政教分離原則をどのようにとらえていらっしゃるでしょうか。日本の感覚では、特定の宗教が政治に関与してはいけないという原則として見る人が多いように思います。しかし、最初にこの原則が主張されるようになった西欧では、違った成り立ちでした。
キリスト教が国教であったりした歴史の有る西欧では、為政者たちが、自分の都合と政治的な理由だけで、教会や信徒の意向を一切考慮せずに、監督や牧師を任命するということがよく有りました。それに反対する立場として、国や政治が監督や牧師の任命に関与するべきではないという主張が出て来ました。それが政教分離原則の成り立ちです。
改家の教会史で取り扱う事例としては、1843年、スコットランド教会の大分裂が挙げられます。450人の牧師がスコットランド教会を辞したということです。論争は10年程続き、市民の生活にも少なからず影響を及ぼしたということです。
この原則に共鳴した信徒たちは、自分達でお金を出し合って、教会堂と牧師館を建設して、国の影響を排除することに努めました。
現在では、欧米でも、このような成り立ちを知らないかったり無視したりする形で、政教分離原則を掲げて話を進めようとする人たちが出てきています。教会が政治的な発言しないように圧力をかけるために持ち出されたりします。それは、言い換えれば、政治的圧力が教会に介入する形となっており、まるで、政教分離原則が教会に逆襲を掛けているような事態になっている場合が有ります。
政教分離原則が、元来どういう性質の主張であったかを、ご理解いただければと思います。
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キリスト教が国教であったりした歴史の有る西欧では、為政者たちが、自分の都合と政治的な理由だけで、教会や信徒の意向を一切考慮せずに、監督や牧師を任命するということがよく有りました。それに反対する立場として、国や政治が監督や牧師の任命に関与するべきではないという主張が出て来ました。それが政教分離原則の成り立ちです。
改家の教会史で取り扱う事例としては、1843年、スコットランド教会の大分裂が挙げられます。450人の牧師がスコットランド教会を辞したということです。論争は10年程続き、市民の生活にも少なからず影響を及ぼしたということです。
この原則に共鳴した信徒たちは、自分達でお金を出し合って、教会堂と牧師館を建設して、国の影響を排除することに努めました。
現在では、欧米でも、このような成り立ちを知らないかったり無視したりする形で、政教分離原則を掲げて話を進めようとする人たちが出てきています。教会が政治的な発言しないように圧力をかけるために持ち出されたりします。それは、言い換えれば、政治的圧力が教会に介入する形となっており、まるで、政教分離原則が教会に逆襲を掛けているような事態になっている場合が有ります。
政教分離原則が、元来どういう性質の主張であったかを、ご理解いただければと思います。
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