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糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

士師記 一章一節~十節

2009-05-07 16:12:20 | 奥義書覚書 士師記
忍士や里の人と奥義書を囲んで話し合ったことの覚書です。

ユダ族は、イスラエルの中では、後にダビデ王を輩出し、指導的な役割が有りました。ですから、約束の地を取るための戦いも、最初に指名されたということでしょう。

神は、ユダが先ず戦うことを指示します。それは、「見よ。わたしは、その地を彼の手に渡した。」と書いてあるので、神様からは成功の保証付きでした。
 ところがユダ族は、近縁のシメオン族に応援を求めます。シメオン族は、ヨシュアの時代に、ユダ族の領土の真ん中に割り当ての地の指定を受けましたし、始祖のユダとシメオンは同じ母親から生まれた兄弟でしたから、状況的には自然でしたが、神様の指示には従っていないことになります。神様は、ユダが上るように言われました。ユダとシメオンとは言っておられません。ユダ族の記録が終わる時、ユダが完全な勝利に終わっていないのは、この不従順のせいではないかと推測できます。

 因みに、シメオン族は、後にユダ族に吸収されてしまったという説明がされている資料も有ります。領土の配置や、近親の部族だということから、区別がいい加減になってしまったからかもしれません。これは、創世記四十九章七節の、ヤコブの祈り、もしくは預言によると考えられそうです。シメオンとレビがヒビ人ハモルの一族の男性を皆殺しにしたために、兄弟の中に散らされると言われています。実際にレビ族は、祭司の一族となり、まとまった土地の分け前は有りませんでした。そして、シメオン族は、ユダ族に吸収されて、「散らされる」ことになりました。

 ユダ族は指導的な立場にあるという認識が有ったのだそうですが、そのリーダーとして率先して良い模範を示すべき時に、神様の指示を守らなかったため、続く部族も完全な征服ができませんでした。霊的リーダーの責任という部分を考えさせられる記録でもあります。

 アドニ・ベゼクという王が出てきます。アドニというのは、旧約で神様をアドナイと表現しているのと同じ語幹により、「主人、王子、王」などの意味が有ります。ですから、その名前の意味は「ベゼクの王」ということになります。
 このアドニ・ベゼクは捕えられて、手足の親指を切り落とされます。これは、当時の戦勝国が習慣的に行っていることでした。親指の無い手では、剣を握ったり、弓を引いたりするのは難しいし、そんな足では踏ん張って戦ったり、走ったりすることが難しいのです。敵が再び戦力となることのないようにする処置でした。
 ここで私たちの関心を引いたのは、アドニ・ベゼクが、「神が私がしたとおりのことを、私に報いられた。」という認識を示していることです。どうしてそう思ったのか、また、実際にそういう関係に有る事柄なのかはよくわかりませんでした。
 彼が七十人の王の手足の親指を切ったと書いてあります。そんなに多くの王が存在できたかと疑問に思うかもしれませんが、当時は城壁の有る都市の領主は王と呼ばれていたので、私たちの感覚よりも多くの王が居ました。そして、これらの王は一度に捕えられたのではなく、少しずつ増えて、七十人に至ったということだと考えるのが自然です。

 八節に、エルサレムを攻め取った記録が有りますが、サムエル記などを読むと、ダビデの時代になるまでは、完全な支配ができなかったことがうかがえます。


神様の言葉への信頼と従順が大事であり、リーダーは信仰的模範となる行動が必要だという部分に心を留めました。






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キリストが来られた目的-ザアカイの物語- (ルカ伝十九章一節~十節) 

2009-05-06 18:17:50 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
 エリコの町に向かう途中で、イエスをメシアだと信じる信仰によって視力を取り戻し、イエス・キリストに従う者となった、バルテマイを伴って、キリストはエリコの町に入られました。人々は、バルテマイの視力の回復という奇跡の話を、道行く人たちにも語って、神を賛美していたのではないかと思われます。

 エリコの町にはザアカイという人が居ました。ザアカイという名前は、「純粋な、正しい」などの意味が有りました。有名なラビや、医者の中にもこの名前を持つ人がいました。ところが、そういう良いイメージとは反対に、この人物は、なんと収税人のかしらで、金持ちであったというのです。ユダヤ人達はそういう人を売国奴、罪人と思っていました。
 当時のエリコの町は、バルサム樹とそれから取れる油や樹液が名産で、その交易で栄えていて、比較的裕福な町でした。ですから、ローマもそれに目をつけて、税収を上げるための拠点の一つとしていました。ザアカイは、その税金を扱う総元締めとしての権利を、ローマから得たのでした。どうやってそのような権利を得る程の力を蓄えたのかはわかりませんが、実力の有る人物であったことがうかがえます。
 彼の仕事は、収税人を雇って彼らを管理し、指示をすることでした。彼自身は現場で税を集めることはしなかっただろうと思われますが、雇われた収税人が免許の交付料や手数料などをザアカイに納めたはずですから、それだけでも相当の収入が見込まれました。それに加えて、彼自身も、不正な取立てなどに携わって、貪欲にお金を蓄えていたようです。

 ザアカイの耳にも、キリストがエリコの町を通るという人々の叫び声が届いたようです。道中、バルテマイが目を癒されたという話も聞こえたかもしれません。そうでなくても、キリストの噂は行き渡っていましたから、ザアカイは好奇心にかられて、キリストがどんな人なのか、一目見てみたくなりました。それは、本当に単純な好奇心であっただろうと思われます。
 早速出掛けてはみたものの、ザアカイにはキリストの姿を見ることができませんでした。彼は背が低かったのです。そればかりではなく、キリストの周りには、弟子であるとか、ザアカイと同じようにキリストを一目見ようとする人達が群がっていましたから、人の隙間からキリストの姿を垣間見ることすらできませんでした。
 そこでザアカイが取った行動は、他の人達には考えられないことでした。先ず彼は、キリストの一行の先回りをするために、走りました。当時のパレスチナでは、それなりの地位を持った男性は走りませんでした。それは体面を失うような行為でありました。彼は収税人のかしらですから、行政的には高い地位にいましたが、彼はそんなことには頓着しないで走りました。それだけ好奇心が勝っていたのかもしれません。それに、地位が高くても、周囲の人達には収税人のかしらとして忌み嫌われていたでしょうから、そんな体面には関心が無かったということも有ったのかもしれません。
 そういう気持ちが為せる業でしょうか。彼は更に大胆なことをしました。自分の背の低さを補って、よくキリストが見えるように、いちじく桑の木に登ったのです。いちじく桑の木は、当時低地や谷間などに多く見られた木だそうで、エリコにもごく普通に生えていたようです。この木は幹の部分があまり高くならず、枝が水平方向に伸びる傾向が有ります。ものによっては、殆ど幹が無くて、地面から枝が分かれて伸びるような形のものも有りましたから、背の低いザアカイにも上り易い木でした。しかし、著名なラビとか預言者と思われている人を、どれぐらいの高さからであるかはわかりませんが、見下ろすというのは、当時のパレスチナにおいても失礼な行為であったように思われます。つまり、彼の動機は好奇心であり、キリストに対する敬意も、自分の体面にも気遣いは無かった様子がうかがえます。

 キリストは、ザアカイの居るところまで来ると、上を見上げました。この「見上げ」と訳された語は、単純に「見る」という意味ですが、キリストが天を見上げる時にも使われた語なので、ここでは通常「見上げ」という訳になるようです。実際に、ザアカイがそれだけ高い位置の上ったのかもしれません。周囲の人達よりは高い位置に目が来ないと見えないわけですから、程度の差は有れ、キリストはザアカイを見上げることになったことでしょう。ザアカイは、キリストと目が合った時は、多分悪びれもしなかったであろうと思います。しかし、キリストの言葉を聞いた時、彼は大変な衝撃を受けることになりました。 
 先ず、キリストは「ザアカイ」と彼に呼び掛けました。今まで一度も面識の無かったナザレの出身のラビが、誰にも紹介もされないのに、自分の名前を呼んだのです。ユダヤ人達は、一面識も無い人の名前を言い当てることができる人は預言者であると考えました。彼の衝撃は、一面識も無い人に名前を言い当てられたということだけでなく、本物の預言者に出会ってしまったという驚きによるものでもあったわけです。収税人のかしらとしてユダヤ人社会で大罪人と思われている自分が、本物の預言者に名前を呼ばれてしまったということで、これから嫌なことを聞かなければならないかもしれないと、彼は一瞬身構えたかもしれません。
 しかし、続いて出てきたキリストの言葉に、ザアカイは更に衝撃を受けることになりました。「急いで降りて来なさい。今日はあなたの家に泊まることにしてあるから。」と言うのです。実際の言葉は、「泊まらなければならない」という意味の言葉です。それは、「議会や神の決定による履行するべき義務」という語感の有る表現でした。履行されるべき義務の内容は「泊まる」ことだというのです。それは単に立ち寄るのではなく、親しく留まるということです。キリストが聖霊を通してキリスト教徒の中に留まることを表す時に用いられる語なのです。
 ここで、ザアカイは、二つの意味で神の愛に打たれたと言って良いでしょう。  
 一つ目は、人々が罪人として蔑む自分に、神は災いを下すのではなく、預言者を遣わして、親しい交わりをさせたいと願われたという、その神の愛に打たれたことでしょう。ああ、自分はパリサイ人達が言うような処罰や滅びの対象ではなく、神の愛の対象であったという驚きと喜びが有ったに違い有りません。
 二つ目は、キリストが義務の表現を用いたことです。もしキリストが「泊まらせてくれないだろうか?」と尋ねたらどうだったでしょうか。受け入れたいという願いが有ったとしても、彼は断らざるをえなかったと思われます。彼が承諾しようものなら、周囲の人達が「お前のような罪人が、いくらキリストが頼んだからと言って、彼を家に迎えるなんて身の程を知らない行為だ。今からでも断れ。」と迫ったであろうことは、想像に難くありません。しかし、キリストが、「泊まらなければならない」と言ったのですから、誰ももう文句は言えませんでした。そういう言葉を使ったキリストの愛の計らいに、ザアカイは心を打たれたであろうと思われます。

 ザアカイは「大喜びでイエスを迎えた」と書いて有ります。長年人々の憎悪の目を感じて生きて来たザアカイが、神と神の預言者と思われるキリストに愛の取り扱いを受けたのですから、大喜びするに決まっています。「大喜び」という語は、「非常に喜んでいる、非常に喜んで大声を出す・挨拶する」というような語感が有ります。また、「迎える」という語は、マルタがキリストとその一行を家に迎え入れた時にも使われた語で、「もてなす」という意味が含まれています。

 ここで、人々は一気にしらけてしまいました。その直前までは、キリストは人々にとっては英雄でした。人々はキリストを預言のメシアだと期待していました。メシアは近づいている過ぎ越しの祭りの期間に、エルサレムで王になり、イスラエルを再興すると考えられていました。キリストは正に過ぎ越しの祭りを祝うために、エルサレムに上る途中でしたから、人々には「いよいよ今度だ!」という期待が有りました。そればかりでなく、エリコの町に入る直前に、メシアの証拠である、盲人の目を開くという奇跡を行いましたから、人々の期待はいよいよ高まっていたと言って良いでしょう。それなのに、そのキリストが、人々の忌み嫌う収税人のかしらであるザアカイの家に泊まることになったのです。
 そんな馬鹿なことが有って良いだろうか、と人々は信じられない気持ちであったでしょう。人々の心は、パリサイ人達の心と変わりが有りませんでした。そして、以前、キリストが収税人の家で食事をした時に、パリサイ人達が言ったのと同じように、「あの人は罪人の所に行って客になるとは」という文句を口々に言い出しました。

 ザアカイはキリストを「迎えた(もてなした)」と書いて有りますから、おそらく「どうぞこちらへ」というふうに、自分の家に案内をし始めていたと思われます。神の愛に触れられて大喜びであったザアカイでしたが、少しずつ人々の声が耳に入ってくると、これは拙いことになったと思ったに違いありません。今までに経験したことの無い大きな愛を示してくださったキリストに、今、人々は非難の声を上げているのです。それは取りも直さず、自分の今までの生き方に起因しているのです。ザアカイは、自分が受けた愛と恩に応え、また、人々のキリストへの非難の言葉を止める方法は何だろうかと考えたのではないでしょうか。
 キリストは自分のことをザアカイという名前で呼んでくれました。自分を「純粋な者、正しい者」と呼んでくださったのです。人々は、「お前がザアカイという名前なんて、図々しい」とばかりに、名前で呼んではくれなかったかもしれません。今こそ、その名前に相応しい生き方を始める時だと思ったのではないでしょうか。彼が知っているユダヤ人としての純粋な者、正しい者の生き方は、モーセの律法に従って生きることでした。それまでのザアカイは、人々に罪人と呼ばれる収税人のかしらでした。罪人のかしらとして人々に忌み嫌われている自分をきちんとザアカイと呼んで、家に泊まらなければならないとまで言ってくれるような、大きな愛には触れたことが有りませんでした。ですから、今度は自分が知っている律法の規定の最大限で応える時だと思ったようです。
 先ず、ザアカイは、財産の半分を貧しい人に施すと言いました。ユダヤ人のしきたりでは、施しは財産の五分の一を超えてはいけないとされていたそうです。例外として認められていたのは貧しい人に施しをする場合で、持ち物なら三分の一まで、金銭や食べ物は半分まで施すことができたようです。ザアカイの申し出は、その規定の大きい方を実践するということでした。
 次に、ザアカイは、だまし取ったものは四倍にして返すと言いました。律法では、金銭などの場合は、奪った価値の五分の一を付け足して返せばよいことになっていました。四倍にして返さなければならないのは、子供を産んだり、乳を出したりして、その固体以上の価値が見込まれる家畜に適用される規定でした。ザアカイの申し出は、ここでも補償規定の大きい方を実践するということでした。

 ザアカイの申し出を聞いて、周囲の人達は驚き、また彼の悔い改めを認めざるをえず、黙ってしまったのではないかと思われます。そして、その状況を後押しするかのように、キリストは二つの宣言をします。一つはザアカイについてであり、もう一つはキリスト自身についての宣言でした。

 ザアカイについては、キリストは、「きょう、救いがこの家に来ました。」という宣言をしました。救いがこの家に来た、というのは、ザアカイの悔い改めは本物であるという認定として受け止められたでしょう。そして、それは、ザアカイ一人ではなく、彼の家族まで届くことを示唆しているかもしれません。
 「この人もアブラハムの子なのですから。」という理由は理解しにくい部分が有ります。「アブラハムの子」というのは、「純粋なユダヤ人」を表す熟語でもありました。血統に関しては、ザアカイは言うまでも無く純粋なユダヤ人でした。ですから、そういう理由で「きょう」ザアカイに救いが来たと考えるのは不自然です。それならば、以前から救われていることにならなければおかしいでしょう。 
 ここで考えなければならないのは、そういう血統のことではなく、霊的、信仰的な面です。アブラハムは信仰の父と呼ばれています。神がアブラハムの子孫を大いなる民とし、そこから救い主が出るという約束を信じた信仰によって義とされたからです。すると、ここでいう「アブラハムの子」というのは、アブラハムの信仰の歩み、信仰の姿勢に従う者という意味で理解することになります。簡単に言えば、キリストは「ザアカイは神の約束(旧約の預言など)を信じる信仰を持ったから、きょう救われた。」と宣言していることになります。
 次のキリスト御自身に関する宣言は、「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」というものでした。「人の子」というのは、「ダビデの子」と同様に、メシア、キリスト、救世主の称号です。ここでキリストは再び、「私は約束のメシアだ。」と宣言したことになります。当時、ユダヤ人達は、早くメシアが来て異邦人(特にローマ)と罪人(収税人など)を滅ぼすことを待ち望んでいました。しかし、キリストから見ると、そういう人々は、見出され、救われるべきであって、さっさと滅ぼすしてしまう対象ではなかったのです。「失われた」と訳された語は、「無価値な、死ぬべき、滅びるべき」という意味が有ります。放置すればそうなるでしょう。しかし、なんとかその中から救われて欲しいというのが神の心であり、キリストが遣わされた理由・目的なのでした。

 この箇所のザアカイの話は、ヨハネによる第一の手紙四章十九節を思い起こさせます。

『私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。』


しかし、その愛を受け止める信仰がなければなりません。イエスはキリスト、メシアであると受け止める信仰がなければなりません。その意味において、アブラハムの子でなければなりません。
 キリストの近くには、この時、バルテマイとザアカイが居ました。バルテマイは、自分から呼び掛けて救いを得ました。ザアカイは、キリストに声を掛けられ、その愛に打たれて救いを得ました。救われた時の有様は違っていました。しかしキリストを約束のメシアだと信じる信仰が共通点です。


まとめ

一、イエスはキリスト、約束のメシアである

二、イエスはキリストであるという信仰によってアブラハムの子となり、救われるのである。

三、キリストは、放置すれば滅びる者を、捜し出して救うために来られた。
  
→ 我々キリスト教徒は、キリストの従う者達として、その心を忘れてはならない。






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