「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

多発するわが町の特養老人施設のコロナ感染

2021-02-28 07:29:12 | 2012・1・1

老妻あ昨日隔週ごとに開かれる地域の老人会で、昔PTAで一緒だった98歳のお仲間のご婦人が今月初め入居中の近所の特別養護老人ホームでコロナ感染が原因で亡くなられたと聞いてきた。100歳に近いご長寿なのに残念である。

わが家で購読している新聞もテレビもこの特養ホームのコロナ感染の報道がなかったので、改めてHPを調べたら1月の発生時があるだけで更新がなく最近のことがわからない。逆に関連ネットを検索して驚いたのはわが町(東京23区の一区)にある七つ特養ホームのうち四つの施設でコロナ感染が発生、中には14人ものクラスターも出していた。

にもかかわらず、わが家の購読紙を見ているぎり一切報道はなかった。購読紙に限らず、最近新聞は個人の秘密を守る視点からあまり詳しく個人的なことは伝えなない。そのためかわが家の購読紙も都内版に23区市町村の累計患者数を図表にして出すだけ。新規感染者数、感染経路、年代区別など一切わからない。図表から推計してみるのだが、最新(2月27日)の新規感染者数は9人もいる。このうち特養関係者が何人いるのだろうか。クラスターして、リバウンドしならなければよいのだが。


47都道府県「住んだ町」「旅した町」 須賀川 芭蕉が8日間いた町

2021-02-27 08:26:27 | 2012・1・1

昭和44年(1969年)から2年間郡山に単身赴任していた時、今は亡き母や叔母3人を牡丹園に招いた時の想い出が深い。観光案内によると、東京ドーム3倍の広さの園内に290種7000本株があるそうで、江戸時代に摂津の国から苗木を取り寄せたもので歴史は古い。4月から6月が見ごろである。

福島県唯一の県営福島空港は須賀川市にある。新千歳と伊丹との間に定期便があり、空港は公園化されているが、東北新幹線の駅がないためか今一つ鉄道の便が悪い。しかし、江戸時代には奥州街道の宿場町で、松尾芭蕉は元禄年間、須賀川に7泊もしている。その宿泊跡が今芭蕉記念館。としてビルの中にある。

11月第二土曜日に松明祭りがあるが、これは天正年間、二階堂家の居城が伊達政宗軍の攻撃にあい、落城したのを模して催されている。東北三大松明祭りとして県内外から観光客が集まる。

 

 


緊急事態宣言解除 首都圏は続行か延長を

2021-02-26 09:59:32 | 2012・1・1

全国10都府県で発令中の緊急事態宣言のうち大阪など6府県が26日先行して解除された。東京首都圏も期限の3月7日までに解除される方向で検討中だそうだ。なにはともあれ、コロナ禍終息に向かっての第一歩で同慶の至りだが、小ブログは再度、東京首都圏に限って言えば、期限いっぱいか延長も視野にいれて検討した貰いたい。

結論から言うと、東京首都圏は人口3500万人(東京都1850万人)もおり、全国の30%がこの地域に集中しているのが理由だ。「密度」が他地域とは違うのだ。例えば昨日25日の東京都でのコロナウィルス新規感染者数は340人だが、神奈川117人、埼玉111人、千葉107人を入れると計676人と全国1076人の半数以上である。しかも他の地域は微減しているのに、首都圏は微増している。

個人的には宣言の一日も早い解除を願っている。宣言の”stay at home"を忠実に守り、介護施設のリハビリ.サービスを欠席しているため、心身ともにフレイル度が深まってきた。しかし、4月に老人向けワクチン接種が始まれば当然、宣言は解除されよう。ここはリバウンドにならないよう、宣言の続行か延長を望む。そう少しの辛抱である。


47都道府県「住んだ町」「旅した町」 白河 関所 お城跡

2021-02-26 06:47:01 | 2012・1・1

平安時代の歌人、能因法師が”都をば霞とともに立ちしかも秋風ぞ吹く白河の関”と歌った白河はかっては都から遠く離れた地だったが、今や東京から僅か新幹線で90分で行ける。福島県の中通りの東部位置す人口3万人ほどの城下町だ。

江戸時代の俳人松尾芭蕉も”春立ちて霞の空に白河の関”と詠んでおり、昔から白河は関所で賑わったが、その跡は今はな記念碑が残ってだけだ。お城は小鶴城といい、南北朝時代に築城され松平家など七家二十一代の居城だったが、戊申の役で新政府軍の攻撃にあい落城破壊され、今は一部の跡しか残っていな.い。

そのお城跡とともに観光資源になっているのが松平家の名君、定信が1801年造園した南湖公園である。日本最古の「公園」と言われ、封建時代、士農工商誰でもが自由に入園できたという意味では珍しい。国の指定史跡になっている。古い城下町で、伝統ある和菓子翁餅がおいしい。


47都道府県「住んだ町」「旅した町」 いわき市 常磐ハワイアン.センター

2021-02-25 07:09:38 | 2012・1・1

福島県では太平洋に面した地域を”浜通り”と呼ぶが、いわき市はその中心である。面積人口ともに県内一である。僕が郡山に勤務していた頃の1966年、周辺の平、常磐、勿来、内郷,、磐城5市が合併して「いわき市」となった。当時は初めてのひらがな名、全国一広い面積の市として話題になった。

その旧市常磐にはかって”はあ朝も早やからカンテラさげてよ”の炭坑節で知られた常磐炭坑があった。戦後の石炭から石油へのエネルギー革命までは全国から抗夫が集まり賑わったものだが、1977年全面閉鎖された。それにかわって地元が考えだしたのが常磐ハワイアンセンターである。炭坑を掘ったあと地下の温水を利用して温泉プールを造り、ハワイを模したレクリエーション地にしようというものだ。海外渡航自由化前”憧れのハワイ”の時代であった。

2013年4月、東日本大震災の復興を祈念して僕は老妻と一緒に初めて常磐ハワイアンセンターを訪れ一泊した。二人ともハワイへ行ったことがないが、東北のハワイで十分「ハワイ」を堪能できた。


47都道府県「住んだ町」「旅した町」 喜多方 蔵とラーメン

2021-02-24 07:12:54 | 2012・1・1

昭和44年(1964年)から46年にかけて僕は民放の仕事の関係で会津喜多方市を度々訪れた。酒蔵、米蔵,繭蔵に始まって普通の民家まで蔵が多い。明治大正時代、大火が多かったため街ぐるみで蔵造りを推進したからだという。レンガ造りもあってレトロの感じが街の風景に調和している。

もう一つ忘れられないはJR喜多方駅前の「源来軒」という中華料理店のシナソバの味だった。中国人のコックが料理していると聞き、なるほどと思い、喜多方出張の際はここで昼食をとることにしていたが、まさか半世紀後,喜多方が札幌、博多と並んで日本の三大ラーメン地となるとは思いも及ばなった。今や人口3万2千人の町なのに市内に120軒も店がある繁盛ぶりだ。

喜多方出張の際は熱塩温泉に宿をとった。もう廃線になってしまったが会津若松から熱塩までJRの日中線というローカル鉄道に乗って出かけた文字通り”熱い”、塩分の濃い湯質の温泉でよく温まった。600年ほど前、古刹、示現寺の源翁和尚が発見した温泉だそうだが、境内には日本のナイチンゲールといわれるこの町出身の瓜生岩子の胸像が建っている。戦前、修身教育を学んだ世代には懐かしい。

 


首都圏の緊急事態宣言は急いで解除するな

2021-02-23 07:28:42 | 2012・1・1

昨日22日の東京都のコロナ.ウィルス新規感染者数は178人と昨年11月20日の187人以来、3か月ぶりに200人を切った。これに並行して全国の新規患者数も2月15日以来、1000人を割って740人と低い数字であった。ご同慶の至りである、中でもうれしいのは発生ゼロの県が東北5県をはじめ18県もあり、うち14件は21,22と連続2日続けてである。

こんな状況の中で大阪、京都、兵庫の関西3府県と愛知、岐阜2県などが緊急事態辞退宣言の切れる3月7日前に先行して宣言を解除することで政府との間で検討中だという。確かに22日の新規感染者数は大阪62、愛知30人、兵庫14人を除けばひとケタで東京首都圏とはケタが違う。総合的に判断すれば、先行解除も当然なのかもしれない。

これに反して東京都の小池百合子知事は22日の記者会見で”今はこらえ時である。コロナは対策を緩めると正直に反応してくる”と都民に引き続きの協力を要請した。知事の頭の中には昨年11月20日には200人以下だったのが,僅か2か月足らずで2000人を越す苦い経験が残っているはずである。当時、政府コロナ分科会の関係者は感染者数の推移は”神のみぞ知ると無責任なことを言っていたが、東京の感染者は500人後半に入りそのまま上昇したままだ。

今回とて対策の手を緩めれば知事の言うように分からない。新しい感染の波が来ないとも限らない。”stay at home"を忠実に守っている都民にとっては、1週間そこらの宣言解除は問題ではない。

 

 

 

 

 


47都道府県「住んだ町」「旅した町」 会津若松 磐梯山 温泉

2021-02-22 06:43:44 | 2012・1・1

会津というとやはり磐梯山と小原庄助が思い浮かぶ。昭和の時代にヒットした民謡「会津磐梯山」-小原庄助さんの”朝寝朝酒朝湯が大好き”からくるものだが、磐梯山そのものは若松市ではない。しかし、庄助さん自身は実在の人物で舞台は若松市の奥座敷東山温泉だともいう。

東山温泉は鶴ヶ城のある町のお中心部から車で15分ほどの交通の便の良さ。四っの滝を囲む渓流に沿って温泉街がある。1300年前の天平年間に行基によって発見されたといい長い藩制時代には湯治湯として知られていた。温泉宿の一つに庄助さんが実在していた。

しかし、会津人の名誉のためにいうならば、藩には”ならぬものはならぬ”什の武士の掟があって庄助さんみたいな人ばかりではない(笑い9

 

 


ブログ開始 15年5500日 記録への挑戦

2021-02-21 06:32:57 | 2012・1・1

「ブログ開始から5500日」-という表示をみつけた。”GO GO"(55)のゴロ合わせではないが駄文を一つ。5500日というと平成18年(2006年)1月31日である。「75歳でブログデビュー」という表題で、僕は”ボケ防止にどうかという娘の薦めで初めて一文を書いた。ところが、PC器機の扱いに慣れていなかったため台から落ち大破してしまった。その修理もあって事実上のデビューは2月16日の誕生日からだが,以来15年余、病気で入院したり、海外旅行に出かけたとき以外,原則的に毎日更新している。

開始当時のブログを読み返してみると、日常茶飯のことが多く字数も一定していないが、石の上にも三年、継続も力なりというが、最近は閲覧数も訪問者数も増加し,お陰様でで常時ランキング入りさせて貰っている。物書きのはしくれとして、こんなに嬉しいことはない。

コロナ禍のためそれでなくとも社会との接点が減ってきた90老、老妻との普段の会話で”もあれ、それなんだっけ”が増えてきた。確実に加齢とともにフレイルの度合は深まってきた。どこまで挑戦できるか。ギネスのブログ書き最高年齢を目指して書いてみよう(笑)