糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

覚えていなくても血肉となっている

2018-09-18 23:10:28 | 気まぐれ忍務報告
 先日、仲間の大忍のご厚意で、説教に関する講習会に参加させていただきました。そこで、講師が話した例話を紹介したいと思いました。ちょっと私が流れに合わせて作っている部分も有りますが、基本的には内容は同じです。

 私たちは食事をして、何が美味しかったとか記憶している場合も有りますが、大抵は何時何を食べたか覚えていません。五週間前の夕食は何だったかなんて全然記憶にないだろうと思います。でも、思い出せないから無駄だとか意味が無いということはなく、その食事が確実にこの体を支える栄養になってきています。
 説教も同じです。先週の説教の要点の記憶だって怪しいかもしれませんし、ましてや五週間前の説教が何だったかすら覚えていないでしょうけれども、確実にそれが霊的な養いになって、その人の信仰を支え形成する働きをしているのです。

 説教が役に立っているのかと疑問に思ったりする場合も有るかもしれませんが、神の言葉が生きて働いていることを信じ委ねてその務めを続けるのだという奨励になっていました。

 奥義書研究会でこの例話を紹介したところ、一人の忍者が15年前に聞いた説教の知識がふと思い出されて役に立つようなことも有ったと言っていました。
 




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コメント (2)
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