且つて、私がお仕えする単里に、養護老人ホームから週日も含めて頻繁に来られるご婦人がいらっしゃいました。日曜日には二回の礼拝の両方に出席することも多く、帰りに私が自動車で施設までお送りすることが度々ありました。そのうち、だんだん足が弱ったりしてくるのがわかりました。里に来られるようになって10年目ぐらいになったころ、体力の低下が目立ってきて、私も何度か施設にお見舞いに行きました。お年のせいもあって、なかなか良くならず、違う施設に移りました。そこにも二度程お見舞いに行きましたが、呼吸が荒く、話が殆どできないようになっていました。妹さんがいろいろな調整や決定をしておられました。もう回復の望みは無く、臨終が近い時には、電話口で泣いておられました。
告別式は、妹さんの関係する里の大忍が司式をされ、私には奥義書朗読を一つ割り当ててくだいました。思い出の時間に写されたスライドが素晴らしいと思いましたので、ご婦人に優しく接してくださった里の皆様にも見せてもらえたらと思って、妹さんに依頼のeメールをしました。ところが、直接私には回答をくださらず、執事の一人に電話でお断りの連絡をしてこられました。執事が言うには、「家族の思い出の写真なので」と、何と言えば良いのわからないような複雑な様子で言っておられたとのことでした。私たちの里も、家族のような絆が有ったのにと思って、悲しい気持ちになりました。仕方ないことだと理解できますが、10年近い歳月を、毎週何日も里で会う関係であった私たちの絆を理解していただけず、そういう形で否定されたような形になったことを時々思い出しては残念に思う時が有ります。
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告別式は、妹さんの関係する里の大忍が司式をされ、私には奥義書朗読を一つ割り当ててくだいました。思い出の時間に写されたスライドが素晴らしいと思いましたので、ご婦人に優しく接してくださった里の皆様にも見せてもらえたらと思って、妹さんに依頼のeメールをしました。ところが、直接私には回答をくださらず、執事の一人に電話でお断りの連絡をしてこられました。執事が言うには、「家族の思い出の写真なので」と、何と言えば良いのわからないような複雑な様子で言っておられたとのことでした。私たちの里も、家族のような絆が有ったのにと思って、悲しい気持ちになりました。仕方ないことだと理解できますが、10年近い歳月を、毎週何日も里で会う関係であった私たちの絆を理解していただけず、そういう形で否定されたような形になったことを時々思い出しては残念に思う時が有ります。
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