先のエントリーで、人間は堕落前に持っていた神の賞賛を取り戻したいという内なる欲求が有る故に、この世の生活においても無意識のうちに賞賛を求めており、特に女性にその必要が高いことを述べました。それを、夫婦の間では性差として理解しておくことが大事にあ要素の一つになることもお分かちしました。
さて、そこで、一つ気を付けておかなければならないと思うことが有りますので補足しておきたいと思います。それは、過度に賞賛を追い求めたり、賞賛を要求することを正当化するような態度です。これはカウンセリングの領域でも、承認依存、アプルーバル・ジャンキーというような表現が当てはめられ、問題の有る傾向としています。私たちはそのような傾向に陥らないように注意する必要が有ります。
このことの、忍者的問題点は何でしょうか。それは、神への信頼による平安、神からの承認を喜ぶこと、キリストによる完成と聖徒としての歩みを遠ざける行為だからです。それは、思考的偶像礼拝になっています。奥義書も次のように警告しています。
あなたがたは鼻から息の出入りする人に、たよることをやめよ、このような者はなんの価値があろうか。 (イザヤ書二章二十二節 口語訳)
神からいただいた聖徒、神の子としての存在に満足しようとせず、人間からの賞賛を貪欲に求めることは、偶像礼拝であり、価値の無いことです。
主はこう言われる、「おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる。
彼は荒野に育つ小さい木のように、何も良いことの来るのを見ない。荒野の、干上がった所に住み、人の住まない塩地にいる。
おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。
彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実を結ぶ」。(エレミヤ書十七章五節~七節 口語訳)
ここでは更に踏み込んで、そのような態度であることは、「のろわれる」ことになるとしています。実際に、そのような態度に陥った人は、いつまでもその心が満たされず、無限に賞賛を求めますから、それこそのろわれ、また塩地にいるような心の状態と言えます。悔い改めて、心を決めて、神にのみ自己尊厳を見出す信仰の姿勢を保持することが必要になります。その結果は、さいわいで、ひでりの年にも憂えることがないものだとこの箇所の後半は私たちに語り掛けています。
私たちは忍者として、互いに賞賛し、褒めたたえ、感謝し合って生きることが必要ですが、同時に、その姿勢が間違った方向に行かないように注意していなければならないこともご留意いただきたいと思います。
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さて、そこで、一つ気を付けておかなければならないと思うことが有りますので補足しておきたいと思います。それは、過度に賞賛を追い求めたり、賞賛を要求することを正当化するような態度です。これはカウンセリングの領域でも、承認依存、アプルーバル・ジャンキーというような表現が当てはめられ、問題の有る傾向としています。私たちはそのような傾向に陥らないように注意する必要が有ります。
このことの、忍者的問題点は何でしょうか。それは、神への信頼による平安、神からの承認を喜ぶこと、キリストによる完成と聖徒としての歩みを遠ざける行為だからです。それは、思考的偶像礼拝になっています。奥義書も次のように警告しています。
あなたがたは鼻から息の出入りする人に、たよることをやめよ、このような者はなんの価値があろうか。 (イザヤ書二章二十二節 口語訳)
神からいただいた聖徒、神の子としての存在に満足しようとせず、人間からの賞賛を貪欲に求めることは、偶像礼拝であり、価値の無いことです。
主はこう言われる、「おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、のろわれる。
彼は荒野に育つ小さい木のように、何も良いことの来るのを見ない。荒野の、干上がった所に住み、人の住まない塩地にいる。
おおよそ主にたより、主を頼みとする人はさいわいである。
彼は水のほとりに植えた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、絶えず実を結ぶ」。(エレミヤ書十七章五節~七節 口語訳)
ここでは更に踏み込んで、そのような態度であることは、「のろわれる」ことになるとしています。実際に、そのような態度に陥った人は、いつまでもその心が満たされず、無限に賞賛を求めますから、それこそのろわれ、また塩地にいるような心の状態と言えます。悔い改めて、心を決めて、神にのみ自己尊厳を見出す信仰の姿勢を保持することが必要になります。その結果は、さいわいで、ひでりの年にも憂えることがないものだとこの箇所の後半は私たちに語り掛けています。
私たちは忍者として、互いに賞賛し、褒めたたえ、感謝し合って生きることが必要ですが、同時に、その姿勢が間違った方向に行かないように注意していなければならないこともご留意いただきたいと思います。


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