先日、中里の会議に出席しました。議長が議事進行の前に奨励をしたのですが、その中で出て来た例話が面白いと思ったので、残しておきたいと思います。
ある人が、自分の十字架と思える環境、境遇、課題などに悩んでいました。これは自分が担いきれるものではない、自分が担うべきものではないとさえ思ったということです。
そんなある日、彼は夢を見ました。自分には担いきれない、自分には合わないと思っている十字架を背負い、苦しんで道を進んで行くと、大聖堂にたどり着きました。中に入ると、礼拝堂の横にも大きな扉が有って、その上に「十字架の部屋」という看板がかかっていました。気に入らない十字架を背負ってここまで来たので、他にどんな十字架が有るのか、もしかして、今の十字架よりももっと自分に適した十字架が有るのではないかという期待の気持ちをもってその部屋に入りました。
入ってみると、天使がいて、自由に十字架を見て行きなさい。自分に最適だと思うものが有れば、それと交換していっても良い、と声をかけてくれました。彼は、これ幸いと、自分が背負ってきた十字架を下して、適当な所に立てかけ、十字架を選び始めました。奥の、宙に高くそびえる大きな十字架は、イエス・キリストの十字架で、到底人間が背負えるものではありませんから、論外です。彼は、時間をかけて、いろいろな条件の十字架を、あれでもない、これでもないと考えながら確かめて行きました。これがぴったりだと思えるものが、なかなか見つかりません。どうしても一つ選ばなければならないので、これならぴったりと言わないまでも、確かめた中で一番自分に合うだろうと判断した十字架に決めて、それを背負って部屋を出て行くことにしました。出口の所で、天使に十字架を見せると、「それは、君が持ってきた十字架だね。」と言われました。自分に合わない十字架を下して、もっと自分に合う十字架を背負いたいと思ったのに、同じ十字架を選んだのかと、驚くほかありませんでした。
具体的にどのように結論づけるかは別にして、この人は、これまで背負ってきた十字架は、神の導きであったと受け止めて、続けて背負っていくことになります。私たち忍者も、現状を苦しく感じることが有るでしょうけれども、神に委ねられた忍者としての歩みを、謙遜に受け止めて、忍耐を持って歩んで行こうという思いを新たにしました。
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ある人が、自分の十字架と思える環境、境遇、課題などに悩んでいました。これは自分が担いきれるものではない、自分が担うべきものではないとさえ思ったということです。
そんなある日、彼は夢を見ました。自分には担いきれない、自分には合わないと思っている十字架を背負い、苦しんで道を進んで行くと、大聖堂にたどり着きました。中に入ると、礼拝堂の横にも大きな扉が有って、その上に「十字架の部屋」という看板がかかっていました。気に入らない十字架を背負ってここまで来たので、他にどんな十字架が有るのか、もしかして、今の十字架よりももっと自分に適した十字架が有るのではないかという期待の気持ちをもってその部屋に入りました。
入ってみると、天使がいて、自由に十字架を見て行きなさい。自分に最適だと思うものが有れば、それと交換していっても良い、と声をかけてくれました。彼は、これ幸いと、自分が背負ってきた十字架を下して、適当な所に立てかけ、十字架を選び始めました。奥の、宙に高くそびえる大きな十字架は、イエス・キリストの十字架で、到底人間が背負えるものではありませんから、論外です。彼は、時間をかけて、いろいろな条件の十字架を、あれでもない、これでもないと考えながら確かめて行きました。これがぴったりだと思えるものが、なかなか見つかりません。どうしても一つ選ばなければならないので、これならぴったりと言わないまでも、確かめた中で一番自分に合うだろうと判断した十字架に決めて、それを背負って部屋を出て行くことにしました。出口の所で、天使に十字架を見せると、「それは、君が持ってきた十字架だね。」と言われました。自分に合わない十字架を下して、もっと自分に合う十字架を背負いたいと思ったのに、同じ十字架を選んだのかと、驚くほかありませんでした。
具体的にどのように結論づけるかは別にして、この人は、これまで背負ってきた十字架は、神の導きであったと受け止めて、続けて背負っていくことになります。私たち忍者も、現状を苦しく感じることが有るでしょうけれども、神に委ねられた忍者としての歩みを、謙遜に受け止めて、忍耐を持って歩んで行こうという思いを新たにしました。

