「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

大橋巨泉 永六輔世代の”戦争”トラウマ

2016-07-21 05:38:03 | 2012・1・1
テレビタレント、司会者として昭和の時代、一世を風靡した大橋巨泉が82歳で亡くなった。先日同じ世代のタレント、作詞家の永六輔が83歳で亡くなった訃報を聞いたばかりである。二人より若干、年上の僕だが、やはり複雑な気持ちである。昭和の時代は、確実に遠くへ去りつつある。

巨泉が司会した深夜番組「11.PM」は昭和43年から始まったが、僕が44年、新聞社から民放テレビ局に移って、まず驚いたのは新聞社とテレビ局とが同じマスコミとはいえ、まるっきり違うことだった。その象徴ともいうべきなのは、巨泉のパイロット万年筆のCM”ハッパ.フミフミ”で、びっくり、戸惑ったのを今でも覚えている。”新聞人”と”テレビ人”との違いである。日本のテレビ業界の創生期の人材は新聞社から提供されている。「11.PM」の初代司会者、山崎英佑氏も社は違うが、僕の大学の先輩であった。山崎氏の司会時代は、視聴率も上がらなかったが、巨泉に代って一躍話題になったのは、時代がテレビという新しいメディアにあったタレントを望んでいたからであろう。

永六輔は昭和8年生まれ、巨泉は9年だが、同じ昭和1ケタ生まれでも、1ケタ初期の僕らとは考え方が違う。政治についての関心が強く、晩年まで、安保関連法案について発信していた。二人とも戦争中は、学童疎開していた年世代で、直接戦争体験はない。それなのに、安保反対をいい続けたのは、恐らく戦後の占領下の教育の”戦争”トラウマなのかもしれない。自分より若い人の早逝の報は複雑である。