「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「金」(かね)には縁がなかったが、健康だったこの一年

2016-12-31 06:24:26 | 2012・1・1
平成28年(2016年)も今日で”大つごもり”だ。恒例によって、この一年を振り返ってみた。今年の一年の漢字は「金」だったが、わが家は、いつもの年と同じように「金」(かね)には縁が薄かった。何枚か買う宝くじも、友人に頼んで買うG-1レースだけの僅かな馬券も何回か当たったが、結果的にはマイナスだった。それよりも、年初の1月に僕は大腸ガンが再発、入院開腹手術をしたが、経過は良好で1年を通じて、老夫婦揃って大病もせず健康であったのは「金」に勝る1年だったかもしれない。

加齢とともに1年は加速度を増してくる感じだ、年末に当たって、十年一昔、平成18年の歳末を回顧してみた。この年の1月、僕は娘の勧めで、このブログを開設したが。大晦日のこのブログには”ボケ防止のブログこの1年”と題して1年を総括している。これを見ると、ブログの閲覧数が4ケタを記録したと書いているが、調べると1回限りで、年間を通じれれば、PVは3ケタ、IPは2ケタであって、上位1万位にもランクされていない。そのPV上位には、当時早実の投手で甲子園で活躍したさ斉藤佑樹(現日ハム)が”ハンカチ王子”として紹介されていた。ちなみに、2006年の漢字は「命」であった。

年末の新聞の「2016鎮魂」欄に、今年他界された有名人が載っていた。調べてみると、85歳の僕より高齢の方が25人、若い方が38人である。変な言い方だが、そろそろ”適齢期”なのかもしれない。過ぎ行く1年を振り返り、除夜の鐘を聞きながら、老夫婦で年越しソバを祝おうと思っていたら、昨日、札幌の当ブログコメンター「天声薪語」氏から、自家製の粉で手打ちされたお蕎麦と夫人特製の蕎麦ツユまで添えられた宅急便が贈られてきた(写真)。新しい年の幸せを願って数時間後に頂戴したい。ブログはボケ防止だけではない。年寄への温かい絆を結んでくれるプレゼンとでもある。
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稲田防衛相の”忘恩の徒”発言のタイミング

2016-12-30 05:56:55 | 2012・1・1
暮も3日に迫った29日、安倍総理の真珠湾慰霊の旅に同行、帰国したばかりの稲田朋美防衛相が靖国神社を参拝した。何故この時期の参拝なのかー。例によって例のようなマスコミの質問に対して、稲田大臣は”忘恩の徒になりたくないからだ”と答えた。昭和34年生まれ、僕の娘より若い大臣だが、その時代がかった返答に驚いた。靖国参拝は、大臣がいう心の問題である。真珠湾の旅で安倍総理が不戦の誓いをした直後に防衛大臣が誤解を呼ぶ、靖国参拝をしたら、外交的にどうなのか配慮しなかったのだろうか。

僕も”忘恩の徒”にはなりたくない。だから、今回の安倍総理のパーフォーマンスがかった真珠湾慰霊の旅には一言ある立場である。僕は総理がアリゾナ記念碑に献花し、犠牲者に黙祷を捧げ、生き残りの米兵に膝まづいている姿を見て、75年前の同じ時期、タイ領シンゴラ海岸に上陸した第25軍司令部の戦友会誌に載っている一文を想い出した。真珠湾攻撃に先立って、旧日本軍はマレー半島のコタバルに敵前上陸、同時に陽動作戦として、当時中立国だったタイのシンゴら海岸にも上陸した。そのシンゴラの司令部にコタバル敵前上陸で戦死した311のご遺体が、イスラム教で火葬禁止されている現地から大発(輸送船)によって運ばれ、荼毘(ダビ)にふせられる悲しい情景が書かれてある。

戦後70年経つが、コタバルでもシンゴらでも政府主催の慰霊祭が行われたことがない。戦跡の慰霊碑さえ建っていない。真珠湾とは違って完全に忘れられてしまった。稲田防衛相が、真珠湾慰霊の後、国のために尊い命を捨てたにも関わらず、忘れ去られたご英霊に想いをは馳せられたのは素晴らしい。しかし、真珠湾慰霊の旅によって、せっかく展開しようとしている一連の、安倍内閣の平和外交にとっ靖国参拝がプラスかマイナスなのか配慮がたりないように思われる。
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安倍総理の「戦後」感覚と”寛容”の心

2016-12-29 06:50:07 | 2012・1・1
安倍首相が真珠湾慰霊のあと”これで戦後は完全に終わりになった。いつまでも、私の次の首相まで戦後を引きずる必要はない”と周囲に語ったという(産経新聞)。これを読んで僕は、戦後昭和29年生まれの安倍首相と、昭和1ケタ生まれ世代との間には随分、違いがあると思った。僕の戦後感覚は、昭和31年の経済企画庁白書”もはや戦後ではない”で終わっている。27年のサンフランシスコ条約で米国をはじめ世界の大方の国とは平和条約をう結んでいる。近隣諸国も今のように戦後を引きずっていなかった。

今回の安倍首相の慰霊所感で、僕が気になったのは安倍首相が所感演説の中で”寛容”という言葉を7回も使い、”敵国だった米国が戦後、寛容の心で援助した”と感謝の言葉を述べた。しかし、戦後、米国は連合軍の一員として市ヶ谷東京裁判をはじめ各地で戦犯を裁き千人を超す日本人が刑死している。これが”寛容”の心と言えるだろうか。

産經新聞の29日付け署名記事の見出しは”寛容の価値、中韓に迫る”とある。安倍首相の演説には、中韓両国も日米の寛容の心に見習うべきだというのである。早速、これに咬みつくように中国政府の談話が出ていた。韓国では”最終的かつ不可逆的”合意を見た1周年の記念日の昨日、新しい慰安婦像を釜山の日本領事館前に建てる騒ぎがあった。

わが国は、ありもしない「従軍慰安婦」に10億ドル支払う”寛容”の心もあるが、他国も同じとは限らない。固有の領土を占領され、自国民が不法に連行され強制労働されても賠償金も求めない”寛容”の心は、他国にあるとは限らない。安倍首相は、”寝ていた赤子を起こす”効果を近隣諸国に与えかねない。昭和31年には、”慰安婦”も”南京”もなかった。
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納めの目黒不動

2016-12-29 05:35:03 | 2012・1・1
昨日12月28日は、目黒不動尊の一年最後の”納の不動”。老妻が長女と一緒に一年の無事を感謝して参拝してきた。今年はNHKの番組”ぶらたもり”の影響もあってか、例年より人出は多かったとのこと。今年もあと3日だ。
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何故、今、”寛容”と”和解”なのか 安倍総理のパーフォーマンス

2016-12-28 09:34:55 | 2012・1・1
安倍総理がオバマ大統領と共に真珠湾のアリゾナ記念館で慰霊の式典に臨む姿をテレビ中継で見た。75年前の昭和16年(1941年)12月8日早朝(日本時間)僕は、大本営発表の臨時ニュースで、日本軍が真珠湾を攻撃、英米に宣戦布告したことを、子供ながらにはっきり覚えている。あれから75年、僕は戦後生まれの日米指導者が献花する模様を万感の想いで見た。

安倍総理は式後の所感演説の中で世界平和にとって、”寛容”と”和解”の必要性を強調した。そして、その中で例として米国が焼跡の日本に対して”寛容”の心で援助してくれたと述べた。”寛容”とは何なのか。多分、餓死者さえ出るといわれた食糧難の日本に、緊急食糧援助したのを指すのだろう。僕も当時、米に代って米国から小麦やチーズが配給になったのを憶えている。

しかし、一方では僕は市ヶ谷の国際裁判で、勝者側が戦時中の東条英機首相らに死刑を宣告、処刑したのも覚えている。今、高野山の金剛寺奥ノ院には、ABC戦犯裁判で処刑された1180名の「昭和殉難者」の慰霊碑があり、毎年4月29日には、式典が行われているが、靖国神社同様、国家指導者が参列したことがない。

昭和39年、安倍総理の大叔父に当たる佐藤栄作内閣の時代、政府は東京大空襲や広島原爆投下を指揮した米国のルメイ大将に対し、航空自衛隊創設に功績があったと勲一等旭日章を授与している。”寛容”を絵に描いたようなものだ。

今、何故”寛容”と”和解”なのか。慰霊式典の後、安倍総理が膝まづいて、生き残りの老兵と懇談していた。謝罪としか見えない。75年の歳月の中で僕はすでに、日本は”寛容”の心で”和解”に努めてきたと思う。それなのに、。今、また何故また”寛容”と”和解”が必用なのか。安倍総理のパーフォーマンスは「近隣諸国」に誤解を与えるだけだ。

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年末年始 お年寄りの血糖値管理

2016-12-28 06:06:26 | 2012・1・1
産経新聞の12月27日付け首都圏版生活面に高齢者の血糖値管理についての記事が載っていた。厚労省の調査によると、日本人の糖尿病患者の68.0パーセント、3人に2人は65歳以上の高齢者だという。それだけ、年寄りには多い病気で、僕もここ20年ぐらい、血糖値が高く、薬をのんだり、止めたりの生活だが、この産經の記事は、今、僕が治療を受けている主治医の見解と同じ。胸を撫で下ろした。

主治医の見解は、僕のような80歳半ばを過ぎた老人は、糖尿病の目安値「HbAic」(ヘモグロビン)が7パーセント以上でも薬をのむ必要はないというのである。今年になっての僕の「HbAic」値は7.0から7.8で推移していたが、11月に10.0パーセントに上がってしまった。注意していたのだが、考えると、そのころ油断から間食が多かった。このため、主治医はストップしていた薬を復活したら12月には8パーセントに下がった。

産經の記事によると、最近の日本糖尿病学会の考え方は75歳以上の後期高齢者の血糖値は8パーセントまで緩和してもよい、というのである。それよりも低血糖値からくる脳卒中の方がこわく、「HbAic」が7-8.4パーセントであっても、脳卒中発症の危険は少ないということだ。

今年もあと4日、数え日になってきた。老夫婦だけの生活である。昔のような正月料理の準備はしないが、それでも、普段とは違う真似事のおせち料理は食べる。どうしても、血糖値が上がりそうなものばかりだ。あと何回迎えられる新年か判らない。多少、血糖値が上がっても、お屠蘇酒は夫婦でかわすことに決めている。

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リメンバー コタバル もう一つの真珠湾

2016-12-27 05:42:05 | 2012・1・1
安倍総理が28日、ハワイ真珠湾にある旧日本軍によって沈没させられた軍艦アリゾナ上の犠牲者慰霊碑を訪れ、オバマ大統領と共に献花する。米国では昭和16年(1941年)12月7日(現地時間)、旧日本軍が宣戦布告なしに真珠湾を奇襲攻撃をかけたとして、”リメンバー.パールハーバー”(真珠湾を忘れるな)の慰霊式典が行われているが、日本の総理が公式に式典に参加するのは初めてで話題になっている。

結果的には真珠湾攻撃は奇襲だが、大東亜戦争は真珠湾攻撃の約2時間前の12月8日午前2時15分(日本時間)、マレー半島東海岸のコタバルで戦争の火ぶたは切られている。文部省国定国民学校教科書国語巻六(昭和18年度)は「敵前上陸」というタイトルで第18師団歩兵56連隊の敵前上陸の熾烈な戦闘を紹介している。この戦闘で日本側は311名の犠牲者を出している。コタバルに上陸した日本軍は英国軍最大の軍事拠点、シンガポールに向けて進軍するが、この模様も同じ国語教科書の「マライを進む」で紹介されている。しかし、戦後、占領軍の命により、この史実は教科書から消えたままだ。

真珠湾攻撃については知っている日本人も多いが、コタバル敵前上陸はほとんど忘れ去られている。コタバルには、往時を偲ぶ小さな戦争博物館があり、日本軍の上陸を阻んだトーチかや、日本兵のかぶっていた鉄兜や銃などと混じって、戦後、歩兵56連隊が建てた「戦跡」の碑のレプリカが陳列されているだけである。敵前上陸した地点には慰霊碑一つないし、訪れる日本人も少ない。

マレー作戦に従事した第18師団はその後、ニューギニアに転戦し、犠牲者を多く出している。コタバル博物館にある「戦跡」碑はのレプリカの実物は所在不明とのことだ。安倍総理の真珠湾慰霊に接し、コタバルの敵前上陸を想い出し、犠牲者に合掌した。
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日韓合意から一年 まだ撤去されない慰安婦像

2016-12-26 06:48:18 | 2012・1・1
早いもので日韓両国の間で慰安婦問題について、”最終的かつ不可逆的な”合意を見てから28日で一年になる。合意に基づいて、わが国はすでに10億ドルの基金を供与、元慰安婦に対して”慰労金”の支払いも開始されたが、ソウルの日本大使館前の慰安婦像は案の定、危惧された通り、撤去されていない。逆に合意した大統領が弾劾に会い、その座を追われる中で、合意自体も無効だという声すら出てきている。頂くものだけ貰ってまた問題を蒸し返すつもりなのか。

昨年の”最終的かつ不可逆な”合意の中で”慰安婦像“の撤去には僕ら外交の素人が見ても、果たして大丈夫なのか危惧を抱くものだった。日本側が”大使館の安寧、威厳などの観点から撤去が望ましい”と要望したのに対して、韓国側も”可能な限り、関係団体と協議し、適切な解決を図りたい”というもの。これでは、像が撤去されないからといって、合意に反すると抗議も出来ない。

韓国は昭和40年(1965年)の日韓基本条約で”完全かつ最終的な”合意により、日本は3億ドルの役務賠償を含む合計11億ドルの経済協力金を支払っている。当時の韓国の国家予算は3.5ドルであった。韓国の”漢江の奇跡”と言われる経済発展は、これがばバネになって達成されている。しかし、韓国の人たちは、このことを知らないと聞く。

韓国の政治混乱は当分続きそうだ。わが国は”最終的かつ不可逆的”と思っても、相手はそうとは思わない。慰安婦像は”可能な限り”であって、永久に撤去しないかもしれない。下司な表現だが”食い逃げ”が、この国の常套手段なのである。”最終的”という言葉は、この国にはない。
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老人が1曲も知らない日本のクリスマスの歌

2016-12-25 06:13:40 | 2012・1・1
日曜日早朝5時からのNHKラジオの報道番組で今年初めて「ジングルベル」のメロディを耳にした。実はこれに先立つ「深夜便」の中のクリスマス音楽特集(午前2時―4時)で一曲も僕の知っている歌がかからずイライラしているところだった。アンカー女史は誇らしげに23曲も流したと豪語していたが。3時台の”日本のクリスマスの歌”に至っては”今やクリスマスの歌のスタンダードになってきた”とアンカー女史がいう、「クリスマス.イブ」(山下達郎1983年)さえ僕は聞いたことがない。

僕らの世代で一番馴染のあるクリスマスの歌といえば「ジングルベル」であり、あのビング.クロスビーが歌って大ヒットした「ホワイトクリスマス」や「サンタが街にやってくる」それに「来たりて拝め」などのクリスマスキャロルであった。アンカー女史が選曲した”日本のクリスマスの歌”は、ネットで調べてみたら、すべて10代から50代までが選んだ曲ばかりである。80代半ばの僕が知らないのも当たり前かもしれない。

クリスマスといえばやはり雪の中で迎えるホワイト.クリスマスである。北海道は今年、記録づくめの大雪に見舞われている。気象台によれば札幌の12月の積雪は96センチで1966年以来50年ぶりだという。僕は1970年代、10年間札幌に在住したことがあるが、こんな大雪は経験しことがない。しかし、何度かホワイトクリスマスは体験したことがある。1998年のクリスマス、僕は赤道に近い北スマトラのトバ湖で迎えたが、クリスマス.ツリーを見ても、一向にクリスマスの気分にはならなかった。

異教徒にとってクリスマスは多分に想い出的なものがる。やはりクリスマスには、まだビング.クロスビーの「ホワイトクリスマス」に想い出がある世代も大勢いるのだから、自分たちの世代中心に選曲するのは、どんなものだろうか。

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消えた都会の師走風景

2016-12-24 05:48:15 | 2012・1・1
昔、12月(師走)というと、子供でもなんとはなく、せわしい気分に追い立てられたものだ。空っ風が吹く中を街行く人はコートの襟をた急ぎ足で歩き、盛り場のチンドン屋のジンタが、いっそう、その慌ただしさをかき立てた。駅前に軍服を着て募金に立つ、救世軍のラッパやシンバルの音も、これまた焦燥感を感じさせた。

今年もあと10日を切った。東京では、昨日も最高気温が20℃近くまで上がり、一向に暮末らしさを感じさせない陽気だが、加齢のせいだろう。昔ながらの歳末の焦燥感にかられて、僕は書き上げた年賀状(毎年枚数は減ってきているが)をポストに入れ、その足でいつ、新年を迎えてもよいように床屋へ散髪に出かけた。

東京ではここ数年、あのお馴染みの赤青白の理髪店の店頭のポールがめっきり減ってきた。若い男性や子供が床屋離れして料金の安い美容店へ”くらがえ”している。床屋さんに行くのは高齢者だけになっているようだ。僕も10年来行き付けだった理髪店が、店主が高齢のため廃業したため、この夏から遠くの店に代えたが、今まで3400円だったのが、4100円になった。需要と供給の関係といえ、年寄り泣かせである。

戦前、歳末の理髪店の混雑ぶりも年の暮の風物詩だった。大人も子供も頭をきれいにし、新しい服を着て新年を迎えるのが風習だった。数え日になると、どこの店も大混雑し、除夜の鐘が鳴る直前まで客で一杯だった。今は、一年365日、まったく同じようになり、ケジメがなくなってきた。好いのか悪いのか。すべて来し方に郷愁を感じるようになった、年寄りには寂しい。、
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