糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

牧師を訴えると罪?其ノ二(詩篇百五篇十五節)

2017-08-17 10:49:11 | あれれ?な奥義書(聖書)引用
以前に牧師を訴えると罪?というタイトルでサムエル記の記述から確認をしましたが、詩篇にも同様な表現が有りますので取り上げておこうと思います。

「わたしの油そそがれた者たちに触れるな。わたしの預言者たちに危害を加えるな。」(新改訳)

この箇所ではどのような文脈でこの表現が用いられているかを確認する必要が有ります。アブラハム、イサク、ヤコブに対する契約のゆえに、イスラエルの民が少人数で会った時から、寄留の他国人であった時から、神の守りが有ったということが書かれています。ということは、この箇所は約束の民であるイスラエル民族への神の守りを表しているのであって、牧師の取扱についての言葉ではありません。この箇所の続きには、イスラエルがエジプトに寄留し、後に神の守りの中で脱出することが述べられています。

神の選びが有り、またイスラエル民族の中では直接神との交流を通して契約を得た人物としてアブラハムなどは預言者とも考えられている事実に基づいた表現であって、これを牧師に適用することはできません。

この聖書箇所の引用をもって、どんな牧師でも訴えてはいけないような教えを導くことはできません。





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冬や安息日にならぬように

2017-08-01 22:17:56 | 奥義書講解・福音書
福音書のちょっとした語句の背景の理解を記しておきたいと思っただけなのですが、一応このカテゴリーでお願いしたいと思います。

イエス・キリストがエルサレム滅亡を預言した中に出て来る祈りの指示のことです。私が思っていたことが、資料の内容と異なっており、背景の理解が不足していたことに気が付きましたので書いておきます。不勉強であったことの告白でありますので、ご存知の方にはどうってことの無い内容です。

先ず、冬にならぬようにということです。つい日本の季節感覚で考えてしまったのですが、少々事情が異なるようです。勿論寒さが逃避行の妨げになることでしょう。しかし、それ以上に問題なのは、エルサレムの周囲では冬に川が増水して渡ることが困難になるということだったそうです。実際に、冬に脱出を試みた一団が、川に阻まれて全員ローマ軍に殺されたという記録が有るそうです。

次に、安息日にならぬようにということです。自分の考えでは、皆が礼拝に集まるような日に城壁が崩されてローマ軍が攻め入れば、一網打尽にされてしまうから、そうならぬようにということだと思っていました。しかし、それよりも、安息日規定の要素の方が大きかったということでした。ご存知だと思いますが、律法では安息日に働くことが禁じられていましたが、それに従って民の伝統では移動する距離も定められていました。まさか緊急の時にそんなことを守るだろうかと思ったのですが、強い拘束力が有ったようです。しかも、家畜に乗ることも禁じられていました。そうしますと、もう逃げようが有りませんので、安息日にならぬように祈れということだったわけです。





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