「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        ”団塊世代”と”昭和一ケタ”

2008-08-31 05:38:02 | Weblog
来年がくると、”昭和一ケタ世代はみな後期高齢者入りする。一方”団塊世代”の
中核の昭和24年生れも社会からリタィヤーして、いよいよ本格的な高齢者時代を
迎える。僕ら”昭和一ケタ”からみれば、相変わらず”団塊世代”は、若者の集団
にしか映らないのだが、立派に還暦のお歳なのだ。

同じ世代には過去の共通の体験からか仲間意識があるのは当然だ。先日、北京
五輪の野球で惨敗した”星野ジャパン”が”お仲間野球”だと世論から叩かれた。
監督の星野仙一氏が昭和22年1月生れ、コーチの山本浩二氏が21年10月、同じく
田淵幸一氏が9月生れで、三人とも同学年の”団塊世代”前期だ。調べてみると、
野球とは関係ないが、民主党の管直人代表代行も21年10月、鳩山由紀夫幹事長
も22年2月、野球の3人の”お仲間”と同学年だ。

新聞に音楽プロジューサーの残間里江子さん(昭和25年生れ)が”団塊世代”を対
象にした親睦団体を立ち上げたそうだ。セミナー、旅行、留学などの生活情報を提
供してお互いに長い余生を楽しもうというものらしい。これまでもセコンドライフを楽
しむこの種の会はあったが、同じ世代だけのものはなかった。

”昭和一ケタ”には、この種の”お仲間の会”は少ない。多分、同じ一ケタでも直接従
軍している世代もいれば、学童疎開世代もいて戦争体験に相違があるからかもしれ
ない。また同年齢でも考え方も違う。都知事だった青島幸男氏(故人)と石原慎太郎
氏は同じ昭和8年生れだが。



       物価の値上がりとスーパーマーケット

2008-08-30 05:32:22 | Weblog
東京の下町に大手スーパーチェーンが新しい型の激安店をオープンした。その模様を
テレビで見たが、開店前からお客が長い列を作り、店内は病人まで出るほどの混雑ぶ
りだ。確かに安い。「秋田こまち」10㌔入りが2,880円、わが家が安いと思って買ってい
るのより千円は安いそうだ。物価高の昨今、こういった”生活応援型”のスーパーは僕
ら消費者にとって大歓迎だ。

でも同じ東京でも僕の住む町は違う。運動をかねて週に数回、僕が自転車で行っていた
近くのスーパーが今月一杯で店を閉じてしまう。私鉄の駅から遠く、環状道路に面しなが
ら駐車場がないという立地条件の悪さが原因のようだ。老妻は早速閉店セールのビラの
目玉商品をチェックして”これとこれ”と買い付けを命じた。キャベツ100円、なす5本入り一
袋100円、ビビダス・ヨーグルド128円、キャノーら油328円etc.

7月の全国消費者物価が昨日発表になったが、前年同月比が2・4%の上昇、1か月の上
昇率としては実に16年ぶりだという。値上がりはここ10か月連続である。男の僕でも値上
りは実感する。それだけ家計を預かる主婦は大変だ。

最近、老妻も都内の高齢者用パスを上手に使って、物価の安い遠くの町まで買物に出かけ
る。わが町は昔から物価がたかい。大手スーパーまでこれに見習っている。下町に出来た
”激安型”スーパー大歓迎だ。これを機に”価格破壊”の再来を願いたい。それよりも僕に
とっては、さしずめ散歩に適したスーパー探しが最大の課題だ。

    太田農水相の不徳  ”有権者もうるさい”です!

2008-08-29 05:54:49 | Weblog
またも”政治とカネ”の問題だ。太田誠二農水相が自分の政策秘書の東京の家を
政治団体の事務所として届出、平成17,18年度に約2300万を事務所費として計上
していたという。臨時国会が始まろうとしているこの時期に、なぜ突如としてこの問
題が露出したのかわからない。が、”問題ない”とする太田農水相が、昨日記者会
見で、領収書を振りかざし不徳の致す所として国民にわびた。しかし、これで野党
が了承するとは思えない。

臨時国会が9月12日から始まろうとしている矢先に、この問題が出てきた。僕らの頭
にまず浮かんだのは、与野党の相も変らぬ”政治とカネ”論議で、難問山積の国会
審議がストップしてしまうことだ。あの安倍内閣当時、松岡、赤城元農水相を初め何
人かの政治家がこの問題で辞任したり、自殺して政治が空白になった。

問題の太田農水相が事務所に使っていた住宅の隣に住んでいるアルファー・ブロガ
ーのブログを読ませてもらった。マスコミ出身の経済学者である池田信夫氏のブログ
だが、太田農水相はこの家を事務所として使用していた形跡はないと書いている。

太田農水相についで福井照・元農水政務官の同じような疑惑が報道されている。今
なぜこの時期に同じようなことが発覚するのか解らないが、新聞報道では疑惑は残る。
釈明しても国民に理解できなくては困る。”不徳の致すところ”をめぐって多分臨時
国会ではこの問題で時間が浪費されよう。不徳があるなら潔く身を引くべきである。

         東京の悲劇 ”故郷の廃家”

2008-08-28 05:25:50 | Weblog
東京の代々木上原の築80年の木造二階建て住宅が倒壊した。明治神宮に比較的近
い住宅街の出来事である。幸い中に住んでいた80歳と74歳の老姉妹は付近の住民に
助け出されケガもなかった。もしこれが夜間に起きたならば、大事にいたったかもしれ
ない。東京で起きた”故郷の廃家”の悲劇だ。

僕は昔、外国人の研修施設がこの近くにあるので、このあたりをよく通った。今は地下
鉄と小田急が相互乗り入れして駅も高架な大きなものになっているが、戦前は郊外の
小さな駅だった。調べてみると小田急が開通したのが昭和2年で、駅も「代々幡上原」
駅の名で開業している。倒壊した家は駅の近くにある。多分、そのころ老姉妹の両親が
土地を借りて新築したものかもしれない。

わが家の周囲にも二軒、同じように戦前建てられた家がある。もう雨漏りがするのだろ
う。瓦屋根の上にブルー・シートが載せてある。そのうちの一軒の当主を子供時代から
知っている。彼の先代が新婚時代に越してきたのだから、彼も70歳を越えているが何故
か独りで住んでいる。

空襲で焼け残った東京のかっての郊外には、まだ築70年、80年建った古家が残っている。
戦前は地主から土地を借りて家を建てるのが、東京では慣習だったが、戦後相続税その
他で土地を放す地主が多くなった。土地の借主との間の話がうまくいけばよいが、こじれ
ると、こんな倒壊寸前の家にいつまでも”いついて”しまう。中学唱歌「故郷の廃家」は”住
む人絶えてなく”だが、東京では”住む人移り住む所なく”倒壊するまで住んでしまう。故郷
がここしかない悲劇だ。



         イライラつのる ”先送り”外交

2008-08-27 05:16:08 | Weblog
北京五輪は終わったが、心配なのは五輪を理由に”先送り”されきた難問山積の
日本の外交だ。”戦いすんで、日は落ちて”では困る。しっかりと立ち向かい、これ
以上、先に延ばしてもらっては困る。国民のイライラはつのるばかりだ。

五輪の最中の17日から3日間、高村外相が訪中、中国の要人と”毒入りギョーザ”
事件の早期解決について話あったようだ。”ようだ”というのは、その結果が五輪報
道に隠れて伝わってこないからだ。あるいは高村外相のいう”オフレコ”なのかもしれ
ないがー。新華社通信は、高村外相の訪中目的は五輪観戦と伝えている。あるい
は、これが本当かもしれない。”毒入りギョーザ”が中国で製造されていた、という情
報を政府は1か月も五輪を理由に国民に知らせていなかった。それだけに高村外相
の五輪中の訪中は、やに手際よいと思っていたのだが。

東シナ海のガス油田開発問題も6月の日中政府内の合意にもかかわらず2か月以上
経っても進展がない。福田総理によれば中国が五輪をかかえて大変な時期だから無
理をしない配慮とのこと。

北朝鮮の拉致問題も秋までには調査するということだったが、秋風が立ったとたん、北
は核無能力化を中断すると言い出してきた。こんな状況下で約束どおり調査ができる
のだろうか。やっとこさっとこ、ディフェンスの力でゴールを守り、攻撃のないサッカーを
みているみたいで、国民のイライラはつのるばかりだ。










       ”お巡りさん”でなくなった警察官

2008-08-26 06:23:20 | Weblog
平成20年度版警察白書によると、都道府県の刑事の79・2%が捜査活動のさい
市民の協力が困難だった、と答えたという。僕のささやかな体験でも”さもありな
ん”と思う。すこし酷だが、そのくらい今の警察官は権威と親しみを失い、市民か
ら離れてきている。

戦前の”おいこら”時代でも警察は、「交番」を通じて地域社会と結びつきがあり
交流があった。それがいつの間にか「交番」は無人化され、市民の接触の場は、
交通取締りの"白バイ”に代わった。僕は免許を持たないが、運転している知人
に聞くと、一度や二度”取締りのための取締り”にあい"法外な”罰金を払っている
ようだ。

先日,小ブログに異質なコメントが入ってきた。平成19年4月19日と5月23日の二
回、僕は千葉県で起きた英国人女性塾講師殺人事件の早期解決を呼びかけた。
変なブログは、容疑者の家族がすでに"死”をもって罪を償っているのに、お前は
未だに何をいうかーといった内容だ。内容が内容だけに捜査本部に電話した。
こちらは名前と電話をいい、ブログのコメントを見てくれ、といったが、その後何も
反応はない。

わが家の近くの路上で変な男が寝ていたので、近くの交番に届けたが、警察官が
まったく無反応だったことを小ブログで書いたが、先日栃木県では二回の110番
通報にもかかわらず、警察や消防が出動せず、車に乗っていた女性が大水で死亡
したという事故があった。環状7号線ぞいの交番には「交番」の字が消えていた。
海外でも評価のある「交番」制度を本家本元で廃止しようというのか。


      マラソンの佐藤選手は、負けたって勝者 

2008-08-25 05:50:18 | Weblog
五輪のフィナーレを飾る男子マラソンをテレビで見た。スタートしてすぐ日本選手
が先頭グループのスピードについていけず脱落した。これでは勝ち目がないと思
い、テレビを消した。それでも結果は如何と、2時間後、再びチャンネルをマラソン
にあわせた。

優勝したのはケニアのワンジル選手だった。このケニア生れ、日本育ちの21歳の
青年にとっては、暑さもコースも問題ではない。僕には彼がテープをきった後、右
手で十字をきったのが印象的だったが、さらに彼が日本人記者の質問に答えてい
った言葉により感激した。”日本で学んだこと、それは、きつくともガマン、ガマン”
走る技術論ではなく、精神論だった。

完走した最後のランナー、78番目に会津若松生れの佐藤敦之選手が”加油、加油”
の観衆の声援の後押しされてゴールに入ってきた。そして深々とコースと観衆に頭を
下げた。ストイックな走法から”走る修行僧”というあだ名があるそうだが、その面目
躍如の風景だ。ハーフマラソンの記録保持者の選手がビリで競技会場を一周するこ
とはなかなか出来ないことだ。アナウンサーは”会津魂”と呼んでいた。

野球で完敗した星野監督が帰国後の記者会見で”強いものが勝つのではなく、勝つ
たものが強い”といっていた。日本には昔から"敗軍の将、兵を語らず”という諺が
ある。敗将は負けた原因をあれこれ言ってはいけないーという意味だ。星野監督は
佐藤選手の完走の姿を見たのだろうか。勝った者だけが強いのではない。負けたっ
て佐藤選手みたいな勝者もいる。



         夏の終わり 人との出会い

2008-08-24 05:09:02 | Weblog
夏の終わり。東京の公立校でも明日から学校が始まる。季節も一挙に秋めいてきた。
夏休み中、孫たちに何もしてやらなかった罪ほろぼしに二人を近くの鰻屋へ連れて
いった。店の主人は、僕が学生のころアルバイトした仲間(故人)の弟である。それだ
けでも奇縁なのに、この日店で同席した高齢の女性は、72年前のベルリン五輪に出
場した僕でも名前を知っている方(故人)の奥さんだった。

人と人との出会いは不思議だ。1億を越す日本人の中でも食事を同席するのは、まさ
に一期一会である。昭和11年のベルリン五輪の時はまだ幼稚園児だったが、不思議
と当時の日本人選手の活躍を覚えている。ベルリン五輪では金6、銀4、銅8計18個
のメダルを獲得している。競技種目の少なかった当時としては大活躍だ。

鰻屋であった方のご主人は4位入賞だったが,この種目では未だに日本五輪記録史
上最高位である。僕が彼の名前を覚えているのもそのためかも知れない。ご夫人は
89歳の高齢である。鰻屋には彼女が描いた幻想的な夜来香(イエライシャン)の花の
絵が飾られていた。帰宅しててネットで調べてみたら、生まれ故郷の台湾を中心にアジ
ア各国で個展を開き、友好親善に努めておられる著名な画伯だ。

「夜来香」は李香蘭の歌で、ある意味であの時代を象徴している花だ。北京五輪ととも
に夏は去ってゆく。夏の終わりは人に想いをはせる時季でもある。画伯との出会いは「夜
来香」の絵を媒体に”こしかた”にお会した人々を想い起こさせてくれた。


         "闘将”星野監督の悲劇

2008-08-23 05:25:35 | Weblog
五輪はいろんな感激を呼ぶ。なかでも先日の女子ソフトボールの逆転優勝はすばら
しかった。”120%勝ち目がない”(上野投手)相手の米国をくだしての勝利だ。全員
一丸になっての戦いぶりが画面から見てとれた。とくに斉藤監督の控えめの采配ぶり
がよかった。これに反して”星野ジャパン”の戦いぶりはー。負けたからいうわけでは
ない。敗戦を予測した日本人は多分僕だけではない。

野球はチームプレイのスポーツなのに”星野”が冠につくようでは、勝てる訳がない。
それに金メダルへの執着が強すぎた。勝負事だから勝利するのは当然だが、彼の
場合、それを口に出しすぎた。

星野監督をマスコミは”闘将”だという。一見そのように見える。韓国戦を前に”今度は
リベンジだ”と勇ましいことをいう。ふだんからマスコミ受けするようなことを口に出しす
ぎている。が、五輪チーム編成をみればわかる。自分のお仲間ふたりをコーチにすえて
いる。一人では闘えないのだ。

敗戦の将には酷だが、素人がみても選手の起用が間違っていた。何故調子の落ちてい
る投手を使い、二度まで同じように負けたのか。第一試合で調子が落ちたダルウィシュ
が試合後責任をとって頭を丸めたという。ダルと同じように他にも3人が髪をきったらしい。
金メダルを狙う気合からなのだろう。そんな若い選手の気持ちを”星野ジャパン”は読め
ていなかった。

勝利したソフトボールの齋藤監督の控えめな微笑。これに対して傲慢な(本当はそうでは
ないのだろうが)星野監督。闘将の悲劇である。





         歌は世につれ、世は歌につれ

2008-08-22 05:27:18 | Weblog
月に二回、区の住区センター(集会所)で開かれる”みんなで歌おう”の会に出て
大声あげ叙情歌や小学校唱歌を歌っている。軽い体操から始まって発声練習を
して約2時間、20数曲歌いまくる。会費はタダなのに参加者は女性4人、男性2
人だけ。その男性のうち1人が交通事故で欠席したため、僕一人が男声。この年
になっても緊張するものだ。

先日は平成の叙情歌を歌った。「涙そうそう」「さとうきび畑」「花」「未来へ」などメロ
ディは聞いたことがあるが、歌ったことはない。譜面をみながら小さな声でついて
いったが恥ずかしい。無理もない。「なだ」が「涙」の意味であるのを初めて知ったぐ
らいなのだからだ。「愛唱名歌」(野ばら社)という歌の本を使っているが、なかなか
よく出来ている。

でも昭和1ケタの少数派の意見を述べさせてもらえば、僕らが子供の頃流行して
いた軍歌が一曲も載っていない。逆に言えば、あの時代の歌は後世に残す歌はな
い。あるいは残してはいけない歌なのかも知れない。だが、僕らの世代にとっては
「海征かば」や「愛国行進曲」「空の神兵」などは一生忘れられない歌だ。

意外だったのは「愛唱名歌」に載っている歌の中で昭和16年、17年の歌が多いこと
だ。「森の水車」「花火」「たなばたさま」「うみ」「里の秋」(16年)「山の歌」「スキー」
「若葉」「田植」(17年)。さすが戦争が激化した18年、19年の歌はない。軍歌一色の
時代だ。敗戦直前には”出て来いミニッツ、マッカサー、出てくりゃ地獄へ逆落とし”と
いう歌さえあった。

歌は世につれ、世は歌につれである。出来るだけ皆が歌えるよい歌を後世に残した
いものだ。