「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      東海道の往還と品川寺の大いちょう

2010-03-31 06:49:02 | Weblog
先日の日曜日、品川の"荒神さま”(海雲寺)の春の大祭に詣でたあと、近くの真言宗
醍醐派の古刹、海照山品川寺にも参拝した。品川寺は大同年間(806-810)の開基と
いわれ江戸六地藏第一番の地藏菩薩像があることで知られている。この境内に樹齢
400年の大いちょうが残っている。樹間5・35㍍、樹高25㍍もあり品川区の保存樹に指
定されている。(写真は地藏菩薩像)

大いちょうといえば、今月の初め強風で鎌倉八幡宮の"隠れいちょう”が根元から倒され
た。1219年、源実朝が八幡宮を参拝したさい、このいちょうの背後に隠れていた公暁に
よって殺害された、と伝えられる、あの大いちょうである。

品川寺の大いちょうは、この大いちょうほど古くはなく知名度も低い。しかし、江戸開府と
同じ頃、東海道筋のこのお寺に植えられ400年間にわたって街道の往還を見てきた。東
京という大都会の高層ビルの中にあって、ここだけが、ぽつんと空間になっていて緑が残
っている。二十一世紀の不思議な世界である。

鎌倉八幡宮の大いちょうは、幸いクローン技術の応用によって90%再生が可能だという。
と、いっても巨樹がそのままの形で元に戻るわけではない。”生命”だけが引き継がれる。
品川寺の大いちょうもいつか鎌倉八幡宮の大いちょうと同じ運命になるのかもしれないが
出来れば、同じ巨樹のままでいて貰いたい、と思ったりした。


      花粉症 無花粉杉が開発されても!

2010-03-30 06:15:54 | Weblog
今年は花粉の飛散量が少ないようだ。昨年夏の日照時間が全国的に平年より少なか
ったのが、よかったようだ。さらに幸いなのは、ここへきて首都圏は春が足踏み状態で
冬に逆戻りしたような寒い日が続いていることもある。

わが家では、老妻と娘が毎年この時季になると花粉症に悩むが、どいうわけか僕は罹
ったことはない。老妻に言わせると、僕がふだんアルコール(酒)を飲んでいることに関
係があるとのことだが、そんな医学的根拠はもちろんない。

花粉症が日本で問題になり出したのは、ネット情報によると、1964年(昭和39年)、東
京五輪の頃からだ。栃木県日光地方で初の花粉症の症状が報告されている。日本の公
害はちょうど、この頃から始まっているから、やはり大気汚染、とくにディーゼル車から吐
きだされる微粉となにか関係があるのかもしれない。

先日テレビを見ていたら、独立行政法人「林木育種センター」(日立市十王町)で無花粉杉
の開発に成功したという。詳しい学術的なことはわからないが、遺伝子組み替え技術によ
って将来安定的にこの無花粉杉の苗木が提供できるようになるらしい。これは花粉症患者
にとっては朗報だ。

だが、日本の林業全体にとっては、どうなのだろうかー。輸入材に押されていぜん国産材
の価格が低迷し、日本のどこへいっても森が荒れている。伐期がきても放置されたままの
杉や桧を目にする。無花粉杉が開発されても、従来の木との切替が出来なくては意味がない。

         毒入りギョーザと上海万博

2010-03-29 06:49:01 | Weblog
中国産毒入りギョーザ事件の容疑者を拘束したと中国政府が日本に伝えてきた。僕は
これを知って、やはり犯人は中国人だったではないかいう思いよりも、事件発覚から2年
も経った今、この時期になってこれを発表すのか、中国側の意図に疑念を抱いた。何故
なのだろうかー。

2008年1月、神戸や千葉で中国産の冷凍ギョーザを食べた日本人10人が食中毒を起
こした。当時、これに対して中国の公安(警察)幹部は、毒物は日本国内で混入されたと
疑いを持ち、逆に日本の警察が捜査に非協力だと批判していた。その年の5月、事件は
未解決の中で福田赳夫・胡錦涛・日中首脳会談が行われ「戦略的互恵関係」が発表にな
った。そして8月には無事北京五輪も閉幕した。毒入りギョーザ事件は、その間どこかへ
いってしまっていた。

鳩山内閣に替わっても「戦略的互恵関係」は維持され、昨年秋には小澤一郎幹事長が百数
十人の"子分”を引き連れて北京詣でをした。そして、この5月から10月まで上海で國際万
博が行われる。中国は万博に7000万人の入場者を期待し、日本も「心の和,技の和」をテー
マに世界最大級のパビリオンを建設する。

開催まで1か月近くに迫ったのに日本国内の万博に対する人気と盛り上がりは今一つのよう
だ。忘れっぽい日本人でも毒入りギョーザは忘れていない。中国にとっては今が「戦略的互恵
関係維持」にはチャンスと判断したのかも知れない。岡田克也外相も容疑者の拘束を歓迎して
いる。でも「戦略互恵関係」が果たして万博にも機能するかどうか。

  国家試験に合格した二人のインドネシア人看護師

2010-03-28 06:38:23 | Weblog
二人のインドネシア人看護師が言葉の壁を乗り越え、合格率1㌫という日本の看護
師国家試験の難関を突破した。二人は2008年度、日本・インドネシア両国間のEPA
(経済連携協定)に基づき来日、日本語を学びながら技術研修に励んできた。まずは
二人におめでとうを言いたい。

このニュースを知って僕が驚いたのは、二人が新潟県三条市にある三之町病院という
同じ職場で研修を受けており、しかも全国で合格したのは二人だけという事だ。HPに
よると、三之町病院は、かって三条市内にあった旧町名をつけた嵐陽会経営の総合病
院でベッド数210という、地方の中核病院である。

インドネシアからは2008年ー9年と二回にわたって200人をこす看護師が来日、日本
各地の病院に配置され、人出不足の職場で働きながら日本語を勉強、日本の国家試験
に挑戦しているが、言葉の壁に阻まれて合格したのは今回が初めてで、それもこの二人
だけである。

二人は昨年の国家試験の時は、日本語の問題さえ理解できなかったという。その二人が
1年後、見事パスしたのはもちろん本人たちの努力もあったが、病院あげての支援体制も
あった。二人は午前中は病院の仕事を手伝い、午後は同僚から日本語を習い、時には院
長みずから二人の指導に当たったそうだ。

僕は昨日、二人にお祝いのメールを送り二人の努力に賛辞を贈った。確かにEPAによる現
行の制度は、来日する外国人にとって言葉の負担があり、受入れる病院側にとっても経済
的な余計な負担をしいることになっている。このような状況下で、三之町病院が二人の合格
者を出せたのは、國際親善の上にたった関係者の努力の賜以外のなにものでもない。

   中井大臣 プロフューモ事件をご存知ですか?

2010-03-27 06:02:13 | Weblog
中井洽・国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(防災)、拉致問題担当という
重職が赤坂の路上で銀座のホステスとキスしているという写真が週刊新潮に載った。
その記事によると、大臣は30歳年下のこの女性に議員会館のカードを渡し、週に一
回部屋の掃除を頼んでいたという話である。

1963年(昭和38年)英国でプロフューモ事件が発生、時のマクミラン保守党内閣が
倒壊した。陸軍大臣のプロフューモがソ連(当時)のスパイであった高級娼婦と交際し
国家の秘密文書を流していた。

中井大臣は週刊誌の掲載を受けた釈明の記者会見で、独身の自分が女性と交際し
てどこが悪い。議員会館のカードを他人に渡してはいけない、という規則はないとひ
らき直っていた。中井氏は自分が国家の公安のトップの地位にあり、大事な要職に
あるのを忘れてしまっている。

昨年、自民党の麻生内閣の時も副官房長官だった鴻池詳肇氏が同じように議員会館
に知り合いの女性を連れ込んだり、JRの議員無料パスで熱海へ遊びに行っていた。
鴻池氏は"健康上”の理由で職を辞任したが、自民党の県連は鴻池氏を除籍している。

民主党は"政治とカネ"問題で党首、幹事長をはじめ"傷だらけ”なためか、こういった不
祥事に対して鈍感になっている。党内でも自浄作業が働くなっている。中井大臣のプライ
ベートな問題ではない。即刻解任すべきである。鳩山総理は昨日の記者会見で"国民の
間から鳩山辞めろの声があがれば考える”と言っていた。難問山積なのに中井大臣の行
動は許せない。総理は責任をとって辞めるべきである。

     老人福祉は児童福祉より充実しているか?

2010-03-26 06:42:11 | Weblog
先日テレビを見ていたら子ども手当てを審議する会合で民主党推薦の参考人(大学
教授)が"わが国の児童福祉はこれまで老人福祉に比べて遅れていた。だから子ど
も手当ての支給は当然だ”といった意味の発言をしていた。これを聞いて僕は一瞬
耳を疑った。日本の老人福祉はそんなに充実しているのだろうかー。

つぃ先日も札幌の「グループ・ホーム」で認知症の老人7人が深夜の火事で焼死し昨
年3月にも群馬県渋川市で同じような不幸な老人13人が亡くなっている。どちらも犠
牲者は、身寄りのない生活保護の受給者が多かった。あるNPOの調査によると、今
日本全国には特別養護老人ホームに入所希望の老人が40万人もいるという。

子ども手当てとならんで高校の無料化も実施され、拉致問題も解決していない北朝鮮
の息のかかる学校まで無料化を検討しているという。一方では、戦争時代を生きてき
た老人たちが老人ホームにも入れないというのに、僕ら老人の目には大盤ぶるまいと
しか映らない。

わが国の義務教育が中学3年まで無料化されたのは、戦後の昭和22年である。戦前
は小学6年までで、その上の教育は有料で、ほとんどの子どもは、経済上の理由から
高等小学校2年までで、中等学校(中学校、高等女学校)進学できるのは、限られた裕
福の家庭だけだった。

今の老人福祉はたしかに戦前に比較すれば、格段よくなっている。昔は身寄りのない老
人は養老院へ送られ貧弱な施設で不幸な一生を終えた。しかし、それはごく限られてい
て大半の老人は家族に見守られて自宅で亡くなった。今はたしかにいろんな名前で福祉
は一見、充実しているように見えるが実態は違う。政権公約だった後期高齢者医療制度
の即時撤廃は、どこへいってしまったのか。

       普天間移設 ヤマトンチューの信義

2010-03-25 07:20:14 | Weblog
民主党沖縄県連代表の音楽家、喜納昌吉議員が”今年はヤマト(日本)が琉球侵略
400年だ”と23日の参院予算委員会で指摘していた。これは喜納議員が鳩山総理
に対する質問の中での指摘だが、その真意が何かわからない。が、これが総理の普
天間基地移設をめぐる裏切り発言へのウチナンチュー(沖縄人)の怒りの一端ではな
いかと、僕は思ったりした。

民主党沖縄県連は3月14日の定期大会で普天間基地の県外移設を決議し「民主党
の沖縄ビジョン2006は普天間基地の県外、国外移設を明記し、これに関連して鳩山
総理は昨年"最低でも県外”と明言している」との決議文を総理あて送っている。

なのにだ。鳩山総理はこの問題について関係閣僚を集めて最終的な政府案をまとめた
ようだが”これからが勝負だ”と言っているだけ。もれてくる政府案は、どうやら沖縄県外
への移設は断念せざるをえなくなったようだ。

喜納議員の発言は1610年の薩摩藩の侵略をさしているが、今、ことさら、そんな古い歴
史的な問題にふれるのかー。僕には鳩山総理の無責任な八方美人的な発言に対して過
去にも"ヤマトンチューには信義にもとる事があった、と指摘したように僕には思われる。
鳩山総理の発言はいたずらに沖縄県民に期待を持たせ、逆に混乱をもたらせただけだ。
いってみれば、"ヤマトンチュー”の信義を問われているわけだ。。鳩山総理の選挙区の北
海道の方言では総理のような人を”いいふりこき”といって軽蔑されている。

      「深夜便」20周年 昭和も遠くなりにけり

2010-03-24 06:44:25 | Weblog
中高年に人気のNHKラジオの「深夜便」が今年で20周年を迎えた。僕も時々、深夜
に目を覚ました時などお世話になる。先日も午前2時すぎ、イヤフォーンから「アイルラ
ンドの小守唄」が流れてきた。敗戦直後の頃、たしか映画「わが道を行く」の中でビング
クロスビーが歌ったような気がする。

最近は「深夜便」のアンカーが若返り、音楽も後期高齢者向けのが少なくなってきた。珍
しいと思い聞くと、やはりアンカーは最年長の宇田川清江さんだった。そして、この日が
宇田川さんの「深夜便」出演最後の日であった。宇田川さんは昭和10年の早生まれ、32
年NHK入局という超ベテランアナだ。しかも「深夜便」開始以来皆勤という、いってみれば
「深夜便」の顔でもあった。多分、20周年を期に勇退されたのだろう。ご苦労さまでした。

「深夜便」が始まった20年前は、担当のアンカーも僕と同世代で、内容も共感を感じた。で
も最近はアンカーが団塊世代に変わり、同世代のリスナーを意識しての内容が多くなった。
人気の2時、3時台の音楽コーナーも、フォークやGSが登場してきた。僕らの世代にとって
は、つい最近に感じてあまり想い出もない。

でも考えてみれば、平成に時代が変わってすでに22年である。昔の想い出の曲が少なくな
ったと文句を言うほうがおかしいのかもしれない。宇田川さんの勇退で多分、戦前生まれの
アンカーはおられなくなった。昭和も遠くなりにけり。後期高齢者にとっては寂しい限りだ。

      欧米は"宝石サンゴ”でも敗北した!

2010-03-23 06:24:10 | Weblog
米国とEU(欧州連合)が提案していた「宝石サンゴ」の輸出許可制もクロマグ
ロについでワシントン条約締結国会議で否決された。昨日、同世代の友人と
この問題で雑談したが、二人とも欧米の敗北に"快哉”を叫んだ。僕らは戦争
中大東亜共栄圏を夢見、戦後の西欧植民地の崩壊は、大東亜戦争によるも
のだ思っている世代だ。

米国とEU案がドーハの会議で否決されたのは、中国、韓国の"近隣諸国”か
らの支持とともに、圧倒的なアフリカ諸国の後押しがあったからだ。クロマグロ
の時のリビアの緊急動議で会議の空気が一変して日本案支持に変わったのは
その象徴的なものだ。

アフリカ大陸は、日本の80倍の面積があり、世界の20%がここに住んでいる。
そして、53か国も国が存在する。国際的な会議では大票田である。わが国は
歴史的に過去に変なしがらみもない。逆に近年はODA(政府開発援助)や青年
海外協力隊の派遣を通じて関係が深まっている。つい最近も皇太子殿下がケニ
ア、ガーナ二か国を親善訪問したばかりだ。

昔、ガーナに勤務した友人の話では、ガーナの現在の副大統領はかって在アク
ラ日本大使館のローカル・スタッフだった人だそうだ。JICA(國際協力機構)の技
術研修事業で来日したかっての研修員の中にも、いま政府の中枢の地位にある
人が多いと聞いている。

せっかくのネットワークである。これまで以上にアフリカ友好親善外交を推進すべ
きである。



    フィリピンの教科書に載っている「死の行進」

2010-03-22 10:08:10 | Weblog
「バターン死の行進」の写真を65年ぶりにAP通信が訂正した(小ブログ3月20日)
が、同じような構図の写真が「アジアの教科書に書かれた日本の戦争」(越田稜
著編 梨の木舎 1990年)に掲載され、次のような写真説明がついている。
「オンドネル収容所におけるフィリピン軍兵士の死体運び、1942年6-7月 リコ・
ホセ氏提供)
また「バターン死の行進」について「フィリピンの歴史と政治」という教科書には次の
ように記載している(越田稜氏の本から)
「16人の将校を含む7万人以上のフィリピン人およびアメリカ人兵士たちがバターン
で武器を捨てた。降伏後彼らは敵の残忍な扱いを受け,餓え、渇き、疲労で極度
に衰弱していたにもかかわらずバターンからフェルドナンドまで行進するよう強制さ
れた。この悪名高き「死の行進」でフィリピン人約1万人、アメリカ人1200人が路上で
死亡した」

米国側では、この「死の行進」で米国軍兵士など7000人から1万人が死亡したとしフィ
リピン軍兵士の具体的な死亡者数には触れていない。別の推理では、フィリピン人は
行進の途中で逃亡、現地人にまぎれこんでしまったという説もある。いずれにせよ、死
亡者の数ははっきりしていない。