私の里の心得を見ますと、二番目には教会の自由が取り上げられています。これは、改家のみならず、他の家にも適用できるものという意識で書いてあります。
個人に良心の自由が有るように、教会も、どの家(教派)里(教団)であろうとも、キリスト・イエスの御心にかなっている限り、その教会を治め、会員の資格や賞罰に関する決定をする自由が有るという内容になっています。
これは、教会員が、世俗の基準を盾にして、聖書の教える訓戒や罰則を逃れようとする教師、会員などが出ないようにという面も有ると思います。しかし、決めてあっても知らなければ意味がありませんから、他の里の例で聞きましたが、年に一度、このような主題の説教をして周知徹底するような取り組みは必要だろうと思います。
こういう意識を高く持つことも、教会が破壊的カルト化することを防止する力に成るはずです。あるブログの記事で、同じ改家の流れを汲む里の大忍が、里の心得と掟が、そういう抑止力としてきちんと作用していると述べているのを読んだことが有ります。
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個人に良心の自由が有るように、教会も、どの家(教派)里(教団)であろうとも、キリスト・イエスの御心にかなっている限り、その教会を治め、会員の資格や賞罰に関する決定をする自由が有るという内容になっています。
これは、教会員が、世俗の基準を盾にして、聖書の教える訓戒や罰則を逃れようとする教師、会員などが出ないようにという面も有ると思います。しかし、決めてあっても知らなければ意味がありませんから、他の里の例で聞きましたが、年に一度、このような主題の説教をして周知徹底するような取り組みは必要だろうと思います。
こういう意識を高く持つことも、教会が破壊的カルト化することを防止する力に成るはずです。あるブログの記事で、同じ改家の流れを汲む里の大忍が、里の心得と掟が、そういう抑止力としてきちんと作用していると述べているのを読んだことが有ります。


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