Bark Yellows(バークイエロース)

学生時代に結成、今年50年目の4人組。American Folk SongのCoverをやってます。

Day Dream Believer

2012年03月23日 | Song(A・B・C・D・E)

John Stewart interview on writing "Daydream Believer"

The Monkees(ザ・モンキーズ・ショー)と言うTV番組がありましたね。
1966年9月から1968年3月までアメリカNBC系列で放送されたコロンビア映画制作の海外コメディー・ドラマでした。日本ではTBS系で1967年(昭和42年)10月から1969年(昭和44年)1月にかけて放送された30分番組です。
主演の4人のメンバーは1965年カリフォルニア州ロサンゼルスで音楽業界紙「デイリー・ヴァラエティ」に掲載されたオーディション広告によって集められました。その、集まった若者約400人からDavy Jones (デイヴィー・ジョーンズ)、Michael Nesmith(マイク・ネスミス、)Peter Tork(ピーター・トーク)、Micky Dolenz(ミッキー・ドレンツ)が選出されました。
また、Modern Folk Quartet(モダン・フォーク・カルテット)のJerry Yester (ジェリー・イェスター)も事前にメンバーとして台本を渡され打診されていたもののModern Folk Quartetの全員が参加するのでなければと辞退したそうです。


ちなみに日本版の声の吹き替えは下記の方々です。

Davy Jones :高橋元太郎 (Davy Jonesは2012年2月29日亡くなりました。)
ヴォーカル、パーカッション担当。グループ内で一番女の子にモテる。グループ内唯一のイギリス人。
Micky Dolenz :鈴木ヤスシ
ヴォーカル、ドラムス担当。明るく物真似がうまい。典型的なエンターティナー。
Michael Nesmith:長沢純
ヴォーカル、ギター担当。グループのリーダー役。いつも被っているウールハットがトレードマーク。
Peter Tork :太田博之
バックボーカル、ベース担当。天然ボケ役。
 
皆さんどうしているんでしょう?

このグループの代表的な曲がこの”Day Dream Believer “で1967年12月にビルボードHOT100の1位となりました。 もともとは,Folk SongとしてThe Kingston TrioJohn Stewart が、Trioを去る直前にThe Monkeesのために、作曲しました。その頃の話を、ビデオでは話しています。
また、Modern Folk QuartetThe Monkeesと因縁があり、この曲のプロデュースはModern Folk QuartetChip Douglas(チップ ダグラス)が行っており、彼らもDay Dream Believer をレパートリーとして取り上げています。

The Monkees - DayDream Believer 

Day Dream Believer John Stewart

Oh, I could hide 'neath the wings
鳥の翼の下に隠れることができたらいいなあ
Of the bluebird as she sings.
ほら, あのさえずっているブルーバードの翼とか
The six o'clock alarm would never ring.
6時にセットした目覚まし時計なんて鳴らなければいいのに
But it rings and I rise,
でも鳴ってしまうわけ, それでボクは起きる
Wipe the sleep out of my eyes.
眠たい目をこすってヒゲをそるけど
My shavin' razor's cold and it stings.
カミソリは冷たくてチクチクする

Cheer up, Sleepy Jean
元気を出して,寝ボスケ・ジーン
Oh, what can it mean
現実の暮らしがどういうのかわかってるのかな
To a daydream believer
白日夢を信じる者と
And a homecoming queen.
ミス・キャンパスには

You once thought of me
君はボクのことを
As a white knight on a steed.
白馬の騎士だと思っていた
Now you know how happy I can be.
ボクがどんなに幸せになれるかわかったでしょ
Oh, and our good times start and end
そしてボクたちの楽しい毎日が始まって終わる
Without dollar one to spend.
1ドルだって使うお金な
But how much, baby, do we really need.
でもやっぱり本当はお金はほしいよね

Cheer up, Sleepy Jean.
元気を出して,寝ボスケ・ジーン
Oh, what can it mean.
現実の暮らしがどういうのかわかってるのかな
To a daydream believer
白日夢を信じる者と
And a homecoming queen.
ミス・キャンパスには

MFQ


”Lana”「愛しのラナ」

2012年03月09日 | Song(K・L・M・N・O)

Roy Orbison : Lana

東日本大震災から1年、早期の復興を願っております。
ブログの方も早1年を迎えようとしています。
さて、今回、紹介するのは、Old Daysの名曲。テキサス州の高校教師バージル・ジョンソンと、生徒4人で結成された黒人のグループThe Velvets(ヴェルヴェッツ) の歌った”Lana”「愛しのラナ」です。
プリティー・ウーマン」「オンリー・ザ・ロンリー」「ランニング・スケアード」などのヒット曲を作曲したRoy Orbison(ロイ・オービソン)が彼らのために書いた作品で1961年に発売されましたが何故かアメリカではヒットせず、 1963年~64年かけ日本では約半年以上の長期に亘るヒットとなりました。
この曲はいわゆるDoo Wop(ドウーワップ)の曲でアメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)奴隷の労働歌に遡り、黒人教会で聖歌隊が歌うゴスペルによって基本的な形式が作られました。やがてゴスペルを基礎にジャズのメディー、和声、歌詞、伴奏が取り入れられたものが商業音楽として1930年代に出現しました。これが初期のDoo Wopで、ミルズ・ブラザーズ、インク・スポッツなどが代表的グループとされます。
1950年代半ばからは一大ブームを迎える。職業作家の手によらないシンプルなラブソングが増え、新たにテンポの速いリズムを強調した曲や、コミカルでユーモラスな曲も出てくるようになり、ロックンロールとともに若者文化の流行を担いました。この傾向に入るのが”Lana”「愛しのラナ」です。
なお、この曲は1966年にRoy Orbison自身も歌っています。また、彼ら最大のヒット曲はズバリDoo Wop"Tonight (Could Be the Night)"で、1961年のビルボード誌Hot100の26位とならました。

Lana(愛しのラナ



Lana
Zuhm-ma Zhum-ma-zhum-ma,
Zuhm-ma Zhum-ma-zhum-ma
Zuhm-ma Zhum-ma-zhum-ma,
Zuhm-ma Zhum-ma-zhum-ma
Zuhm-ma Zhum-ma-zhum-ma,
Zuhm-ma Zhum-ma-zhum-ma
Ma-ma-ma-ma ma-ma-ma-ma-ma

Oh, beautiful Lana
I told it my mama
And my dad
What I had
Was the sweetest
And the neatest
Little girl
In the world

Oh La-La-La-La Lana
La-La-La-La Lana
Hey Hey Lana
He- He- hey

O- Oh Lana
Don't make me blue
O- Oh Lana
Don't you know
Don't you know
I love you

Ling-a Ling-a-ling-a
Ling-a Ling-a-ling-a
Ling-a Ling-a-ling-a
Ling-a Ling-a-ling-a
Ling-a Ling-a-ling-a
Ling-a Ling-a-ling-a
Ma-ma-ma-ma ma-ma-ma-ma-ma

Oh beautiful Lana
Don't you know that I wanna
Hug and kiss you
Let you know that I miss you
While we're apart

Oh my heart
All it can say is
L-A-N-A
L-A-N-A
L-A-N-A
L-A-N-A

Oh La-La-La-La Lana
La-La-La-La-Lana
Oh La-La-La-La Lana
La-La-La-La Lana
Hey Hey Lana
He- He- hey

Tonight (1961)