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糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

教会の自由

2009-02-05 02:30:15 | 里の心得・掟などのこと
私の里の心得を見ますと、二番目には教会の自由が取り上げられています。これは、改家のみならず、他の家にも適用できるものという意識で書いてあります。

個人に良心の自由が有るように、教会も、どの家(教派)里(教団)であろうとも、キリスト・イエスの御心にかなっている限り、その教会を治め、会員の資格や賞罰に関する決定をする自由が有るという内容になっています。

これは、教会員が、世俗の基準を盾にして、聖書の教える訓戒や罰則を逃れようとする教師、会員などが出ないようにという面も有ると思います。しかし、決めてあっても知らなければ意味がありませんから、他の里の例で聞きましたが、年に一度、このような主題の説教をして周知徹底するような取り組みは必要だろうと思います。

こういう意識を高く持つことも、教会が破壊的カルト化することを防止する力に成るはずです。あるブログの記事で、同じ改家の流れを汲む里の大忍が、里の心得と掟が、そういう抑止力としてきちんと作用していると述べているのを読んだことが有ります。






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良心の自由

2009-02-04 17:26:42 | 里の心得・掟などのこと
私の所属する里や近縁の幾つかの里の心得・掟を見ますと、最初に良心の自由の項目が有ります。

神のみが良心を支配することのできる存在であり、信徒であるならば、誰でも聖書に反しない限り、良心に従って判断する自由が有り、良心の自由を侵害することはできないということが書いてあります。

これは、思想信条の自由の問題であり、最初は迫害などの外部からの圧力を意識したものかと思いましたが、最近では、もっと幅広いものであることに気付きました。これには、同じ教会員同士の問題も含まれているはずです。特に、破壊的カルト化した教会の出現を思う時、この良心の自由の問題であると思うようになりました。たとえこのような心得や掟を持っていない他家などでも、こういう意識はきちんと持っていなければならないし、互いに教え合わなければならないと思います。

少しずれますが、こういう破壊的カルト化の問題に関しては、リバイバル考のカテゴリーで書きましたように、きちんとした聖書の研究手順を信徒が学ぶことも大事だと思います。一般の書籍で、聖書研究ガイドのようなものが気軽に手に入れば、デタラメな聖書解釈に騙されることも少なくなるのではないかと思います。且つ、良心の自由の意識が有れば、更にそういうリスクが減るのではないかと思います。

これは個の確立にも関係していると思います。個の確立のできていない人は、このような意識を明確に持つのが難しい場合が有るのではないかと思います。そういう人程、自分の信仰ではなく、相対的で周囲に合わせる信仰になって、結局信仰の本質から離れてしまうのだと思います。そう考えると、日本の風土では結構難しい部分が我々の家や里の心得・掟の最初に来ていると感じます。裏を返せば、そういう基本的で大事な部分がしっかりしていない、もしくはぼやけやすい環境に我々は居るのと言えるのではないでしょうか。自戒して修行を続けたいものだと思います。






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定年を設定する

2009-02-02 15:42:25 | 里の心得・掟などのこと
私の里や、近縁の里の掟を時々確認するのですが、今回は定年制のことを書いて見ます。

大忍、長老、按手執事など、定年は満七十歳です。死ぬまで現役とか言って、周囲に迷惑をかけるような人が居ることを考えますと、これは大事な項目ではないかと思います。

旧約聖書の祭司やレビ人は、五十歳が定年でした。しかし、現代人の五十歳は、まだ働き盛りという感じがします。ですから、七十歳は妥当なところだろうと思います。政治家でも、七十歳を超えて現役な方がいます。

しかし、引き時が決めてあるのは良いことだと思います。それを目標に、後継者も育てなければなりません。

サムエル記に出てくる大祭司エリは、後継者の育成に失敗しました。そのせいでもあったかもしれませんが、規定を破って、四十年も長く大祭司の地位に留まっていました。事情が有ったとしても、やはり規定は守るべきであったと思います。それを守らなかったのは、神に委ねる信仰や忠誠心が乏しかったせいではないかと思います。

高齢の大忍達でも、地道に忠実に主に仕えておられる方は沢山いますが、重要な位置に居ると思われる大忍が、七十歳近く、もしくはそれを超えて、首を傾げたくなるような判断をしたり行動をしたりしているような情報に触れるにつけ、きちんと引き際を設定した生き方の方がもっと大事だという思いを新たにしました。

私達改家の諸家に定年の掟が有ることを、私は誇りに思います。






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里の心得・掟について

2008-07-30 03:08:06 | 里の心得・掟などのこと
改家(改革派)は、旧家(カトリック)から離れた時、当時の旧家の有様を反省して、里の心得・掟を整備しました。これは、アメリカ合衆国建国の時にも参考にされたということで、北米の改家諸里は、そのことを誇りに思っているようです。今では改家を名乗らない、分家、離れ里でも、心得や掟を守っている所が有ります。

この心得・掟は、礼拝は何かというようなことから始め、里の意志決定などにも言及されていて、大忍や特別大忍が、恣意的に決定できないようにしてあります。また、里の財産などは、上里である、中里・大里の管理下に有り、個人で動かせないようになっています。

そんなことを、少しずつここでお知らせできればと思っています。





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