「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

バリ島からの報告(2)旧日本兵を神として祀った村

2006-11-30 05:12:35 | Weblog
マルガラナの慰霊祭のあと僕らは車でバトウン県・ブルブンガン・シバン
(Blunbungan Sibang)村に移動した。山の中の僻村だが、ここに松井兵曹
長と荒木上等兵曹を祀った慰霊塔があり,塔の前にはセメント造りの二人
の像が建っていた。等身大の像は海軍下士官の正装で腰に軍刀をさげ半
長靴、敬礼姿で台座の上で四方を睥睨している。僕のブログ技術で写真を
ご紹介できず残念だ。

夕方5時から僕らは松井、荒木両兵曹を祀った,もう一つの慰霊塔のある
プナルンガン(Penarungan)村の慰霊祭に列席した。慰霊祭はバリ・ヒンズー
の荘重な儀式で行われ、村長から二人の日本人を讃える挨拶ががあった。
約300人の村民が椰子林の残照の中で祈りを捧げた。僕らも南寧の地で他
国の独立のため果てた二人の霊に手をあわせた。

ブルブンガン・シバン村は二人が戦後日本軍を離脱したあと、オランダ軍
の攻撃に備えてバリの若者に軍事訓練をした村。一方、プナルンガン村は
彼らが抑留所から出て最初に迎えられた村である。二つの慰霊塔も像も
村民たちが自身でおカネを出し合い、昨年暮れ完成したものだ。
僕は改めてバリの人たちの報恩の気持ちに感激した。

バリには年間20万人の日本人観光客が訪れている。二つの村の慰霊塔はこ
れらの観光客誘致のために建てられたものではない。それだけに僕は日本人
の一人として、なにか村民の気持ちに報ゆる道がないかー考えた。

バリ島からの報告(1)神になった旧日本兵

2006-11-29 06:10:12 | Weblog
11月20日、僕はバリ島の英雄墓地マルガラナで毎年催されている
独立戦争犠牲者慰霊祭(Hari Puputan Marrgarana)へ日本バリ会の
代表と一緒に参加した。この慰霊祭は昭和21年11月20日、インド
ネシア独立軍(司令官グラ・ライ中佐)が、オランダ軍の激しい攻撃に
あい、百数十人の部下と共に粛々とププタン(玉砕)した日を記念して
行われるもので今年で60回目を数える。

このププタンには、敗戦後日本の海軍第3警備隊を離脱してインドネ
シア独立軍に参加した荒木武友・上等兵曹(現地名 Made Sukri)=
長崎県=と松井久年・兵曹長(Wayan Sukura)の二人が参加しており、
英雄墓地の一角にバリの人たちと一緒にあつく葬られている。

僕が参加した日は、早朝から南の太陽が照りつけ暑かったが、旧都
シンガラジャに通ずる街道に面したマルガラナの会場は、全島から集
まった遺族、戦友など関係者など三千人で埋め尽くし、日本からも岩田
義正デンパサール総領事ほかかって収容所で松井兵曹長と一緒だった
稲川義郎氏(80)らも列席した。
慰霊祭は一時間以上にわたってバリ・ヒンズーの儀式にのっとって厳粛
に華やかに展開された。異邦人の僕の目には絵巻物の一巻として目に
映った。


60年前のこの日、この地で他国の独立のために尊い命を散華させた同
胞がいたのが、まるで夢のようた。僕はヒンズー様式の彼らのお墓に日本
から持参したお線香をたき、霊の安かれを祈った。墓には彼らと生前面識が
あったのだろうか老女たちが、綺麗な花やお供えものをしてくれていた。

(続は彼らのために慰霊塔と像を造ってくれた村びとたちの話)




















バリ島からの報告(1)神になった旧日本兵

2006-11-28 14:36:13 | Weblog
11月19日から27日まで8泊9日でバリ島を旅してきた。昭和41年の
最初の旅から数えて8回目の旅である。今回の旅の目的はインドネシア独立
戦争のさい、バリ人が上陸してきたオランダ軍と戦い、集団玉砕したのを記
念して毎年マルガラーナ英雄墓地で催される慰霊祭に出席することであった。
この集団玉砕には戦後バリに残留した旧日本兵も二名ないし三名が参加して
おりバリ人同様手厚く葬られている。

ここまで書き出したのですが、帰国の疲れです。文がまとまりません。明日
改めて書きます。ごめんなさい。

”子供じみた”警官犯罪防止策

2006-11-18 06:17:46 | Weblog
英語で”childlish"という言葉がある。”子供じみた”とか幼稚なとか
いう意味である。漆間警察庁長官の警官犯罪防止対策は、この言
葉にぴったりである。日本の警察官はいつから、こんな幼稚な存在に
なったのか?

漆間長官は警官の犯罪再発防止には家庭訪問などして”キメ細かい”
生活指導が必要だという。小学生や中学生が対象ではない。警棒を
腰にさげたお巡りさんに対してである。

最近までわが国では、警察官による犯罪など稀有だった。戦前は特
高など悪名高い思想警察もあったが、戦後は市民の公僕として威厳
を持ちながらも親しまれてきた。僕らが子供のときは悪戯をすると母親
から”お巡りさんを呼ぶよ”といわれたものだが、今の子供には効き目
がない。

警察官の犯罪が多いのは、警察全体のタガのゆるみである。警察官
の自覚の問題だと思う。例えば都内の警察署の前には私服の警官が
所在なさそうに立っているが、警備が目的なら制服で立つべきである。
交番はいつ行っても”巡回中”の札が置いてある。交番は住民との接点
だったが、それがなくなったため、犯罪が起きても積極的な協力も得ら
れなくなったという。

真偽はしらないが、昔は警察官採用に当たって身元調査があったと聞く。
民間会社でも金融関係では今でもきちんとした保証人を必要としている。
警察官でも当然なんらかの措置をとっているものと思うが、それでも家庭
訪問が必要なのだろうかー。

快適なセカンド・ライフの勧め

2006-11-17 06:17:19 | Weblog
(社)日本セカンド・ライフ協会主催のイベントが先日、在京インドネシア
大使館であり、僕も講師として招かれた。そして昔の日イ関係史につい
て雑談をした。僕自身セカンド・ライフを送っている一人であり、改めて余
生をいかに楽しみながら送るかの大切さを実感した。

主催団体は大手企業のOBを対象にした組織で、頂いたパンフによると、
文学散歩、落語観賞、ハイキング、ゴルフコンペ,囲碁将棋、カラオケな
どなど定期的に幅ひろく活動している。この日の催しも在京大使館訪問
を通じてその国の文化を知り親善を深めようという企画の一つ。

大使館の1階ロビーには男女の参加者約50人が集まり、バリ、ジャワの
踊りを楽しみ、インドネシアのお茶とお菓子を楽しんだ。面白かったのは
会員の男女が南スマトラと西ジャワの結婚式の盛装で登場、ファッション・
ショーを披露したことだ。大使館の演出だそうだが、自然にその地方の文
化が理解できた。

平均寿命が世界一という高齢社会がやってきてセカンド・ライフの期間も
長くなってきた。その間”粗大ゴミ”としてくらすのでは、本人もつらいし、
周囲もたまらない。昭和一桁世代に比べて二桁世代は趣味も遊びも幅が
出てきたとはいえ、それでも”会社人間”だった人もいる。これから長いセカ
ンド・ライフを快適にすごすために”粗大ゴミ”から抜け出よう。いたるところ
青山ありです。僕は50歳からインドネシア語を始めました。
 

 

昨日は七五三 ご存知でしたか

2006-11-16 06:13:09 | Weblog
昨日は七五三のお祝いだったが、千歳飴の袋を提げた親子連を一人も
見なかった。夕刻、老妻に尋ねたが、彼女も出会わなかったという。最近
は11月15日前の休日に繰り上げて行う風習だそうだが、やはり出生率
の低下、つまり子供の数の減少が根本原因であろう。

”今や戦後ではない”ころ,第一次ベビー・ブームの子供が七五三を祝
った当時の神社は賑やかだった。出生率が4・32もあった。ところが
今やそれが1・37に急減している。テレビや新聞も昨日が七五三と知
っていても、子供のお祝姿が見られなければ、ニュースにならない。

明治神宮の社頭で陸軍大将や海軍大将の服を着て七五三を祝った当時
の新聞写真が、僕らの七五三の原風景としてある。”今に大きくなったな
ら、勲章つけて剣下げて”の時代である。当時の親は子供の成長と出世
を願って子供に大将の軍服を着せたのであろう。今の親たちは何を願って
いるのであろうかー。

七五三は旧暦二十八宿の鬼宿日で何事にも吉の日だそうである。しかし
何事にも多忙な当今、多少運勢は悪くても家族全員が祝える休日に七五
三を移行して国民的行事とした方がよいのではなかろうかー。今のように
ばらばらに祝っていれば、行事そのものも消滅してしまう。家族の絆を固め
あう数少ない行事である。




必要な国際マナー 相手への配慮

2006-11-15 06:10:42 | Weblog
インドネシア人の友人から手紙を貰った。中に日本語で書かれた手紙が
二通入っていた。友人の手紙によると、彼が現地で世話をした日本人か
らの礼状だと思うが、意味が解らない。文面を教えてくれ、という内容で
ある。二通のうち一通の書出しには"拝復”と書いてあるところからみて
友人の英文の手紙の返事に対する返事だと思う。友人はまったく日本語が
解らない。


"国際化”が言われて久しいが、このような日本人はまだ多い。唯我独尊
というか甘えというかー。通訳の真似事をしていた時、平気で日本語の名
刺を渡す日本人が多いのに閉口した。せめて自分の名前ぐらいローマ字で
添書して貰いたい。相手のことなど配慮しないのである。


通訳泣かせは,長々と一方的にしかも日本人だけにしか通じない諺などを
得意げに話す御人だ。バイリンガルな通訳だって即座に対応できるもので
はない。逆におかしなのは”私の英語はプアーでして”と話す人の英語が
けっしてプアーではないことだ。

国際マナーはある意味では相手への配慮だと思う。言葉の問題ではなく心
の問題だと思う。インドネシア語で”dari hati ke hati"という言葉がある。
”心と心”という意味である。上記の手紙にしても謝意を表するのならば
絵葉書に”terima kasih"(有難う)と一言書いて送るほうがよほど気がきい
ているし、誠意が通じる。



団塊世代の自殺と責任

2006-11-14 05:59:54 | Weblog
自殺がテレビや新聞の社会面を賑わせている。困った連鎖反応だ。岐阜県
総務部長(58)が県庁の裏金問題にからんで自殺し、北九州市では男性校
長(56)が学校内のいじめを正確に市教委に報告しなかった責任をとって自
殺した。二人ともいわゆる団塊世代である。

WHO(世界保健機構)の自殺率調査によると、わが国は世界で第10位。
リトアニアが第1位で、日本より上位9か国はすべて政治体制移行国であ
る。つまり自由世界では1位である。そして、その特徴は55歳から59歳
までの世代が10万人当たり71・1と突出していることだ。ちなみに同世代
の米国は20・2人にすぎない。

わが国の自殺人口は、このところ年間3万人を越えている。警察庁の発表
では2005年は32,522人で前年度より227人増えている。うち50歳代
は7,556人。日本人の自殺は何故高いのかー。WHOの関係者は「日本
人は自殺によっ身の名誉を守り、責任を取るという倫理規範があるから
だ」と述べている。これも一面とは思うが、やはりバブル崩壊後のリストラ、
生活苦も影響しているのではないかー。

子供のいじめによる自殺連鎖も問題だが、このような事態を招いている社会
全体のタガの緩みに問題がある。伊藤忠の元会長で中曽根内閣のブレーンだ
った瀬島龍三氏が日本の危機は団塊の世代が社会の指導層になった時とい
う意味の発言をしていた。たんに命を絶つことで責任を取るのではなく、あらま
ほしきはタガの緩みの締め直しである。


お会式と地球温暖化

2006-11-13 06:07:06 | Weblog
きのう東京では木枯し一番が吹いた。いつのまにか路上に散っていた枯
葉が音を立てて舞っていた。つい先日まで暑い日が続いていたのに季節
は着実に冬に向かっていた。

夕刻、近所の日蓮宗のお寺のお会式を見に行った。日蓮宗のお会式は大
本山、池上本門寺は宗祖日蓮の命日にあたる10月12日に行われるが,
末寺はひと月遅れの慣習らしい。

駅前通りは一時交通ストップ。纏を先頭に善男善女が団扇(うちわ)太鼓
と鉦を鳴らし、その後を万灯が続く。灯りが夜空に映えて美しい。寺の境
内には樹齢数百年の銀杏の木が立っている。このまわりを纏をもった信徒
が踊る。

東京の城南育ちの僕にとってお会式はなじみのある行事だ。子供のとき玩
具の団扇太鼓を叩きながら”ここは池上本門寺、一貫三百どうでもよい”
と遊んだものだ。”一貫三百”とは江戸時代の人夫の日当のこと、本門寺
のお会式に参加できれば、日当なんてどうでもよいという意味だそうだが
子供のときには知るよしもない。

いつのまにか古老の年齢になってしまったが、むかしお会式のころはもっと
寒かった気がする。遠い記憶の中では大人たちはコートに襟巻き姿だった。
きのう東京は木枯し一番が吹き、気温は下がったがコートを着るほどではな
かった。やはり地球の温暖化は進んでいるのだろうかー。