「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

忘れられかけてきた支那事変勃発の日

2016-07-08 06:34:10 | 2012・1・1
昨日は7月7日、年に一回、織姫様と牽牛星が天の川で年に一回、落ち合う七夕、子供の頃は笹に願い事を書いて祝ったりしたものだが、わが家の周辺では、孫まで成長し、ここ数年催ししたことがない。それと同時に、かっては、ある時期日本人全員が知っていた、この日に「支那事変」が発生したことも忘れられかけてきた。

79年前の昭和12年7月7日、「支那事変」は北京郊外の盧溝橋の日本軍演習地に支那軍が砲弾を打ち込んできたのをきっかけに発生した。当初は”事変”(宣戦布告なき軍事衝突)だったのが、拡大して「日中戦争」になったが、」大東亜戦争が勃発するまで、僕らは、「支那事変」と呼んでいた。昭和16年12月22日、東條内閣は”今次戦争を支那事変にさかのぼり「大東亜戦争」と閣議決定するまで「支那事変」であった。

「支那事変」が起きた日のことについて僕は覚えていない。前年の11年2月26日の2.26事件は記憶にあるのだが、何故なのだろうか、後年調べてみたら、亡父の日記も僅か3行で”北平(北京)郊外、盧溝橋で日支衝突”とあるだけだ。新聞社勤務の亡父でさえ、この受け取り形だから、子供の僕が記憶にないのは当たり前だったのだ。

現在の学校教育で「支那事変」や「大東亜戦争」がどのように扱われているか知らない。しかし、名称一つ取ってみても、史実が隠されている。すくなくとも”日中戦争”ではなかったし、”太平洋戦争”でもなかった。少なくとも、”今日はなんの日”ぐらいには記憶として留めておきたいものである。