主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、 いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす者」。(口語訳)
先祖からの伝わる呪いを断ち切るという考えが有ります。その時に用いられる聖書の箇所が上記の聖書箇所であるのを見て、これはおかしいことだとどうして気づかないかと思いました。少し検索しましたが、同様なことを述べている大忍のブログがやはりいくつかありました。
ここでは、私なりの手順で説明させていただこうと思います。
先ず、この聖書箇所の原則は誰に適用されるものなのかを考える必要が有ります。これは、イスラエルの民と神の間の約束事です。ですから、これが先祖から伝わる呪いを断ち切るという考えを導くには幾つか不都合なことが有ります。
第一に、この約束事は神と旧約のイスラエルの民との間の約束です。イエスキリストによって呪いから解放された者は、この約束の当時者ではありませんから、これを引用してそういう断ち切りの説明に用いるのは関係上無理が有ります。仮に呪いの問題が存在するとしても、この聖書箇所を根拠にすることはできません。
第二に、呪いを断ち切る祈りは呪いもしくはサタン、悪霊を対象にしたものです。しかし、この聖書箇所は神様が呪いをもたらすという約束になっています。神との約束の結果来る呪いを、どうやって神の御名によって断ち切るということができるでしょう。しかも、その時には呪いは神ではなくてサタン、悪霊から来ているということになるのは矛盾しています。
第三に、このような呪いの関係は、旧約聖書時代中に、神様によって改訂されています。エゼキエル書十八章一~三節には、「主の言葉がわたしに臨んだ、あなたがたがイスラエルの地について、このことわざを用い、『父たちが、酢いぶどうを食べたので子供たちの歯がうく』というのはどんなわけか。主なる神は言われる、わたしは生きている、あなたがたは再びイスラエルでこのことわざを用いることはない。」と書いてあり、更に二十節には「罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。」と再確認されています。ですから、神様に由来する呪いでもサタン、悪霊に由来する呪いの場合であっても、それが子供に伝えられるということをこの聖書箇所から説明することはできません。
さて、先祖から伝わる呪いが一切無いかと言われれば、私は無いとは言いません。サタンはこの世の支配者ですし、罪の呪いや結果がキリストにない者を苦しめることは有ります。また、その中で、先祖が子孫を悪霊(偶像)に捧げるようなことも有ります。ですから、そういう悪い影響を受けている人はいると思います。
しかし、少なくとも、そういうことの説明に上記の聖書箇所を用いることは間違っています。
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先祖からの伝わる呪いを断ち切るという考えが有ります。その時に用いられる聖書の箇所が上記の聖書箇所であるのを見て、これはおかしいことだとどうして気づかないかと思いました。少し検索しましたが、同様なことを述べている大忍のブログがやはりいくつかありました。
ここでは、私なりの手順で説明させていただこうと思います。
先ず、この聖書箇所の原則は誰に適用されるものなのかを考える必要が有ります。これは、イスラエルの民と神の間の約束事です。ですから、これが先祖から伝わる呪いを断ち切るという考えを導くには幾つか不都合なことが有ります。
第一に、この約束事は神と旧約のイスラエルの民との間の約束です。イエスキリストによって呪いから解放された者は、この約束の当時者ではありませんから、これを引用してそういう断ち切りの説明に用いるのは関係上無理が有ります。仮に呪いの問題が存在するとしても、この聖書箇所を根拠にすることはできません。
第二に、呪いを断ち切る祈りは呪いもしくはサタン、悪霊を対象にしたものです。しかし、この聖書箇所は神様が呪いをもたらすという約束になっています。神との約束の結果来る呪いを、どうやって神の御名によって断ち切るということができるでしょう。しかも、その時には呪いは神ではなくてサタン、悪霊から来ているということになるのは矛盾しています。
第三に、このような呪いの関係は、旧約聖書時代中に、神様によって改訂されています。エゼキエル書十八章一~三節には、「主の言葉がわたしに臨んだ、あなたがたがイスラエルの地について、このことわざを用い、『父たちが、酢いぶどうを食べたので子供たちの歯がうく』というのはどんなわけか。主なる神は言われる、わたしは生きている、あなたがたは再びイスラエルでこのことわざを用いることはない。」と書いてあり、更に二十節には「罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。」と再確認されています。ですから、神様に由来する呪いでもサタン、悪霊に由来する呪いの場合であっても、それが子供に伝えられるということをこの聖書箇所から説明することはできません。
さて、先祖から伝わる呪いが一切無いかと言われれば、私は無いとは言いません。サタンはこの世の支配者ですし、罪の呪いや結果がキリストにない者を苦しめることは有ります。また、その中で、先祖が子孫を悪霊(偶像)に捧げるようなことも有ります。ですから、そういう悪い影響を受けている人はいると思います。
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