「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

リクエストがなかった唱歌「牛若丸」 NHK京都発「深夜便」

2018-06-30 05:16:51 | 2012・1・1
年寄りに人気のNHKラジオの深夜便を今朝の明け方午前2時ー3時まで寝ずに聞いた。最近はアンカーが若返り、内容も80老にはつまらなくなってきたが、今回は京都発。リスナーの京都にまつわる想い出と歌を募集していたので、戦争中(昭和17年)東京から「参宮旅行」(修学旅行)に出かけた時、京都駅前で食べた揚げたてのコロッケの美味だったことを中心に当時の京都について触れ、小学校唱歌「牛若丸」をリクエストしたが、採用されなかった。

♯ 「牛若丸」(明治43年 小学校唱歌 作詞作曲者不明)
一、京の五条の橋の上、大の男の弁慶は 長い薙刀(なぎなた)振りかざし、牛若丸めがけて
 きりかかる
ニ、牛若丸は飛びのいて、持った扇を投げつけて 来い来い来いと欄干の上へあがって手を叩く

戦前,教育をうけた僕らの世代は、この歌を知らないものはいない、京都といえば三条大橋のたもとにある尊王思想家、高山彦九郎の銅像とともに学校で教わった。当然のことながら、この歌がリクエストされるものと思っていた。二時間待ったが、想い出のリクエストは戦後の歌ばかりだ。考えてみれば無理もない。戦後生まれが日本人全体の8割を上回っている。安倍晋三首相だって知らないかもしれない。

最期に僕の一文が採用されなった腹いせに一つ。アンカーが京都局のシニア.アナウンサーなのに京都のコロッケ事情に疎いのに驚いた。小ブログでさえ書いたことがある。(2007年10月4日)毎日、京都のごちそうばかり食べているためなのだろうか。それにしても、明治大正昭和の小学校唱歌が忘れられていくのは残念だ。

江戸前の鯨、鯵の激減 地震の予知

2018-06-29 04:13:49 | 2012・1・1
東京湾で大きな外航船をバックに鯨がジャンンプする姿をテレビの画面でみた。生まれて80年このかた”江戸前の鯨”などみた記憶がない。一方、相模湾では名物の鯵が最近激減いており、例年の五分の一の収穫だという。昔から大地震の前にはナマズがあばれるという言い伝えががある。昔の人間の僕は、鯨も鯵もおかしな自然現象だと案じていたら、週刊誌が早速、1923年の関東大震災の前にも相模湾で同じように鯵がとれなくなっていたと伝えているようだ。

東京首都圏に住む人間は、この春以来、千葉県東沖を中心に多発している震度4前後のスロースリップ型地震に多少神経質になっているが、それを意識してなのか、政府の地震調査委員会が、「全国地震動予測地図」を公表、その概略が新聞に出ていた。これによると、日本人が最も懸念している太平洋岸の南海トラフで、この30年内に起こる確率は”微増”しているが、関東圏で起こる確率は最大8割、千葉市が85%、横浜市が82%とあるが、東京都は48%にすぎない。その理由は東京の観測点が、比較的揺れの少ない台地にある都庁だったからという。

現在の科学の力では、地震の完全な予知はできないそうだが、予知調査委員会の文書ではコンマいくつの単位で、発生予測しているが、素人がみても同じ地震域内にある東京の予測値が千葉、横浜に比べてすくなすぎる。高台の都庁だけでなく、もっと複数の地点も参考にすべきではないだろうか。鯨や鯵現象が週刊誌の話題で済んでもらいものだ。

党首討論の”歴史的使命”は終わったのか

2018-06-28 06:12:03 | 2012・1・1
安倍晋三総理と立憲民主党ら野党5党党首との「党首討論」をNHKの中継で見た。4月30日以来、今国会では2回目。党首も5党のうち3人までが、旧民主党の流れをくむおなじみの面々、あまり成果のほどは期待していなかったが、お粗末すぎる。安倍総理の言葉を借りるならば、「党首討論」の歴史的意味は終わった。

野党第1党、立憲民主党の枝野幸男代表は、大半の国民が”もういい加減にして”と思っている”もりかけ”問題に延々と自分の持ち時間の三分の一を使い追及したが、安倍総理に言わせれば、枝野代表の”演説”に過ぎず、新味がなく軽く総理に肩を外された感じだ。それにしても枝野代表の質問の口調は”弁論会“調で、さらに見苦しかったのは”外野席”からの福山哲郎幹事長の野次である。

これにくらべて国民民主党の大塚耕平共同代表の外国人受け入れに関する質問は、国の将来の指針にも関係する重要問題であり、政府のアラさがしばかりの野党の討論のなかにはあっては新味があった。超高齢化時代の到来とともに避けて通れない労働力不足。現行の外国人技能者研修制度のもろもろの欠陥など国をあげてもっと真剣に討議してもらいたい問題である。党首討論にふさわしい問題だ。

”子供を産まないほうがよい”といった二階俊博自民党幹事長の失言、これを党首討論に持ち出す枝野代表の政治家としての資質。党首討論の歴史的使命は終わったなどとは言わない。内外共に難問山積している。アラさがしはいい加減にしてくれである。そしてアラ さがしされないようまな政治をお願いしたい。

「報画眞写争紛エ伊」83年前の週刊朝日臨時増刊号

2018-06-27 05:35:34 | 2012・1・1

亡父の戦前昭和の週刊誌の遺品の中から週刊朝日臨時増刊号「報画眞写争紛エ伊」(1935年10月15日刊)が出てきた。83年前の出版物を物語るように見出しの「エ(エチオピア)伊(イタリア)紛争写真」が左から右に逆となっている。わが家にそのまま置いても意味がないので、昨日老妻と久しぶりにランチを共にしながら、歩いて行ける近所のエチオピア.レストラン「 Addis」 へ、東京の大使館まで届けて貰いたいと願いに行った。(写真)

僕ら昭和1ケタ前半の世代にとって、エチオピアの名前は親しみがある。一つにはアフリカ大陸の帝国であったこと。もう一つは日独伊三国防共協定を通じて、イタリアがエチオピアの宗主国だったからで、マスコミへの露出度が高かったからであろう。イタリアのムソリーニ総統とエチオピアのハイレ.セラシエ皇帝の名前は今でも覚えている。子供心に皇帝の甥と日本人女性と間の婚約話まであったのを知っていた。

サッカーやマラソン交流などを通じ、最近、アフリカの名前をよく耳にする。そのためか東京には国連加盟54か国のうち、半分に近い国のレストランがあるが、東急東横線、目黒線沿線にエチオピア料理店が、四店あるのは突出している。外務省のHPによると、現地エチオピアの邦人数はわずか24、日本にいるエチオピア人も430人しかいない。それなのに東京のエチオピア料理店ブームは何なのだろうか。店の名前「Addis」はエチオピアの首都、Addis ababaからきているが、店主のエチオピア人は初めて見る自国の83年前の紛争を伝える日本の雑誌に驚き感激し、SNSを通じて写真を公表したいと言っている。

国際スポーツ大会の季節と時差と新聞の締め切り時間

2018-06-26 05:03:00 | 2012・1・1
日本の新聞社にとってサッカー.モスクワ大会のセネガル戦は最悪の開催時間であった。現地時間は夕方6時なのだが、時差6時間の関係で、日本では深夜の午前零時、大概の日本の新聞社の朝刊の締切り時間は午前2時なので最終結果まではいらない。夕刊をもたない社は2日遅れの古新聞”なってしまう。

2020年東京五輪パラリンピックは地元での開催ななので時差の問題はないが、よりによって真夏、7月24日ー8月9日開催である。日本人にとって、前回1964年五輪の10月、錦秋の開催と違って、よりによって真夏土用の開催なのか疑問に思う者が多いが、これはIOC(国際五輪委員会へ莫大の放映権を払う欧米のテレビ局の意向を受けてのことだという。この季節が、欧米のテレビ局にとっては収入面でも編成面でも最高のシーズンだとのことだ。

スマホ、PCなどの普及で速報性の面では新聞は今や大きなメデイアではなくなってきた。前回東京五輪の前の年m1963年11月、ケネデイ米大統領がダラスで暗殺されたのは11月22日昼の零時半(日本時間23日午前2時半)だったが、日本の新聞は各社競って最終版の締め切りを遅らせて朝刊に入れた。

五輪関係者が今心配しているのは、東京の土用の酷暑の中での、マラソンなど屋外競技の開催だ。何か問題があってからでは遅い。往時と違って新聞の発言力は弱くなっているが、せめて声を大きくして開催時間の日程には無事を願って声を出してもらいた。

モスクワ大会の活躍 60年前のアジア大会では勝ち点ゼロ

2018-06-25 06:22:20 | 2012・1・1
深夜の世界サッカーモスクワ大会のセネガル戦をテレビの中継で見た。現役の時とは違って次の日の仕事には影響ないのだが、やはり歳である。偶然、後半20分過ぎ目を覚まし、結果を確認したに過ぎなかったが、わが家で購読している今朝の新聞は締切り時間で途中までしか報道していないが、勝ち目がないと思っていたセネガル相手に引き分けるとは善戦だ。

父の遺品の箱の底から60年前の1958年(昭和33年)5月ー6月、東京で行われた第3回アジア大会の報道陣用のバッジ(写真)が出てきた。僕も駆り出されて国立競技場でインドとパキスタンのホッケーの試合を取材したが、サッカーの記憶がない。モスクワ大会の国民的沸き立ちから、あの時はどうなったのか、調べてみたら、わが国は予選C組でフィリピン、香港相手に1勝もあげず敗退している。

このアジア大会は戦後わが国で開かれる初めてのスポーツ大会で、20か国.地域から1600人が参加、、陸上、水泳など13種目の競技が行われたが、日本が金67、銀42、銅30と圧倒的な強さをみせた。だから、勝ち点1さえ上げられなっかた、サッカーが僕の記憶にないのは当たり前だ。60年を還暦というが、モスクワ大会の日本サッカー.チ‐ムの活躍を見て還暦の長さを感じる。




学校の”非構造部材”(壁、窓、天井etc)の耐震安全性

2018-06-24 05:40:21 | 2012・1・1
産経新聞(6月22日付首都圏版)第2社会面に”通学路を緊急点検 9月末までに実施”という小さなベタ記事が載っていた。僕は一瞬、先日の高槻市の地震による小学校のブロック塀倒壊事故を受けての政府の”緊急対策”だと思ったが,1か月以上も前の新潟市の少女誘拐殺人事件にからむ通学路の点検調査だった。

高槻市のブロック塀倒壊について市のその後の調査では、市の委託を受けた業者が点検調査もせずに”安全”の報告書を提出していたとのこと。どうも”モリカケ”の一連の国会審議以来、なにか国全体のタガがどこか緩んできたように老体には感じられる。それに対策のスピード感の欠如である。
幸い、今回の大阪北部地震は、人的被害が少なくて済んだが、政府はもう一度、自然災害対策の見直しをすべきである。

例えば、学校建物の耐震性である。調べてみたら、2016年の調査で全国の公立校の建物の耐震性は98.1%で、多分、今は100%倒壊の危険性はないはずである。ところが、窓、壁、天井といった”非構造部材”となると、その耐震安全性は71.1%とまだかなり低い。2011年3月11日の東日本大震災で、震源地から遠く離れた東京の九段会館で天井が落下、犠牲者が出ている。

僕が心配しているのは旧民主党政権下、”コンクリ₋トから人への時代、に建造された公共建造物である。手抜きはないと思うが、再点検の必要があるかもしれない。それにしても、議員の先生方は何をされているのか。委員会で人間とは思えぬヤジを飛ばしている議員など安倍総理は即刻党から除名すべきだ。

戦前 戦中 戦後 昭和の週刊誌

2018-06-23 04:49:26 | 2012・1・1
梅雨の合間の晴れ日をみて老妻と二人で屋根裏の物置に登りガラクタの整理したら木箱にはいった父の遺品が出てきた。20年ほど前、家を新築したさい、古いものを、整理もせずに、ぶちこんだのがアダになってしまった。

父の遺品は、今ではあまり見かけなくなった木箱に収められており、引っ越しの時の名残の整理番号が付いたままである。何が入っているのか楽しみに開けてみたら、生前、父が投稿した原稿や未刊の原稿に混じって戦前、戦中、戦後の昭和に時代に出版された節々の記念の雑誌がでてきた。一番、古いのは昭和9年(1934年)の 東郷元帥哀悼号」(アサヒ.グラフ)や「日露戦役回顧30年写真帳」(東京日日新聞社)である。

戦前の週刊誌は新聞社が発行しており、中には無料でサービスとして配っていた。父が蒐集していた雑誌も多岐にわたり「伊エ紛争写真画報」(週刊朝日臨時増刊)といったイタリアのエチオピア侵出の現地からの写真報告もあるが、戦争には無関係な「日米水上競技グラフ」や「The winnter sports冬の運動号」(いずれも報知新聞社)もある。

昭和12年7月、日支事変が始まってからは、内閣情報局が編集、発行した「写真週報」が中心で13年2月の創刊号から仏印進駐ら、節々の戦況を伝えた数冊が保存されていた。父は写真週報」と一緒に「週報」も購読しており、戦後も保存されていたが、僕の転勤、引っ越しで散逸してしまった。

父は昭和43年、84歳で他界しているが、戦後の週刊誌としては今上陛下がご結婚された34年4月24日号の「女性自身」と結婚が決定した前年33年12月7日の「週刊朝日」増大号が保存されていた。戦前、戦中、戦後の昭和。改めて父の残した週刊誌に感慨深く目を通した。



国会の延長"勘弁して" 税金のムダ遣い

2018-06-22 04:57:03 | 2012・1・1
国会が7月22日まで32日間延長と決まったが、その途端に首相の”勘弁して”発言でもめている。政府与党は、延長して重要法案と目している"働き方改革法案”や”カジノなど統合型リゾート施設(IR)法案”を成立させようというものだが、安倍晋三総理が、委員会での集中審議は”勘弁して”といったかどうかをめぐって、延長初日からもめている。

ゲスの推算だが、国会の1日の運営費は3億円かかるそうだ。この中には議員の特別手当1日6000円もある。単純に計算しただけで一人6000円×32日=19,2000円、出欠にかかわらず支払れる。議員の平均歳費129万円、そのほかの諸手当を加えた年収平均年収1500万円のほかにである。国会では国民の最低賃金824円を20円引き上げようと審議している。

安倍総理が委員会での集中審理を”勘弁して”というのは誤報のようだが、これを河村建夫衆院予算委員長(自民党】が確かめずに発言したようだ。国会の審議延長に反対している野党は、これとばかり、問題にする構えを見せている。国民は正直言って、国会の”モリカケ”審議にはウンザリしている。通常国会の延長も一つには4月-5月の野党の審議拒否、”18日連休”に原因している。

国会の審議を見ていると、一般の国民には”審議”以前の与野党間の戦術に終始しているような誤解を呼ぶ。常識的に一国の総理が国会審議を勘弁してという訳がない。こんな、馬鹿げた国会でも議員先生は国会が開かれば、黙って6000円イタダキである。税金のムダ使いである。それも一般国民には縁遠い”カジノ”法案通過のためにである。

”戦争を知っている子供たち”の歌

2018-06-21 04:21:28 | 2012・1・1
玄関先のカンナが梅雨に濡れながら」真紅の花を咲かせている(写真)。どんよりとした低い雲の下では、原色の花のほうが似つかわしい。花に特別詳しいわけではないが、カンナの名前は昔の歌を通じて知っている。
          南の花嫁さん(作詞.藤浦洸 作曲.任光)
        合歓(ねむ)の並木をお馬の背に ゆらゆらゆらと
        赤なら赤いカンナの花びら 散りそうで散らない花風情
        隣の村にお嫁入り

戦争がまだ深入りしなかった昭和18年,女優の高峰三枝子が歌って大ヒットした歌だ。緒戦の勝利の17年から18年初めころにかけて、いわゆる「南方」の歌が多かった。”南から””マニラの町かどで””バタビア(ジャカルタ)の夜は更けて”などなど。この歌もその一つだと思っていたが、調べると作曲者は中国人で、原曲は「採雲追月」という歌だそうだ。いわれてみればメロデイは、中国風である。

こういった戦争中の流行歌を聞く機会がめったにない。軍歌禁止のNHKの内規で、同時代の歌まで登場しない。それに70年代、80年も前の歌だ。懐かしむ世代も少なくなってきた。先日NHKラジオの深夜便で北山修特集をしており、ジローズの‘戦争を知らない子供たち」が流れてきた。僕ら世代にとっては、ついこの間の曲だが、1970年、半世紀近く前の歌である。

戦後生まれの日本人が8割を超えたという。戦前の流行歌が”にっぽんの歌 心の歌”(NHK深夜便のタイトル名)が戦争中の歌を採り上げないのも無理もない。認知症予防に役立つかもしれない。軍歌も入れて戦争期の年代別特集を望みたいのだが。”散りそうで、散らない”カンナのような世代からの願望である。