたは私のために食事をととのえ」「私の杯はあふれています。」イエスは五千人のために食事をととのえ、杯ではありませんが、人々が欲しいだけ食物を与えました。十二節でも「十分に食べた」ということが記されていますし、十三節では余ったもので十二のかごがいっぱいになったが記されています。
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