糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

930年間の傷

2023-11-20 12:07:25 | 忍者的思索・奥義書より
  タイトルの930年は、アダムの寿命です。創世記五章五節の記述による数字です。
  傷というのは、エバの心の傷のことです。アダムとエバは、堕落した後、神に問い詰められる経験をします。神がアダムにどうして善悪を知る木の実を食べたのかと尋ねた時、アダムは、エバが与えたからだと答えました。エバがどうしてアダムに善悪を知る木の実を与えたのかは、想像するしかありませんが、とにかく、自分のことを「私の肉の肉、骨の骨」と言い表して喜んでくれたアダムが、この反逆行為をエバのせいにする言葉を聞いた時には大きな衝撃、絶望を味わったに違いありません。この後、聖書に記録されている息子たちの名前から考察すると、アダムとエバは約束のメシアが自分達から生まれないかと期待していた様子がうかがえます。その救いを待ち焦がれるエバの心の中で、いつまでも、アダムに庇ってもらえなかった、曝しもののようにされたことへの傷が疼いていたのではないかと思われます。
  930年は、アダムの寿命で、エバの寿命の記述はありません。何等かの理由でアダムより早く亡くなったかもしれませんが、現代の傾向から推測すると、女性の方が平均寿命が長いので、アダムより長く生きていたということも有り得ます。

  私たちが、自己弁護、保身のために、口に出した不用意な言葉、嘘などが、長く人を傷つけることに注意しなければならないことを、この奥義書、創世記三章の記述からも考えさせられました。夫婦間での不用意な発言、特に妻をかえりみない発言が、長く傷やしこりを残す例は枚挙にいとまがありません。忍者として、改めて気を付けなければならないと思われるのでした。





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